第26話 今日のディナーはカップ麺
一階にあるダイニングルーム。
立派なシャンデリアと、真っ白なシーツがかけられた食卓。思わず声が出る。アンティークというのだろうか、こだわり抜かれた調度品は持ち主のセンスを物語る。
しかし、それが全て埃をかぶっていなければ――。
「掃除がまだで……あ、食卓の上は拭いたから大丈夫。シーツも家から持ってきたから」
シェフのディナー……いいや、置かれていたのはカップ麺である。アンティークの食卓の上にカップ麺。お手軽、お湯を入れれば三分で食べられる文明の利器、――カップ麺。
「インスタント麺……だと」
「悟っち、きつねでよかった?」
「きつね……?」
「あ、たぬきがいい?」
きつねか、たぬきかと聞かれれば好みはたぬきである。サクサクの天ぷらが少しずつふやけていくのを箸でほぐして食す。
「シェフのディナーが出てくると思った!」
「カップ麺に文句言うな! 家事をしたことがない私でもお湯を沸かせば食べられる、ズボラお嬢様必須のディナーなんだよ⁉」
佐々木はお嬢様なのか庶民なのか、分からなくなってきた。
「佐々木さん、きつね、お願いします」
「よし! きつね、お待ち!」
アンティークの椅子を引きながら健斗が真顔できつねを注文する。考えるな感じろ、ということなのだろうか。
つっこんではいけないのだろうか。
目の前に置かれたきつねと、コーヒー。
座れば貴族の雰囲気を楽しめるアーンスプラットのダイニングチェアに腰かけ、目の前に置かれたカップ麺を啜る。ワンルームのちゃぶ台に正座をした時と変わらないつもの味だ。なにひとつ変わらない。むしろ変わったらおかしい。目の前に置かれているのはスーパーでお手軽に購入できる百数円のカップ麺なのだ。
この組み合わせは如何なものかと、隣に置かれた珈琲を啜り全てを許した。やはり彼女が淹れる珈琲は絶品なのである。
「豆が違うのか……淹れ方? 意味が分からない」
脳内の疑問と照らし合わせてみても答えは見つからない。
そうこうしているうちに、ダイニングのドアが開いて三人が入ってきた。アンティークの調度品に囲まれ、カップ麺を啜る、死んだ目をした大学生二人を見て、彼らはなにを思ったのだろうか。
頼む。頼むから見ないでくれ。
「すみません、つまらないものしかないんですけど」
佐々木が奥ゆかしく出してきたのはカップ麺。
なにかを察した様子の彼らは憐れむような視線と我が身に降り掛からんとする厄災を察するのである。お客様にもその対応ならば文句はあるまい。それしかないのだから食うしかあるまい。
「佐々木さん。執事さんはどうしたんです? お嬢様にカップ麺を食べさせるなんて、本家の使用人が激昂する……とかなんとか言ってなかったっけ?」
「城ヶ崎はパパについて出張だよ。さっき、めっちゃ怒られたけど。飛行機に乗った後に連絡したからね。絶対に止められないように。こうでもしないと無理やりにでもついてくるから。私だって大学生の夏休みを楽しみたい! 城ヶ崎がいたらずっと監視されちゃうもん」
「………………なるほど」
健斗のため息が聞こえる。どうやらこのミスマッチは佐々木が意図したものらしい。前言撤回。
我々は、お嬢様のわがままに振り回されている。
「なにがいいですー? とりあえず買えるだけ買ってきたんですけれど。たぬき? きつね? それとも、ねーこ?」
「佐々木さん、しりとりはまた後にして」
わちゃわちゃと夫婦漫才を繰り広げる二人は置いておく。
「ささ、あの二人はほっといていいです。いつものことなので。ここには観光に来たんですか? 雨が強くて大変でしたね」
山になったカップ麺から適当に取り出して三人の前に出す。
山登りをしていたのだろうか、服のところどころに土埃がついている。そういえば玄関で見た時に大きなリュックサックを背負っていた。ここに来るまでガタガタとした悪路を車で走ったが、山登りをするような遊歩道は見かけなかった。なので、『こんな山を登る人がいるんだ』と不審に思ったものの、人がいない山をあえて登る人もいるか。
「僕たちは大学時代のサークル仲間で。学生の時にこの森で映画を撮ったんだ。羽柴さんはヒロイン。僕は荷物係を」
「久しぶりに集まろうってなってー。撮影をしていたら雨が降ってきて。それでこの洋館に駆けこんだの。朔弥がのんびりしてたから、荷物ちょっと濡れちゃったね」
「ごめんごめん。部屋で乾かしているから怒らないで?」
「たっくよぉ、楓が朔弥に荷物を預けすぎるのが悪いんだよ。少しくらいはお前が持てっ!」
「ひどーい。私、紅一点のかよわい女の子なんですけどー!」
「まぁ、松本さんも僕に荷物、預けてたんだけどね……」
化粧をバッチリと決めた女性が
学生時代の同サークルの仲間というように、年は二十代半ばだろう。
「へぇ、映画を。どんな映画を撮ってたんです?」
空になったカップ麺を佐々木に渡しながら健斗が聞く。健斗は大人数になり、知らない人もいるからか、表のキラキラ学園の王子様モードである。豹変した幼馴染にほんの少し気持ち悪さを感じながらも、人となりは良いので気にしないことにする。
健斗の問いかけに松本はニヤリと口元を緩める。急に垣間見えた下卑た笑み。背筋をひやりと撫でられたような感覚。
空気が変わった、おそらくそれは健斗も気づいたのだろう。
「ホラー映画だよ。夏休みのバカンス、訪れた山の中で迷い込んでしまった大学生三人組は鬱蒼とした森の中に建つ洋館にたどり着く。主人に招き入れられた彼らは、館の地下にミイラ化した死体を見つける。館の主は森の迷い人たちを殺していく殺人鬼だった。三人は、館の主人へと立ち向かう。けれど彼らはなすすべもなく……殺人鬼に殺されてしまう……」
閃光が空を切り裂き、落ちる。
バリバリと地面を揺らす振動が遅れて届く。それは嵐を呼ぶ前触れだ。窓の外を叩く雨音がさらに強く強く響く。
「ちょっと、湊くんの悪い癖よ? 怖がらせて反応を見るの」
「けっ、冗談。冗談だからな。たまたまこういうシチュエーションに似通ってるってだけで」
「だからって……」
なんとなく松本は他の二人から距離を置かれているように見える。会話の端々に妙な不信感というか、陰鬱としたものを感じるのである。心の声を読んでも直接的な理由は分からないが。
「ここで出会ったのもなにかの縁です。お聞かせ願えませんか」
健斗がその後も興味深く話を聞いていた。俺はそれを聞きながら珈琲を啜る。こうフレンドリーなところは健斗の利点である。探偵らしいところとであるとすればそうで、腹に抱えている薄黒い感情が無ければ――、顔が良くて気のいい普通の青年である。
そういえば神田先輩はどこに行ったのだろう。この洋館についてから姿を見ていない。
かくして、カップ麺の晩餐は終わり、各人は自室に戻る。空になったプラスチック容器を集めて持っていく。かつてここがどんな呼称で呼ばれていたのかを俺は知らない。美術史の資料集で見たことがあるような気がしなくもないが、それ以上の教養は持ちえないからである。
華やかなダイニングルームのそばに、こういった鬱蒼とした調理場があったという。使用人のみが入るために、装飾はほとんどなく業務的に使われる。極々シンプルに作られたテーブルと、台所。そこに山積みになったプラスチック容器と、カップ麺に眩暈を感じながらそこに住まう仮初の主――佐々木に声をかけた。
「佐々木さん。残りの容器を持ってきたけどここでいい?」
「うん! ばっちし! そういえば悟っちにお願いなんだけど」
「なんです?」
「お客さん用の部屋がなくって。健斗くんと悟くん、同室にしてもいい?」
あ、なんだそんなことか。
手を合わせて懇願されるのを二つ返事で了承する。
「ほんと! ありがとぉ、じゃあ洗い物、手伝って!」
調子よく押し付けられた洗剤とスポンジ。
ウインクをしてキッチンから出て行った佐々木に残された俺は、積み上げられたプラスチック容器を眺める。
これくらいならいいか、いや健斗に愚痴ったら健斗が佐々木さんを直々に締めてくれそうだ。
物事を頼む際、本命の頼みごとの前に相手が簡単に了承する頼みごとを提案し、了承された後に本命の頼みごとを行う――『フット・イン・ザ・ドア』と呼ばれる心理テクニック。
本人が以上のテクニックを知り、実践しているのかということは推測のしようがない。けれど一つだけ言えるのは佐々木は人を使うことに躊躇いがないのだろう。
生まれながらの支配者である。
「さてと」
数分かけて洗い物を終え、部屋に戻るとちょうど部屋に入っていく健斗と目が合った。
「あ、健斗」
「悟。なにかしてたの? 佐々木さんと喋ってたとか?」
「あー……いや、良いように使われた、というか」
健斗の眉が少し上がる。
「佐々木さんからのこういう無茶ぶり、はっきり断った方が良いよ」
「健斗も断れてないもんね」
「そう、なんだよなぁ。そう……」
健斗が顔を手で覆い落胆している。健斗の忠告は壮大なブーメランだったようだ。
「俺、床に寝袋を置いて寝るから」
お、おう。と、気の抜けた声が出る。
健斗はそのまま寝袋に潜り込んで寝てしまった。すうすうと心地よさそうな寝息が聞こえる。疲れたのだろうか。そういえばこの洋館に着いてから顔色が良くなかったような。夕食の時もなんとなく空元気だったような気がしなくもない。
まだまだ寝るには早い時間だが、佐々木に電気を無駄遣いするなと言われたこと。健斗を明るい中に寝かせてしまうのも悪いので、さっさと電気を消して寝てしまおう。
「――ちぇ、せっかく枕投げとかしようと思ったのにな」
窓の外を見ると雨はすっかり止んで、満点の星空が上がっていた。
「あの人、どこで見たんだろ。どっかで……」
彼らはどうしてこの屋敷に来たのだろう。
――迷い込んだと言っていたが、おそらく彼らはここに洋館があることを知っていたのだ。
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