第2話 どうか、あたしを殺してください

 アマーリエはそれから、何の授業を受け、どうやって帰宅したのか、全てを思い出せなかった。

 ロベルトとの一件が彼女にとってあまりにも衝撃的だったのだ。

 その為、軽い記憶障害を起こしていた。


 いつもと違い、食欲も元気もないアマーリエは食事をとる気にはなれず、夕食の席を断るとそのまま部屋に戻った。

 アマーリエの存在はネドヴェト家の食卓にとって、かかせないものだった。

 常に元気いっぱいに話しかける彼女のお陰で暗くなりがちな場面でも明るくなっていたからだ。


 自室に戻ったアマーリエは疑問を反芻するように小首を傾げていた。

 夕食を断った時、ミリアム母親の顔が青褪めていたのが不思議で堪らなかった。

 アマーリエにはその理由が皆目、見当がつかない。


 彼女は元来、考えることがあまり、得意ではなかった。

 考えるのよりも先に体が動いてしまう。

 姉妹の中では次女のユスティーナがアマーリエと似た性格をしており、そのせいか、ぶつかることも多かった。


 暫し、思案してとりとめのない考えに陥りかけたアマーリエは、やがて考えるのをやめた。

 簡単に結論を出すことにしたのだ。

 何か、ショックを受けることでもあったのかな?

 エヴァエヴェリーナのことだろうか?

 あの子は体が弱いから。

 きっとそうに違いない、と思うことにした。


(エヴァは優しくて、皆に愛されているから。あたしと違って)


 病弱で臥せっているエヴェリーナは、家族の中で誰よりも優しいのだから、それも当然のことだとアマーリエは納得した。

 しかし、頭でそうは考えても心は正直である。


 ふとアマーリエの心を過ぎったのは自分が夕食を断ったせいではないかという微かな希望のぞみだった。


(それはない。誰もあたしのことなんて、気にも留めてないんだ。あたしが何をしようが、どうなろうが、誰も気にしてない。愛されてないんだから!)


 軽くかぶりを振るとアマーリエは自らの抱いた考えを否定する。


 愛されてないから、誰かに愛して欲しい。

 振り向いて欲しい。

 愛されようと精一杯、頑張った。


 アマーリエの元気は空元気だったのだ。


(だけど、もう疲れちゃった……)


 既に夜の帳が下り、満天の星が瞬いていた。

 アマーリエが窓を開けると夜風が入ってくる。

 肌寒く感じるのは彼女の夜着が、薄着なせいだった。


 あまりにも勢いよく、開けたせいで危うく落ちかけた彼女はふと考えた。


(痛いのはイヤよ……)


 アマーリエはそのまま、夜空に吸い込まれそうになり、嫌な考えに陥るがすんでのところで我に返った。

 こんなことだから、いけないのだと窓を閉めようとして、ふと気が付いた。


「あれ? 流れ星かな?」


 夜空で一際、眩く輝きを放つ星が彼女の目を捉えて、放さなかった。




(そそっかしいあたしでも心配してくれるのかなぁ)


 空に浮かぶ三日月が、青白い光をアマーリエに投げかけていた。

 演じることに疲れ果てていたアマーリエは月と星に願いを掛けようと思い立った。


「女神様。どうか、


 誰からも愛されない自分にも銀色の優しい光を投げかけてくれる月なら、助けてくれるかもしれない。

 もしかしたら、願いを聞き届けてくれるかもしれない。

 そんな思いがアマーリエの心に浮かんでいた。


 単なる気休めに過ぎなくとも縋りたいほどに彼女の心は疲れていたのだ。




 アマーリエは目をしばたかせた。

 自分が気が付かないうちに、夢の世界に旅立っていたのだと彼女は考えた。

 それほどに不思議な光景が広がっていた。


 月光を思わせる優しい煌きを見せる髪は白金色をしていた。

 長い髪が風に靡き、見惚れるほどに美しいとアマーリエは感じた。

 マリーマルチナより、きれいかもしれない。

 アマーリエにとって、身近でもっとも美しく、誇りに思うのは一番上の姉だった。

 姉の姿を思い浮かべ、それ以上にきれいだと思う少女が目の前にいて、花笑みを見せていた。


 少女の視線はアマーリエを値踏みするように見つめていた。

 瞳は紅玉ルビーのように輝き、キラキラとした彩りを見せている。

 猫を思わせる目がまるでアマーリエを獲物と認識しているかのようだった。


 しかし、アマーリエの胸は恐怖でなく、不思議にも高鳴りを覚えていた。


「本当にそれでいいの?」


 声は出ていない。

 少女の唇は確かにそう紡いでいるようだった。


「はい。女神様。お願いします」


 アマーリエは迷わず、答えた。


(もう疲れちゃった。愛されないのにこれ以上、何をすればいいのか、分かんない。だから、もういいの)


 諦めることで心を殺してしまった彼女にはそれ以上、考えることが出来なかった。


「そう。じゃあ、あなたにとっておきの魔法をかけてあげるわ」


 少女――の口許が緩やかな弧を描く。


(あたしもあんな風に笑いたい。愛されたい)


 そう思いながら、アマーリエの意識は深い闇の底へと沈んでいった。

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