第10話 彼氏には決して言えない

『レポートの書き方くらいは教えてあげられるから』


 と、健斗が申し訳なさそうに言っていたが、佐々木がこちらを睨んでいたので一人でやらねばならないらしい。

 というか、探偵ってなんだ。なにをすればいいんだ。

 事件なんてそうそう起こるもんじゃないぞ。


「吉沢って、彼女いる?」

「え。なに。……いるように見える?」

「見えない。ごめんな」

「ごめんって、あのさ。……いきなりなんだよ」


 授業も少しずつ始まり、段々と周りと話せるようになってきた。初めは浪人生だからとなんとなく声をかけづらかったものの、さすが名門大学。同じような境遇の者も多い。


「俺、前の大学に彼女いてさ。たまに連絡を取ってるんだけど」

「ほぉ。自慢か。よし、聞いてやる」


 前にも同じような切り出しを聞いたような気がしなくもない。俺の周りにはどうやらそういう類のものが集まってくるのではないだろうか。

 健斗には成績の自慢、そして恋愛の自慢。


 目の前でカレーを口に運んでいるのは、同じ講義で知り合った安藤悠あんどうかなた

 安藤はチェックシャツが似合う爽やかな好青年といった印象の男子である。鼻の周りにそばかすがあり、それがチャームポイントだと彼自身が言っていた。そばかすがある男子にぐいぐいチャラい印象がないのは偏見かもしれないが、安藤も例に漏れず大人しそうな印象の男子である。性格は積極的ではないものの消極的すぎるわけでもない。


 こなれているというのがそうで、誰とでもすぐに仲良くなれるタイプだろう。講義室を忘れ、焦っていた俺に手を差し伸べてくれたのが最初の出会いであり、それから少しずつ話すようになった。

 俺と同じく浪人で入った――同じ年だと聞いたが、彼は仮面浪人であり、他の大学に一年間通って、この大学に合格したのでこちらに移ったらしい。


「最近、彼女の様子がおかしくてさ」

「おかしい?」

「なんか、よそよそしい、というか、……なにかに怯えてるみたいな」

「浮気してるんじゃないの?」


 仮面浪人で通っていた前の大学で作った彼女。

 安藤がこの大学に入学してからも、彼女は向こうの大学に通っているらしい。

 安藤が器用な男だということは置いておく。

 彼女を作りきゃっきゃうふふな大学一年生も楽しみつつ、隠れて勉強をして、さらに上の大学に合格し入学するなど、羨ましいこんちくしょうと叫んで喚き散らしたい気持ちをぐっと火山の吹き溜まりへと抑え込む。勉強も恋愛もどちらも器用にこなす人間はいる。

 地頭が良い分、要領を掴むのが早いのだ。


「そんなことない。彼女は俺が仮面浪人をしているのも知って、それでも俺と付き合いたい、俺のことが好きだと言ってくれた良い子で。俺のことを応援してくれたし、今でも連絡を取ってくれてる。ただ、学校が離れちゃったから会うのが難しくなってしまっただけで」

「ロミジュリかよ」

「お願いだ。彼女がどうして俺のことを避けるのか、調べてくれない?」


 断ろうと思った、けれど真っ直ぐ自分を見つめてくる瞳には邪気はない。心の中を読んでも嘘が全くない。それどころか俺を利用したいなどの参謀じみた策略も微塵も企てていない。ただ単純に彼女について知りたいという純粋な動機。裏表がない故に、人が隠したい奥底にズカズカと侵入してしまいそうな危うさ。

 聞こえてきたのは動揺だった。どうして彼女がよそよそしいのかという不安、誰だってそうだろう。親しい人が急に自分から距離を取ればどうしても気になってしまうもの。

 う……。断りずらい。


「……分かったよ」

「良かった。じゃあ早速」


 善は急げと言わんばかりに安藤はカレーをかき込む。

 そういえばこの後の講義はなかった。安藤もなかったはずだ。


「彼女の大学に行ってくれるよね」

「え? ……う、ん?」

「よし、行こうすぐ行こう」

「え? は?」


 そして数分後。


「でさ、彼女はこう言ったんだよ。私でよければ喜んでって」


 ――彼女の名前は『暁杏奈あかつきあんな』というらしい。

 電車の中でいかに彼女が可愛いか演説を聞きながら電車に揺られること十五分。そんなこんなで無理やり引っ張り込まれた先はミッション系の私立大学だった。

 キャンパスに足を踏み入れるとニュースで見たことがある校舎が目の前に広がっている。頭は良いもののガリ勉志向も高いうちの大学とは違い、イケイケでパリピでリア充な大学生が多く通っている、らしい。


「……新歓でテキーラ一気飲みとかしそう」

「どんな偏見だよ。さすがにしないって」


 まんじゅうこわい、リア充こわい。歩いている人間がみなイケイケのパリピのような気がしてしまい、ビクビクと怯えていたのを見透かされたのか、安藤は深くため息を吐いた。


「吉沢。ここにいるのはお前と同じ大学生だって。取って食ったりしないから安心して」

「テキーラ一気飲み、夏休みに海でバカンス? 文化祭で告白、イブにイチャラブ……」

「だから、そこから離れろ!」

「デートで六本木のディナー、ゴートゥホテル」

「だから! 目を覚ませぇ!」


 安藤からやや本気のビンタを喰らいようやく目を覚ます。

 いかんいかん。リア充を浴びすぎた。大丈夫、まだ彼女はできるはずだし、大学生活は始まったばかり。

 可愛い女の子と付き合って立派なリア充になってやるんだ。


「は。俺はなにを」

「案内していい?」


 安藤の迷惑そうな顔が目に入る。心底憐れむような目線を向けられ目を逸らした。


「大丈夫だし。別に、別に。別に?」

「そ、早く行こ」


 なんとなく安藤との距離が空いたような気がする。心の声は……怖くて読みたくない。安藤はなにも言わず、すたすたと前を歩いていく。


「彼女、惚れないでよ」

「え?」

「惚れたら殺す」


 殺す、およそ日常生活を送る際には気軽に聞くことがない殺人予告。表情は分からないが、低く唸るような声が事の深刻さを物語る。


「人の彼女に惚れるほど、俺、失礼な人じゃないよ」

「お前はな」


 はぁ、と気が抜けた返事をしてしまう。普通の人間は彼氏がいる女性にアタックしない。すでにゴールが決まっているゴールにボールを蹴り込む人間はいない。


「いや、常識では」

「着いたよ」


 安藤に少々無視をされている気がしなくもないが、ここまでついてきてしまったのだ。もうどうにでもなればいい。

 その教室は、コミュニティルームというらしく中に入るとテーブルと椅子が数個置いてあった。入り口には自販機が二つあり、奥に『ボランティア部の活動実績』と書かれた模造紙が張り付けてある。おそらく普段は数名の学生がワイワイとおしゃべりをしているのだろうが、講義をしている時間だからか人がまばらだ。

 この人が、安藤の彼女の『暁杏奈』だと一目で分かったのは、コミュニティルームの真ん中で一人ぽつんと座っていたから。

 黒目がちな瞳。ゆるふわと巻かれたセミロングがよく似合っている。

 ――うん。確かに、可愛い。


「かなたくん、その人は?」

「今の大学の同級生。話したと思うんだけど、覚えて、」

「うっそ、連れてきてくれたの?」

「……う、うん。そうだけど、」

「会いたかったの! 話を聞いてから貴方に」


 話をしていた、会いたかった? なんのことだ。意味が分からない。暁は椅子から立ち上がりこちらに歩いてくる。ぐいっと距離を詰めよって気付くと目と、鼻の先に彼女がいた。


「え?」

「お願い。……そのまま付き合って」


 暁はゼロ距離のまま、耳元でそう言った。安藤に聞こえないようにだろうか、手を繋がれたその手に紙切れを乗せて握らせる。安藤が彼女に惚れるなと言ったのはこのことだろうか。

 甘い匂いがした。それが彼女のアッシュグレーの髪から香る香水だと遅れて気づく。


「かなたくん、彼と二人きりで話をしちゃだめ?」

「だめだ」

「そっかぁ、ごめんね。じゃあ、別の機会に、ね」


 暁は、潤む視線をこちらに向けて名残惜しそうに離れ、そのままコミュニティルームからぱたぱたと出ていった。

 安藤は機嫌が悪そうだ。表情はいつものままなのに心の中がどず黒く渦巻いている。とても怖い。非常に怖い。

 俺としても安藤にこれ以上嫌われるのは勘弁してもらいたいので、手に握らされた紙切れを安藤に見えないように隠した。

 これがもし見つかったら殺されるかもしれない。


「う、浮かれてなんかないよぉ⁉」

「……最近、避けられている気がするんだ」

「ち、違うと思います!」

「違わないよ。あと、手を洗え。今すぐに」

「洗う、洗う、洗う! 洗うから許してください!」


 にこやかな安藤が怖い。心の中が読めなくてもどす黒い感情は隠しきれない。急いでトイレに駆け込んでメモをポケットに押し込み、暁に握られた手を石鹸でごしごしと洗った。

 恋人が別の同姓と親しくしているのを余裕の態度で待ち受けられる人間はいない。いつもは穏やかな安藤でさえも例外ではないらしい。

 いや、束縛男な面が垣間見えた気がしなくもないのだが。


 ――でも、顔が近くて、いい匂いがして、とても、ドキドキした。


「吉沢」

「はい! すみません! 手を洗います!」

「爪の垢まで落とせ」

「そんなところまで触れられてはいないと思うんだけど!」


 校舎の端にあるこのトイレには誰も訪れない。しばらくジャージャーと手を洗い続け、安藤が許してくれたのは十分後。

 もうこれ以上、手を洗えば皮膚がふやけてしまうと泣きながらに訴えて、ようやく拷問は終わった。


「指紋が消えるかと思った」

「まだあるんだけど」

「まだあるんですか?」


 完全に従属に堕ちた俺は、安藤の『なんで敬語なの?』という問いを無視する。そのつもりはなくとも心が読めるせいで相手が望むことを察してしまう。空気が読めすぎるこの体質が憎い。


「杏奈を尾行する」

「なんか、今日で安藤の見てはいけない一面を見た気がする」


 人は誰でも仮面を被っている。

 それは周囲に見せる自分の姿であり、多種多様な面を場面によって使い分けている。それは嘘の姿というわけではない。安藤は、にこやかな優しい好青年の面をずっとこっちに見せていただけで、こういう面もあっただけ。

 ただ、できる事ならば知りたくなかった一面でもある。


「そうかな。俺、仲いい人にはこういう感じだけど」

「まぁうん。なんとなく理解したよ」


 安藤とトイレから出ると、チャイムが鳴った。ちょうど講義が終わったのだろう。廊下へ出てくる学生たちがわらわらと校舎の外へ出て行く。


「彼女さんを尾行するって、どうするの」

「心当たりがあるお店がある。杏奈が来るまで待ち伏せをして……」

「それさ、あんまりしない方がいいんじゃない? ほら、気のせいかもしれないじゃん」

「それなら良いんだけどね」


 安藤は相当自信があるようだ。

 人のことを調べ回るのもあまり良くないと思うけどな。だって知ったところで良いことがあるとは限らないじゃん、と口に出すのは憚られた。他人のことを全て理解するのは難しい。誰だって秘密を抱えているものだし、誰だって他人に言えない事の一つや二つあるだろう。

 それに彼女が演技をしてまで安藤に知られたくないことってなんだ。


「――吉沢、どうした」

「ん、ごめんちょっとトイレ!」


 安藤の近くでもらった紙を開くのはまずい。急にトイレが近くなった人を装いつつ、個室に潜って鍵をかけた。トイレから出てすぐにトイレに駆け込むおかしな人、――になったような気がしなくもないが咄嗟に思いつく個室はここしかない。


「……えっと」


 内容は彼女の連絡先だけ。他にはなにもない。安藤に見つかったらまたどんな拷問をされるか分からない。

 SNSのIDを急いで入力し、友だち登録を完了させる。適当にスタンプを送って短い挨拶を送れば完了だ。

 あとは水を流してそれらしく出てくれば良い。


「大丈夫か?」

「んん、平気平気。ちょっと急に……」


 安藤は少し不審そうな顔をしていたが、安藤はこの紙を受け取る瞬間を見ていない。彼女はわざと俺に惚れているふりをして近づいた。安藤から見て死角になるように自分の体で隠すほど慎重に。

 彼女は安藤を警戒している? それは安藤が疑心暗鬼になっているからそう感じてしまうのだろうか。

 いいや、それでも。確実に分かっていることがある。


「じゃあ行こうか」


 暁杏奈は、彼氏である安藤悠を警戒している。

 ――それは、どうしてだろうか。


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