第37話 ロビーだけが、何も分かってないような顔してる

 アマーリエは考えていたよりもずっと、穏やかな日々を過ごしていた。

 このようにのんびりとしていて、いいのだろうかと思うくらいに……。

 ポボルスキー伯爵家の邸宅はネドヴェト家にいた時よりも遥かに心が穏やかでいられる場所だった。


 そして、アマーリエにとって、小さくない変化は心境にも表れていた。

 サーラは大事な親友なのだ。

 そう大きな声を上げ、宣言しても決して恥ずかしくはないと考えられるようになっていた。


 何気ない会話を交わすだけでも楽しく感じ、一緒にいるだけで心は弾む。

 アマーリエがそのように前向きな気持ちを抱けること自体が大きな成長でもあった。


 しかし、残念ながらユリアンとアマーリエの間にそれほどの信頼関係は築かれていない。

 女神の夢が少なからぬ影響を与えているのか、二人の間にまるで見えない壁のような物があるかのようだった。


(これが心の壁とでも言うものかしら? そんなこと考えるあたし、ちょっと大人みたい)


 ふとそんなことを考えたアマーリエはつい口走った。

 本人は全く、無自覚に「ちょっと大人みたい」と……。

 意外なことに普段、舌足らずな喋り方をするサーラが「大人の女はそーいうこと言わないわ」とぴしゃりと言い出すとは誰も予想していない出来事でもあった。


 ロベルトも毎日のようにカブリオレを駆り、ポボルスキー伯爵邸を訪れている。

 学園に行くにせよ、コンラートの離宮に行くにせよ、ロベルトのカブリオレを利用すれば便利なことこの上ない。

 ロベルトのことを嫌っている訳ではない。

 合理的に考えた末の結論だった。


 アマーリエはそう考えることで現実から目を背けようとしたに過ぎないのだ。

 前のように彼のことを無条件で好きな訳ではないと思い込むことによって……。


「あのね。エミー……いや、何でもないんだ」

「ふぅん。変なロビー」


 距離を置いたのではない。

 適切な距離感が保たれているはずだった。

 それなのにロベルトの態度がどこか、おかしいとアマーリエは確かに感じていた。

 ロベルトは何かを言いたげでありながら、決して言葉にはしない。

 そんな二人の様子を見ているユリアンも含むところがあるのか、声をかけようかと迷う素振りを見せた。


 それがあまりにもどかったのか、アマーリエはついに我慢が出来なくなり、ユリアンを問いただした。

 彼にはどうにもサーラよりも気が弱いところがあった。

 しかし、アマーリエに気圧されたように口を開いたものの肝心なことは伏せていた。

 「殿下との約束なので言えません。彼から、直接聞いてください。お願いします」とはぐらかしていた。


(そのうち、ロビーロベルトが教えてくれるのかしら?)


 そう考えたアマーリエだが、すっきりした気分にはなれなかった。


 エヴェリーナはコンラートの離宮で順調に回復している。

 十分な食事をとり、ゆっくりと休んでいた。

 それだけではない。

 髪や肌の手入れまでもしっかりとなされている。


 やつれたエヴェリーナを知っている者が現在のエヴェリーナの姿を見れば、もはや別人と見えるくらいに見違えていた。

 とんでもない美少女がもう一人、姉にいたのだと思い知らされたアマーリエは軽くはない衝撃を受けた。

 自分とは違い、鼻筋が通ったすっきりとした顔立ちのエヴェリーナは上の姉二人に負けずとも劣っていないと感じていた。

 ぱっちりとした目が僅かに潤み、輝いていた。

 手入れが行き届いたオレンジブラウンの長い髪も艶々としている

 誰が見ても美人と評判の長姉マルチナ。

 エヴェリーナも決して負けてはいないと思うアマーリエだった。


 しかし、アマーリエにはどうにも気になることがあった。

 きれいになり、すっかり明るい調子を取り戻したエヴェリーナとユリアンの距離が縮まっているように見えたからだ。

 二人で仲良く会話をしており、笑顔の絶えない様子が垣間見られた。

 二人は恋をしているのだろうかと怪しむアマーリエだが、はっきりとした確証は得られていない。

 彼女自身が恋がどういうものなのかと分かっていないのが大きかった。


「あれって、そういうことかしら?」

「お兄ちゃまも意外とやるってことね」

「そうよね」


 サーラも薄っすらとは気が付いてるらしく、アマーリエとの間に意味深な言葉のキャッチボールが行われる。

 そんな会話をしていれば、当然のように近くにいるロベルトの耳にも入るのだが、彼だけが、何も分かっていないような顔をしていた。

 本当に分かっていないのか。

 それとも振りをしているだけなのか。

 アマーリエの心に暗い影を落としていた。




 あまりにも平穏な日が続いてたある日のことだった。

 いつも朗らかな態度を崩さず、優しく温かい眼差しを忘れない男セバスチアーンが浮かない顔をしていた。

 まるで徹夜でもしたかのように目の下にはクマがあり、疲れた表情を隠せていなかった。


「お嬢様には少し、酷な報告をせねばならないセバスめをお許しくださいますかな」


 セバスチアーンが言うことはたまに難しく、アマーリエには理解出来ないことがあった。

 だが話が始まる前に彼女は理解してしまった。

 あまりよくない知らせがあるのだと……。


「コラー伯爵邸が全焼したとのことでございます」


 セバスチアーンの話はまた続いていたが、アマーリエの耳には何も入らない。


 火災の原因は落雷によるものであり、普段、そのような事件では動かない近衛騎士団が動いてることもセバスチアーンは伝えたが、彼女は呆けたようになっていた。

 アマーリエにとって、まるで全てが他人事ひとごとのように聞こえていた。

 よく知っている場所が燃えて、何もなくなってしまった。

 アマーリエは自分が思っている以上に大きなショックを受けていることに今更のように気付いた。

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