第5話 淑女への子守歌

「ふわぁ~」


 ゆったりとした動作で体を起こしたアマーリエは、大きく腕を伸ばし微かな違和感を覚えた。

 随分と長い時間を寝ていたような妙な感覚である。

 体のあちこちに痛みがあり、頭の奥の方を針で刺されたようにチクッとした僅かな痛みを感じた。


「あれ?」


 自分でやった覚えがないのに髪が三つ編みになっていることに気が付き、アマーリエは素っ頓狂な声を上げる。


(あたしの髪って、こんな色だったかな?)


 彼女を優しく照らすように窓から、銀の光が射し込んでくる。

 月の光に照らされ、アマーリエはようやく思い出した。


(月の女神様が願いを聞き届けてくれたんだわ)


 アマーリエの心は不思議と晴れ晴れとしていた。

 もう何も感じなかった。

 今までなんて、無駄なことをしていたのだろうかと思えてくるほどに……。


(愛されたいなんて、願ったからいけなかったのよ。最初から、そんな思いを捨てれば、良かったんだわ。何でこんな簡単なことに気が付かなかったのかしら?)


 そして、早く、こうしていれば良かったのだと結論付けることにした。


(あたしはエミー。でも、エミーだけど、エミーじゃない)


 彼女の中で新たな思いが生まれた。


 誰にも愛されなかったアマーリエは傷つき、眠っている。

 心の奥深くで傷つき、涙を流しながら、眠っている。

 誰も入って来れない茨に守られ、眠っている。




「忘れないように書いておこう」


 まだ、痛む節々を無視し、何とか起き上がったアマーリエは筆記具を手に暫し、考えに耽った。


 彼女は気が付いてしまった。

 ここは小説の世界だということに……。

 そして、題名を思い出した。


「確か、『淑女レディへの子守歌ララバイ』だわ」


 貴族の家に生まれた四姉妹の愛憎物語だった。


 慈愛に満ちた母親ミリアム。

 聡明な長女マルチナ。

 快活な次女ユスティーナ。

 心優しい三女エヴェリーナ。

 四女のアマーリエはおしゃまな子。


 アマーリエは燃え上がる炎のように赤い髪とサファイアのように澄んだきれいな瞳をした人形のように可愛らしい女の子。

 誰からも愛される末っ子。


 しかし、アマーリエは大きくかぶりを振る。


(そんなの全部、嘘じゃない)


 エミーは自分が愛されていると感じたことがなかった。

 愛されたいと願い、どんなに明るく振る舞おうと報われた試しがないと感じていた


 父親も顔もよく知らない父親と名乗る髭もじゃのおじさんという認識しか彼女の中にはない。

 それでも数回しか、会ったことがないその髭もじゃのおじさんの大きな手に抱っこをされ、頭を撫でられると嬉しいと感じていたのも事実だった。


(でも、あなたが戦争に行ってるから、エミーは生まれた日すら祝ってもらえないって、知ってた?)


 アマーリエの中で静かな種火のように怒りが燻り始めていた。


(奴隷を解放する正義の戦いだから、仕方ないって? エミーもずっとそう思ってた。だけど、もう限界なのよ)


 姉の代わり。

 姉のお古。

 姉のスペア。


 そう思われることにアマーリエは疲れてしまった。

 だから、眠りたかった。

 全てに耳をふさぎ、目を閉じたかった。

 燻っていた種火が確かな炎へと変わった瞬間だった。


(あたしは何をすれば、いいのかしら? 小説の中ではどうなっていたのか、思い出さなきゃ!)


 アマーリエの手は止まらない。

 紙に次々と登場人物の名を記していく。


ロビーロベルトかぁ」


 四姉妹とロビーの名を書いたアマーリエは一人、頷く。

 ロベルトがキーマンなのは間違いないと確信していた。


 そして、彼女は小説の一節を思い出すと苦々しい思いに囚われた。

 ロベルトが好きなのはユスティーナだったからだ。

 しかし、ユスティーナは恋愛に興味がなく、ロベルトの片思いに終わる。


(可哀想なロビー。でも、もっと可哀想なのはエミーなんだから。そんなロビーのことが大好きでユナの代わりとしか、見ていない彼のことを一途に愛して、そして……。死ぬんだ!)


 ロベルト第二王子はとても優れた人物として、描かれていた。

 剣を取っても騎士になれるだけの実力を持っている。

 勉学に励み、真面目な人柄に加え、何よりも優しい男だった。

 第一王子のトマーシュは正当な血筋というだけで無能で残忍な性質で描かれていた。

 このままでは国の未来が危ういということになり、ロベルトにも王位継承権を与えるべきという話になるのが小説の筋だった。


 これに危機感を持ったのが、トマーシュの母親である王妃ディアナだった。

 息子のトマーシュをけしかけ、ついに悲劇が起きた。

 暗殺者に襲撃されたロベルト。

 騎士になっていたユスティーナが助けに来て、形勢は逆転するが、油断したところを振りかざされた凶刃がロベルトに迫る。

 その時、自らの身体を盾にして、彼を守ったのがアマーリエだった。

 そのお陰でロビーは窮地を脱し、暗殺者を撃退することに成功する……。


「あんたって子はどうして、こんな無茶を!」

「エミー! どうしてなんだ」


 ロベルトの胸に抱かれた血塗れのアマーリエの命の灯が消えた。

 こうしてアマーリエは物語の途中で退場するのだ。


「あぁ、ないない」


 憤慨するように何もない宙に向かって、否定の言葉を吐いたアマーリエは一人、決意した。

 ユスティーナとロベルトを避ければ、小説と同じにはならないだろうと考えたのである。

 彼女の中で愛されようとするだけ、無駄だという式が成立している。


(小説での最期まで愛されないって、どういうこと?)


 アマーリエの心の中で湧いた微かな疑問に答える者はいない。




 母親であるミリアムと長女のマルチナは優しい女性である。

 だが、そこにあるのはただの優しさではない。

 本音と建前がある。

 小説の内容を思い出し、ようやく、気が付いたアマーリエだった。


(エヴァエヴェリーナはどうだった? 思い出さなきゃ、エヴァはどうなった? あの子には表も裏もないのに……)


 つい癖で親指の爪を齧ろうとして、はたとアマーリエは閃いた。


「エヴァも死ぬんだわ」


 エヴェリーナの病気は決して、仮病ではない。

 本当に重い病に陥っているにも関わらず、我が身よりも妹アマーリエのことを気にかける。

 それが三女のエヴェリーナという少女の本質である。

 しかし、このままでは一年後、エヴェリーナの症状はさらに重くなっていき、衰弱死するという未来が小説の中で描かれていた。


(どうすれば、いいのかしら? エヴァはみんなに愛される子だし……)


 アマーリエは元来、考えるのが苦手な娘である。

 悩んでも仕方がない。

 結局、彼女はエヴェリーナに会ってから、考えればいいと思うことにした。


 大事なメモを隠すとアマーリエは再び、夢の世界へと旅立つのだった。

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