第51話 あたしも自分に負けてなんて、いられない
古来より、人々は日蝕を恐れている。
アマーリエはその理由の一端を知った。
真の暗闇がもたらす深淵の恐怖が、人間の心にどれだけの影響を及ぼすのかを……。
それを知らずに生きていることが幸せなことを……。
一人きりであれば、動くこともかなわない未知なる恐怖。
初めて体験する墨で塗り潰されていくような世界を目の当たりにしたアマーリエは驚きに目を見開いた。
月明りも星明りも全く、感じられない。
周囲はまるで音を失ったかの如く、静寂に包まれていた。
光と音の無い世界の気味の悪さはこれまでに感じたことのないものだったからだ。
(これが真の闇なの?)
あひる部隊はアマーリエの恐怖を感じているのか、「クワックワッ」というお馴染みの騒々しくさえある鳴き声を発していなかった。
「あれが神殿か」
ビカンの絞り出すように上げた声も掠れていた。
アマーリエを不安にさせてはならないと彼女の手を握っているロベルトも動揺を隠せず、微かに体が震えている。
ともすれば逃げ出したくなる己の心との戦いを強いられていた。
それを心ならずも感じたアマーリエは己を奮い立たせるように自らに暗示をかけた。
自分に負けている場合ではないと……。
(
ユスティーナのことを考え、僅かとはいえ恐怖の和らいだアマーリエの視界にやがて入ってきたのは、かつて威容を誇った建築物のなれの果てだった。
魔力で灯された仄かな光に照らされた廃墟。
棄てられた神殿が果たして、彼らの前にその姿を現したのである。
往時の面影はほとんど残っていない。
総石造りの神殿は近世の建築ではまず見られない様式だった。
辛うじて残っているのは外郭だけであり、屋根はほとんどが崩れ落ちていた。
彫刻が施された屋根だったと思しき残骸と途中で折れた柱が散乱しているだけだ。
ほんのりとした明るさで照らす魔力の灯が風景をどこか幻想的に見せていた。
その場にいた者の誰しもが暫く、動くのを忘れるほどに……。
その時、耳をつんざくような音とともに地面から、大きな土煙を上げ、巨大なナニカが出現した。
四匹のナニカである。
「ギャオオオオ」
耳障りな咆哮を上げ、地響きを立てながら、にじり寄ってくる。
生物図鑑に載っている大型の爬虫類――オオトカゲやワニ――それらもまた獰猛で凶悪な見た目で知られている生き物である。
だが、それらですら咆哮を上げるナニカには遠く及ばない。
大きさからしてまず、桁違いだった。
何とも言えない威圧感を放ち、矮小な生物を見下すようにアマーリエ達の遥か上から、見下ろすナニカ――ドラゴンである。
アマーリエの背を冷や汗が一筋、伝っていく。
しかし、それは
ロベルトとビカン。
それに近衛騎士らは明らかに辛そうな表情になっていた。
アマーリエは竜の血を引くネドヴェト家の血筋。
御伽噺がこう伝えている。
竜の咆哮に一種の呪いがあると……。
他の生物を委縮させ、硬直させる恐るべきハウリング。
竜の血を引かない者に耐性がないのも致し方ないことだった。
「ここは
「でも、先生!」
ビカンは未だにやや青褪めた顔のままだった。
そんな彼を心配したアマーリエが、抗議の声を上げるがビカンは片手でそれを制する。
「私を誰だと思っている。この程度の
そう言うとビカンは僅かに口角を上げ、ふっと笑みを浮かべた。
いつになく、優しくて穏やかな目をしていた。
「ビカン先生。無理はしないでください」
「先生。この子達が一緒に戦ってくれます。だから、いいですよね?」
「ああ。好きにしたまえ。さあ、早く行きたまえ」
「クワッ! クワック!」とつぶらな瞳をややキリッとさせたあひる部隊の隊長ウトカが気合を入れる。
あひる部隊は隊員の気合も十分だった。
(どうか誰も死なないで先生を守って……)
アマーリエはなぜか、ウトカが不敵な笑みを浮かべたように感じた。
それでも後ろ髪を引かれる思いを捨てられないアマーリエだったが、振り切るように足を進め、先を急ぐのだった。
ユナを必ず、助ける。
そして、光を取り戻すのだと心に決め……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます