第32話 いないはずの人がいるのね

「文献によるとだ。神は古の昔から、ちょくちょく人間の前に姿を現していたものらしい」

「そんなことが本当にあったんでしょうか?」


 ビカンの話にユリアンは半信半疑という姿勢を崩さない。

 付議しな夢を見たのであれば、自分と同じを見ているはずなのにそれがアマーリエには分からなかった。


 ロベルトは当事者の一人でありながら、夢を見ていない。

 だがビカンが話に出した神々の話に疑問を抱いている素振りを見せなかった。

 これには理由があった。

 不可思議な存在を身近に感じられる環境で育ったことが大きい。

 ロベルトを始めとした王家、ネドヴェト家の先祖には人ならざる者の血が混じっている。

 神話や伝説の話ではない。

 奇しくもベラドンナの毒でそのことが証明された。


「あったのだろうよ。君達は見たのだろう? 己が見た物を否定することは己を否定することに繋がるとは思わんかね、ポボルスキー令息」

「あ、そ、それは……その、はい」


 強気なビカンと弱気なユリアンでは勝負するまでもなく、決着が付いていた。

 押し切られるように頷くしかないユリアンでははなから勝負になっていなかったのだ。


「つまりだ。この世界を演劇や小説といった虚構の物と考える人間は昔から、いたということだよ。彼らは全てが虚実の上に描かれた物であると思い込む傾向が強かったようだ」


 そこでビカンはまた、一呼吸置く。

 敢えて、考える時間を与えるかのように……。


「それゆえに未来を知っている。未来は決まったものだという考えにも陥りやすいのだよ。違うかね? だが、違う。違うのだ」


 不思議な言い方だった。

 それは夢を見たアマーリエとユリアンに向けて、言っているという様子ではない。

 まるで自分自身を責めているようだった。


「未来は決して、決まっていない。未来は変えられるのだ。君達もそう考えたのではないのかね?」


 そして、再びビカンが一呼吸置いた。

 生徒三人に向ける翡翠の色をした瞳はなぜかどこまでも優しい色が溢れていた。

 アマーリエは危うく、引き込まれそうになったと錯覚を覚えた。

 まるで心を見透かそうとでもいうように強い眼差し。

 不思議な感触にアマーリエは自分の心臓がうるさくなるのを感じた。


「君達の話を聞いて、私は一つの結論に至った。君達が見たのは未来ではない。これは啓示だよ」

「「啓示……」」


(ロビーロベルトとユリアンは分かったの!? あたしには何のことか、分かんないんだけど。けいじ?)


 アマーリエは啓示が何を意味しているのか、とんと分からない。

 ただ、首を傾げるばかりだ。


「ふむ。ネドヴェト令嬢はどうやら、分かっていないようだな。君は心を入れ替えてもまだまだ、勉強が足りていないようだ。特別授業といこうか」


 アマーリエはビカンの意地悪な顔を見るのは久しぶりだと思った。

 獲物を前にした猛獣はあんな顔をするに違いないと確信し、思わず吹き出しそうになったアマーリエに向けられるビカンの視線に容赦はない。


(でも、そのくらいであたしは怖がったりしないからね?)


 真っ向から迎え撃つように睨み返したアマーリエだったが、その心が折られるまでにさして時間を要さなかった。


(ごめんなさい……)


 アマーリエは心の中では素直に謝罪していた。

 啓示について頭が痛くなり、熱が出そうなほどに長々と説明されたからだ。

 嫌味がたっぷりと混ぜられたありがたい説明にロベルトとユリアンからは同情的な視線が向けられている。


 だからといって、二人はアマーリエに助け舟を出さない。

 アマーリエは後でどうやって、仕返しをしてやろうかと考えることで辛い時間をどうにか乗り切ることにした。




 アマーリエは啓示が神々から、与えられるアドバイスのようなものであると何とか理解した。

 ほとんどの啓示はもっと断片的な物であり、予言に近い。

 捉え方次第でどうにでも解釈が可能な代物であることを彼女は受け入れた。

 そして、二人の見た夢が分かりやすかったのはとても、珍しい事例なのだということも分かった。


 愛の女神は神々の中でも特に気紛れなことで知られていた。

 過去にも気に入られたという理由だけで不思議な体験をした人間がいる。

 ビカンは例の分厚い本を開き、説明を終わらせた。


 とりあえず、分かった振りをしてアマーリエは頷く。

 彼女の態度はあまりにも分かりやすい。


「そうである以上だ。ここで見落としてはいけないことがあるのに気付いたかね?」

「はい」

「ええ」


 ロベルトとユリアンは真剣な眼差しで強く、頷いた。

 既に答えが分かっているようだ。


(何かしら? 見落とせないことって……)


 アマーリエはそこでようやく、はたと気が付いた。


がいるのね!」


 ベアータは夢の中で一切、出てこない。

 しかし、それだけではないことに彼女は気付いてしまった。

 ジャネタ・コラーとグスタフ・コラーもいなかった。


(彼らは一体、誰なの?)


 浮かび上がった新たな謎にアマーリエは恐怖した。

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