第50話 でも、かわいいは正義だから!
ネドヴェトの屋敷へと向かったトムが目にした光景は果たして、何であったのか。
日蝕で全てが終わる。
「ならば、そうならないように動くまで」と大見得を切り、動いて見せたトムだったが一足遅かったと
件の元凶たるジャネタ・コラーの姿は既になく、行動を共にしていると思われるユスティーナの姿もない。
トムが屋敷の中に踏み込むとミリアム・ネドヴェトがたった一人取り残されていたのである。
それを聞いたアマーリエは胸が張り裂かれそうな苦しみに襲われた。
意地悪な言動が多いユスティーナだが、母親を大事にしてるのは誰の目にも明らかだったからだ。
そんな彼女がとった行動とはとても信じられないものだった。
トムが速やかにミリアムを保護していなければ、その身が無事だったかも怪しいほどに彼女は衰弱していた。
肉体的にも精神的にも追い詰められており、予断を許さない状況だった。
それほどに邸内は酷い有様だった。
この世の生き物とは思えない気味の悪いモノが蠢いていた。
ヌメヌメとした水生生物を思わせる表皮に覆われ、短い四肢を用いてのたうつように這いよってくる奇妙な生命体である。
腐臭にも似た吐き気を催す粘液を全身から滴らせ、裂けんばかりに大きく開けた口には細く、尖った針のような歯がぎっしりと生えていた。
蠢く彼らは生命あるものに反応しているのか、動くものに反応しているのか。
トムは襲い掛かって来る彼らを実力で排除したうえでミリアムを保護した。
ネドヴェトの屋敷が近衛騎士団の手により、完全に鎮圧されるまでさほどの時を要さなかった。
その報告を聞いたアマーリエは、何とも言えない複雑な気分でいる。
トムがあまり良くない噂で有名な王太子――トマーシュその人だったからだ。
マルチナはそうとは知らずにトムと気さくに付き合っていたこともあり、事実が判明した途端、現実逃避するように昏倒した。
ミリアムは無事に保護されたが体はかなり衰弱している。
食べ物を与えられず、世話も一切されていなかったエヴェリーナほどは酷い状況になかったが、美人として知られていたその容貌もやつれ果て、見る影もなかった。
エヴェリーナとサーラがミリアムを看ることに決まった。
エヴェリーナの魔力を乗せた歌がサーラの癒しの力を強める。
二人が同時に行動することで相乗効果が得られるのは明らかだった。
屋敷を引き払ったジャネタが向かった先も判明した。
セバスチアーンが突き止めたのだ。
場所はヴィシェフラドの郊外にある棄てられた神殿である。
離宮があるのとは正反対の北東の方角だった。
北東の遥か先にはワルショヴァがある。
アマーリエにはそれが単なる偶然とは思えなかった。
消しても消しても湧いてくる黒雲のように押し寄せる不安に苛まれ、彼女の気分は落ち込んでいく。
廃棄された神殿に向かうのはロベルトとビカン――そして、アマーリエとあひる部隊に決まった。
トマーシュも同行を申し出たが、コンラートに止められた。
王位継承権を持つ三人が危険な地に赴き何かがあったら、取り返しがつかなくなる。
そう説得されると反論することも出来ず、トマーシュは諦めた。
その代わりとばかりに腕が立つ近衛騎士を護衛代わりに付けることを約束した。
死地へと赴くことになったアマーリエは逡巡する。
今更のように感じるのはロベルトがどれだけ真面目で優しい人柄なのかと……。
王族としての務めを果たさなくてはならないと考え、トマーシュの名代として同行するのではない。
家族同然に育ったネドヴェトを案じての行動だったからだ。
(どこまでお人好し何だろう、この人は……)
だから、優しいお兄ちゃんではなくて、好きになってしまったのだとアマーリエはようやく気が付いた。
火照る顔を片手で仰ぎながら、ビカンもまた変な人だと合点した。
コンラートの息子であり、王弟であり、公子である。
全てを隠し、己に正直に生きる。
決して、楽ではないその生き様はアマーリエに眩しく、感じられた。
そんなビカンが自分のことを心配し、同行するのだと言う。
「君は目を離すと何をしでかすか、分からんからな」と言いながらも優しく、穏やかな目をしていた。
いつも通り口が悪い人なのだとアマーリエは思った。
あぁ、そういえば、ユスティーナもそうだったと思い出した靄がかった記憶にアマーリエの胸がチクッと刺すような痛みを感じた。
意地悪なことを言っているのも本心からではない。
怒りんぼのユスティーナは決して、怒っているのではない。
あくまでその目は優しかったことを……。
あひる部隊を率いる隊長にはウトカという名が付けられた。
「クワックワック」と鳴き声を上げるウトカはどことなく、誇らしげな顔をしているように見える。
実際には赤い三角帽を被り、愛くるしい瞳で見つめてくる愛らしいモフモフした生き物である。
ロベルトとビカンも「本当に大丈夫なのか」という顔を隠そうともしない。
「大丈夫よ。問題ないから!」とアマーリエがはっきり宣言すれば、そのような不安は払拭されるのだが彼女にもそんな宣言をする度胸はなかった。
(でも、かわいいは正義だから! きっと何とかなるはず! いえ、何とかしてみせるんだから)
根拠にもならない謎に満ちた自信を胸にアマーリエは、運命を変えるべく戦いに赴く。
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