第30話 あたし、見たんです

「好きなところで寛ぐといい」


 一行はビカンの研究室へと案内された。

 アマーリエはビカンの部屋が相変わらず、汚かったことになぜか安心感を抱いていた。

 だが、なぜそう思うのかは分からない。

 それがもどかしくもあり、アマーリエは少々不機嫌になった。


 机の上には書類の束が乱雑に積まれており、今にも崩れそうである。

 本棚には無造作にただ、入れておいたとしか見えない縦積み、横積みにされているだけだ。

 床にまで入りきらなかった本が散乱している。

 足の踏み場もないとはまさにこのことだった。


「は、はい」

「はあ」

「先生。やっぱり、あたしが掃除を……」

「余計なことはしないでもらおうか、ネドヴェト嬢」

「は、はぁい」


 以前、部屋のあまりの汚さに見かね、アマーリエは掃除をしたことがある。

 ビカンは迷惑そうな顔をするものの許可を出した。

 だから、断りにくいのも大きかった。


 だが実のところ、アマーリエは掃除をまともにしたことがない。

 自分の部屋を片付け、整理整頓をすることがあったとしても掃除をしたことがなかったのだ。


 何もアマーリエに限ったことではない。

 ネドヴェト家の娘はマルチナも同じようなものだった。

 ユスティーナはと夢を持っているのが大きい。

 毛ばたきやほうきを片手に屋敷の中を駆け回る彼女の姿をアマーリエはよく覚えている。


 だから、アマーリエはそれを手本とすることにした。

 ユスティーナがしていたようにとりあえず、目に付いた物を片っ端から捨てることに決めた。

 結果として、掃除を始めようとした段階で「それはそこに置いておきたまえ、エミーアマーリエ」とビカンの雷が落ちたのは言うまでもない。

 何とも理不尽な雷だと思ったが下手に逆らったりすれば、より面倒なことになるのが分かっているアマーリエは素直に言うことを聞いた。


(先生にとってはこの魔境の方が居心地がいいのかしら?)


 そう考えると彼女も少しは腹の虫が収まった気がするのだった。




 アマーリエはビカンが余所見をしている時にそれとなく、邪魔な本をどけた。

 辛うじてではあったが、三人の腰掛けられるスペースが出来上がった。

 ロベルトとユリアンは戸惑っているのだとアマーリエは感じた。

 二人は恐らく、研究室を訪れたこと自体が初めての体験に違いない。

 それくらいに挙動不審な態度を取っている。


 そこでアマーリエは慣れていない二人のサポートに徹することに決めた。

 現段階で分かっていること。

 疑問に思っていること。

 それらをつまびらかにしたディベート形式での話し合いが行われることになったが、アマーリエには二人の様子が甚だ、不安要素に思えてならなかった。


 しかし、彼女の予想に反して、ディベートであるのが影響した。

 かなり白熱したやり取りが行われることになった。

 そのせいか、彼らが考えていた以上に時間が経った。


 その間、ビカンは口を挟むこともなく、沈黙を守っていた。

 時折、何かをブツブツと呟くだけである。

 そして、ビカンがついに動きを見せた。


「ネドヴェト令嬢。ポボルスキー令息」


 呼び方がさらに他人行儀になっているとアマーリエは感じた。

 他人であるのに間違いはない。

 だが少しくらいは認めてくれたのかと思っていたのは自分の勘違いに過ぎなかったのかと思い、彼女はいくばくかの寂しさを覚えた。


(でも、ユリアンのことも仰々しく、呼んでるわ。単なる気のせいかしら?)


 元来、あまり考えない質のアマーリエはそれ以上、気にすることをやめた。

 それよりも自分達の話を聞きながら、辞書のように分厚い本に目を通しているビカンの翡翠色の瞳が気になっていたからだ。


「君達の話を聞いて、不自然な点があるのに気付いた。君達は何も気が付かなかったのかね?」


 ビカンはスッと目を細めてるとアマーリエとユリアンに鋭い視線を向けた。

 悪いことをしてないのに何だか、怒られているようでアマーリエはそわそわしてくる自分を抑えられ素になかった。


「二人とも大事なことを話していないな。話したまえ」


 有無を言わさない強い言い方だった。

 ロベルトは何のことを指しているのか、分かっていない。

 腑に落ちない顔でただ首を傾げるばかりだ。

 ビカンから、厳しい視線を送られるアマーリエとユリアンを心配し、それを隠そうともしないのはロベルトらしい態度だった。


 アマーリエにはビカンの言っていることが嫌と言うほど、分かっている。

 自分が小説『淑女レディへの子守歌ララバイ』のことに違いないと彼女は睨んでいた。

 ユリアンが何を隠しているのかと気になって仕方がないアマーリエだが、自分から話をしない限り、ビカンが許してくれないとも気付いていた。

 ユリアンにはまだ迷いがあるようだった。

 そうである以上、アマーリエは自分が先に話すしかないと覚悟を決めた。


「あたし、見たんです」

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