第33話 いつもにはもう戻れないんだから

 アマーリエの知らないことをたくさん知っているビカンは、彼女にとって道標のような存在になりつつあった。


 何も分からず、霧の中にいると感じていたアマーリエにそれがどれほど、心強いことなのか。

 そして、段々と景色が見えてきた気がする。

 彼女は薄っすらとそんなことを考え始めていた。


 一方、成績優秀で勉強が出来る生徒であるロベルトとユリアンは違った反応を示している。

 ビカンの話をほぼ理解しながらも逆に理性的なところが足枷となっていたのだ。


 ジャネタ・コラー。

 グスタフ・コラー。

 ベアータ。

 の中に出てこない

 彼らがいることで何かが変わった。

 それだけは確かな事実だった。


 話が白熱したこともあり、いつの間にか、お昼になっていた。

 三人が何よりも驚いたのはが、ランチを出したことだ。

 それも手作りのランチである!

 「何を驚いた顔をしている? 私もご飯くらい食べるさ」とビガンは真顔で言ったが、随分と手慣れた手つきで用意したのが、三人をさらに驚かせることになった。


 確かに簡単な物である。

 干し肉と葉野菜をパンで挟み、フラスコに入った謎のソースをかけた。

 料理ではあるが料理と言うにはいささか、簡単な代物だ。

 だが、美味であることから、三人の顔にいつしか笑顔が浮かんでいた。


 しかし、その時アマーリエの脳裏を過ぎったのは謎のソースがずっと机の上にあったという事実だった。

 気にしたら、いけないのかもしれない。

 そう考えることで彼女は現実逃避をすることにした。




 日が落ちるまで話し合いは続いた。

 アマーリエとユリアンの夢の話の擦り合わせを行い、おかしなところがないのかを検証するだけでも中々に骨の折れる作業だった。


 ユリアンも夢で見たことを未来の出来事と信じていたことが明らかになった。

 そうならないようにと考えた末、ロベルトとアマーリエが必要以上に親しくならないのが最善であるという結論に辿り着いたのだ。

 ロベルトがアマーリエと距離を置こうとした妙な態度や言動を取った真相である。

 ロベルトにも何か、言いたくない事情があるのか、いつも朗らかな表情を絶やさない彼にしては珍しく、難しい顔をしている。


 そして、真相が分かったもののアマーリエは複雑な気分であるのに変わりがなかった。

 彼女の心が受けた傷は決して、浅くない。


(あたしのことを考えて、心配して、ああいう行動をしていたんですね!)


 そんな風に簡単に飲み込めるほど、アマーリエは大人ではなかった。




 ユリアンにまだ、聞きたいことがあるとビカンが言い出したのでユリアン一人を残し、ロベルトとアマーリエは帰ることにした。

 ビカンの言い分ではサーラがこれまで発現していなかった癒しの力を見せたことで色々と聞きたいことがあるようだ。

 癒しの力はとても珍しいものである。


 ビカンは魔法に精通している。

 それは表に出ない裏の事情にも通じているということだ。

 ビカンはとしては助言という形に留めず、何かをしてやりたい気持ちが強く、そういう行動を取ろうと思ったのだった。




 ロベルトと二人きりのカブリオレに乗っているアマーリエは複雑な気分の中にいた。

 話し合いで知った真実で頭の中は混乱を極めていた。

 こんがらがった毛糸のように複雑な状況に彼女は対処する術を知らなかった。

 彼女がロベルトのことをずっと好きだった気持ちは決して嘘ではない。

 それだけは変わらなかった。

 身近にいる頼りになる兄のような存在。


(かっこよくて、優しくて、憧れの存在だったから)


 だが、この思いに待ったをかけたのが例の夢である。

 この好きは報われない好きだと気付いてしまった。

 だから、アマーリエは諦めた。

 それなのに夢は啓示だったのだと言われたのだ。

 訳が分からなくなり、混乱するのも無理はない。


 ロベルトのことは嫌いではない。

 しかし、好きかと問われれば、分からないと答えるしかない。

 それが彼女の出した答えである。


「僕も自分がやれることをやるよ」

「え?」


 ロベルトは呟くように不意に声を上げた。

 力がない声だったが、彼の決意が込められている。

 アマーリエは確かにそう感じていた。


「だから、もうちょっとだけ、待っていてくれないかな」

「ん? 何の話なの、ロビーロベルト

「何だろうね。僕とエミーアマーリエだけの秘密だよ」


 そう言うとロベルトは少し、悲しそうな顔をして薄っすらと笑みを浮かべ、手綱を握ることに集中した。

 アマーリエには何のことだか、分からないので首を捻るしかない。


「あれ? おかしいな。これは一雨くるかもしれない」

「珍しいね」

「そうだね」


 そこから、ポボルスキー邸に着くまで会話らしい会話はなかった。

 互いに口を開いてはいけないような不思議な空気があったからだ。

 アマーリエは思った。

 自分が無駄に元気を振りまき、話しかければ、いつもと同じに戻れたのかもしれないと……。


 だが、そうしてはいけないのだと誰かに止められた気がして、アマーリエは沈黙を貫いた。


(だって、それではいつまで経ってもロビーは優しいお兄様で王子様で終わっちゃうから)


 いつもにはもう戻れないのだと彼女は悟った。

 自分もロベルトも……。


 いつもはきれいに見えてた夕焼けの空を黒い雲が覆っていた。

 今夜は嵐が来るのかもしれない。

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