第20話 これ、あひるちゃんよね?

 ベアータはアマーリエを追いかけようとはしなかった。

 追いかけようと思えば、いくらでも出来るのにも関わらず、全くその素振りを見せない。


 ネドヴェト家の一切を取り仕切る女主人であるミリアムはそれほど、背が高くない。

 彼女の娘である四姉妹の長女と次女であるマルチナとユスティーナも小柄ではないものの特別、大きくはなかった。

 恐らくは平均的な身長程度である。


 ところがベアータは違った。

 ほぼ同じくらいの背丈のマルチナとユスティーナより、頭一つは確実に高い。

 手足も長くて、スラッとしていた。

 その手足で追っかけられたのであれば、十二歳の小柄な少女に過ぎないアマーリエではひとたまりもない。

 それなのにそうしようとはしなかった。


(あたしが戻ろうがどうでもいいってことかしら?)


 アマーリエの考えは強ち、間違っていない。

 ベアータにとってはアマーリエがいようがいまいが、その動向を気にする必要性がなかったのだ。




「|エミー《アマーリエ。慌ててどうしたの?」


 誰の目もないことを確認してから、アマーリエはエヴェリーナの部屋に滑り込むように入った。

 エヴェリーナは泡を食った様子で入ってきたアマーリエの様子にキョトンとした顔をしている。


 目が合うとしっかりとしているエヴェリーナの表情にアマーリエは安心した。

 どうやら、かなり回復しているようだと見るからに分かったからだ。

 顔色も大分、よくなっていることが分かった。

 ちょっぴりとふっくらしたように見えるので健康を取り戻しつつあることが、一目で見てとれた。


エヴァエヴェリーナ。すぐに動けそう?」

「ええ?」


 アマーリエの突然の言葉にエヴェリーナの目が点になった。

 蒼玉サファイアの色をした瞳は僅かに揺らいでいる。

 自分と同じ瞳の色を見つめることになったアマーリエは何とも不思議な気分にもなっていた。


 だが、今はそのような感傷に浸ってるいとまがない。

 急がないといけないのだとアマーリエは気持ちを引き締める。


 自分は説明をするのが得意ではないと誰よりも分かっていた。

 得意ではないどころか、むしろ苦手ですらあったのだ。

 しかし、残された時間がないという焦りがアマーリエの迷いを消した。




 うまく説明が出来たという自信はまるでなかった。

 アマーリエの説明は稚拙で分かりにくかったからだ。

 だが、エヴェリーナは解読し、理解することに成功していた。

 きっと彼女は自分よりも頭がいいのだろうとアマーリエは、一人合点する。


「本当にそんなことが出来るの?」

「うん。出来るはず。先生が教えてくれた」

「へぇ」


 そして、アマーリエは今、一枚の絵を描き上げ終わった。

 エヴェリーナの肖像画だった。

 アマーリエの目の前にいるエヴェリーナはまだ栄養が足りていないことが遠目にも分かる細い体のままだったが、血色がよくなったお陰か、そこまで不健康そうには見えない。

 ところが絵の中のエヴェリーナは以前の彼女の姿、そのものだった。

 骨に皮が付いているだけで今にも命の灯が消えそうな姿は、鬼気迫るものがあった。


「これで大丈夫よ。こうやって、目を描いて色を塗ったら……」

「あら。すごいわ」


 ベッドの上で眠る病身のエヴェリーナが、現れたのである。

 我ながら、いい出来だと自作に満足するアマーリエだったがさすがにじっくりと観察されたら、バレそうなことに気が付いた。


「時間稼ぎにはなると思うの」

「そうね。でも、エミー。ここから、どうやって出るの? 二階なのよ」

「それなんだけど、いい考えがあるの」


 アマーリエは自信満々でアイデアを披露した。

 エヴェリーナは首を捻るしかない。

 アマーリエの記憶にある限り、エヴェリーナが眉間に皺を寄せたり、難しい顔をしたことはなかった。

 そのエヴェリーナが今、目の前で難しい顔をしているのだ。


「ねぇ、エミー。これ、あひるちゃんよね?」

「そうよ、アヒルちゃんよ」

「飛べるの?」

「た、たぶん?」


 アマーリエがスケッチブックに描こうとしたのは二人を乗せて、大空へと羽ばたく大きな鳥だった。

 彼女にとってはそのはずだったのだが、気が付いたらあひるちゃんになっていただけのことである。


 丸っこい。

 黄色い。

 ふわふわ。

 かわいい。


 つぶらな瞳に小さな翼がチャームポイントのマスコットにしか見えない代物だった。

 飛べるのかと聞かれたら、描いたアマーリエ本人も「さぁ?」としか答えようがなあった。

 どうしてこんな物を描いてしまったのか。

 自分でも分からずにアマーリエも首を捻るのだった。

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