第11話 恋は盲目、恋せよ乙女

 探偵とは人が隠している秘密を暴くものだ。

 昔読んだ推理小説にそう書いてあった気がするし、人が知らなくても良い他人の秘密を暴こうとする気持ちは分からなくもない。知らなくても良い秘密であろうとなかろうと、ダメだと禁止されたことをやりたくなるカリギュラ効果は人のサガである。

 相手の心が読めたならそんなことを必要はないのだが、普通、そんなことができる人間はいない、――はずである。


「……つまり、俺が暁さんの心を読めば解決なのでは……」

「なにか言ったか」


 ズルいような気がするが心を読んでなんとなく整合性を合わせ、安藤に伝えればこの依頼は解決しそうである。

 あれ、なんだ、簡単じゃん。


「どこ行くの?」

「黙ってついてきて」


 ポケットに入れていたスマートフォンが震えた。こんな時に通知? と、安藤に見えないように画面を照らすと、『あんな』というアカウントからメッセージが来ていた。女子大学生らしくアイコンは自撮り写真。ほおにピースをする隣にいるのは安藤だった。

 ちくしょう羨ましい!


 スマートフォンをぶん投げたい衝動を必死に抑え深呼吸をする。安藤は前を歩いている。今ならメッセージの内容を確認できるだろう。さっと一秒で確認すると、暁からのメッセージはひとつだけ。


『かなたくんがいないところで話がしたい』


 うーん。そうだろうな。この状況はそうだろう。けれど、安藤が彼女の動向を知りたいという衝動に駆られている以上、それは難しいのではないだろうか。


「安藤、やめた方がいいと思うけどなぁー。だって、これで浮気をしてたらショックじゃーん」

「浮気はしていない。彼女は俺のことが好きなんだ、彼女がするわけがない」

「じゃあなんで俺までぇー」

「……」

「返事しろよぉ〜」


 安藤はだんまりを決め込む。


「俺、帰っていい?」

「ダメだ」

「どうしてぇー」


 と、言いつつゆっくりと歩を緩める。安藤がずんずん前を突き進むのを少しずつ怪しまれない範囲でゆっくりと後ずさる。


「安藤、すまん」


 安藤が後ろを見ないのが悪いんです。こそこそと路地に入りスマートフォンの画面を照らす。薄暗い裏路地にピカッと光が灯る。あんなのアイコンに向かってメッセージを打ち込む。


「大丈夫、まきました……」

「まいた?」

「ヒェッ」


 驚いて振り返ると安藤がそこにいた。


「行くぞ?」

「ひぇ、あ、っはい」


 安藤は俺のパーカーのフードを掴んで引っ張ると、そのまま歩き始めた。


「歩く! 歩くから! ちょっと、この連行方法はやめてください安藤様!」


 スマートフォンを急いでカバンに突っ込む。声を上げても安藤は変わらず引きずっていく。

 流石に諦めるしかあるまい。彼女には悪いが、君の彼氏は案外ヤンデレなのかもしれない。女の執着は怖いというけれど男もそんなに変わらないものだ。恋愛は人を狂わせる。


 人間は興味深く勉強になるな……、なんて思考を回しながら辿り着いたのは、都会の喧騒にひっそりと建つビルだった。都会というものは煌びやかな陽の場所と誰にも見られない隠の場所がある。

 安藤が通っていた大学は華やかな都会にふさわしい主要路線を最寄駅とする大学だ。そこから数分歩いてたどり着いたのは騒がしい大通りから一本入って奥まったところにあるビルだった。閑散とした裏通りに建つビルは、周りのビルの陰に隠されジメッと憂鬱でなかなかの雰囲気。お目当てのお店を探しているときにここを案内されたのなら『本当にここ?』と戸惑ってしまいそう。


「おお、なんか修羅場が起こりそうなビル」

「……お前、楽しんでんじゃん」


 諦めよう。そういう事件に首を突っ込んで他人の喧嘩を眺めるような趣味はないのだけれど、ここまで来てしまったのならやけになるしかない。


「よし、ここに彼女がいるって?」


 腹を括りここで切腹もできるだろう。もうなんにでもなれ。

 鬼が出るか蛇が出るか。


「安藤が浮気をされてようがされてまいが、俺は覚悟を決めた……」


「勝手に浮気してると決めつけるな」


 逆に浮気してないってことある?

 とは、口に出さない。言わなくてもいいことは人生において山ほどある。俺の人生がままならないのはこの能力が、あえて言われなかった聞かなくても良かったことを透き通し読んでしまうことである。


「よし、行こう」


 暁杏奈がよく来るお店は、小さなカフェバーだった。

 おしゃれな木製のドアを押すとジャズの音色が聞こえてくる。この時間は喫茶店がメインなのだろう、香しい珈琲のアロマが鼻孔をくすぐる。

 カウンターとテーブル席が五、六個。店員は男が一人。女が一人か。カウンターは常連らしいお客で埋まっていたため、奥のテーブルに通された。――彼女は、まだいないらしい。


「本当に来るの?」

「来る。毎日来てるみたいだから」

「そんな毎日来れるところかなぁここ。学生にはちょっと厳しいような気がするよ?」


 と、言いつつも彼女が今日来ることはあらかじめ分かっていた。あの時、安藤にこっそりと見えないように連絡をしていたから。

 ただ、連絡した内容は騙しているような気がしなくもない。


『ごめん、安藤は巻けなかったから今日は会えない。あいつしつこくてさ、今日は二人で飲みに行こうっていうことになったんだ』


 自分でいうのもおかしな気がするが、半分本当で半分嘘のような、捉え方によってはそう読めるよねという微妙な嘘だ。

 飲みに行こう。それが例え彼女が通っているカフェバーだとしてもおかしくはないわけだ。いざとなれば素知らぬふりをすればいい。その場合、安藤には演技をしてもらう必要があるが……。そこは適当に作り話をすればいいか。

 ――俺、案外、探偵に向いているのかもしれない。


「来たかも」


 メニュー表で顔を隠して店内に入った彼女を覗き見る。暁は店員に促されカウンターの端に座った。カウンターに座ると自然とテーブル席に背を向ける形になるおかげで、こちらは暁のことがよく見える。

 張り込みをするにはベストポジションである。


「……お客様。ご注文がお決まりでしたらお伺い致します」

「あ、俺はカフェラテ……」

「ゲ」


 カエルが潰れたような声を聞き、顔を見上げる。


「けん……と?」


 そこにいたのは健斗だった。白いシャツに黒いネクタイ、ベスト。キッチリとシワひとつないそれらに身を包み注文を取っていた。前髪をオールバックにして、そういえば瞳の色も違わないか。


「お客様。ご注文が、お決まりでしたら、お伺い、致します。そちらの方は?」

「……ジンジャーエール」


 安藤も注文を決め、健斗はにこやかに笑ってカウンターに戻っていった。

 店員に男が一人いるなぁとは思っていたが、大学生には見えなかったのでスルーしていた。ましてや、健斗だとは思わなかった。

 ――なにをしてるんだあいつ。


「知り合い?」

「う、うん。知り合い……」

「どんなやつなのか知ってる?」

「知ってるけど、え?」


 安藤の目は鋭い。その目は単純な興味とは違う。


「……お、幼馴染」

「幼馴染? え? 年齢? え?」


「いや、同じ年だけど。多分、カラーコンタクト入れてちょっと化粧してる? いつもと顔が違う……、元々イケメンだけど、あえて年齢が上に見えるように……?」

「なんで?」

「分からない」


 安藤が眉を顰める。安藤が納得いかないのも無理はない。けれどそれ以上は分からない。俺だってなにも聞かされていないのだから。


「……なんかの調査?」


 そういえば健斗は佐々木さんに別の調査があるとかなんとか言われていたような……?


「俺、別にあいつがなにをしてるのかを聞いてるんじゃないよ」

「あ、そうなのか」

「あいつが誰なのかだよ」

「俺の幼馴染……?」

「それは分かったから」

「安藤はなんで気になるの?」

「いや、気になるだろ。だって、あいつ、……」

「なに?」

「いや、なにもない」


 安藤は暁の方を見る。彼女はカウンターで楽しそうに……健斗とお喋りをしている。健斗はお客として接客をしているだけだろうが、遠目から見ても話は弾んでいるようだ。

 ほう、なるほど。そういうことか。


「健斗はビジネスだよ、あいつはそういう一線の越え方しないって。でも。彼女はちょっと、危うーい気がするなぁ?」

「……ッ」


 安藤の嫉妬の目線はこれか。健斗のうっすいビジネススマイルに完全にやられてるな。


「おーおー、コーヒー、出しながら少しのうんちくと営業スマイル。知識を開かすことはせず、あくまで謙虚な姿勢。俺がもし女だったら確かに惚れそー。顔は良いからなぁあいつ」


 暁の顔は完全に恋する乙女。対して健斗は涼しい顔で話を流す。甘い言葉を囁かれ、堕ちない方がおかしい。だが、健斗は堕としたくてそうしているわけではないのが罪なところ。

 ――あいつ、いつか背後から刺されそうだな。


「安藤。健斗は暁さんには惚れてないし、そういうつもりないよ。あれはねぇ、ビジネスというか。心理学で言うとペルソナだよ? 仮面よ仮面。そう振る舞えば好かれるからそうしてるだけだと思うなぁ。あいつ、そういうやつだよ」


 罪だなぁ。イケメンにしか許されない罪だなぁ。頬杖をつきながら二人を観察していると、なんだか馬鹿馬鹿しくなってくる。


「安藤。あいつにもし勝とうというのなら、悪い事は言わない。諦めたほうがいい」

「なんで」


 勉強も運動もなにもかも、なにひとつ勝ったことがない。


「あいつ、天才だから」


 健斗がもし、女の子に言い寄られて有頂天……。そんな人並みな感性を持ち合わせていたならば、こんなに苦労していなかっただろうに。


「俺、お前の彼女が浮気してたら面白いなって思ってたし爆発すればいいと思ってたけど、お前の味方をすることにした」


 本人にその気はない。それは分かっているが、そうだとしてもそれは伝えてやれ。お前が無責任に優しくするのは教唆罪に値する。


「あいつ、暁さんのこと好きでもなんでもないと思うよ。そこは安心していい。でも、それならそうとはっきり断ればいいのにな」


 告白されて断って、女の子を泣かせるやつなのだ。


「……なんか、安心していいのか、悪いのか分からないけど」

「良いと思うよ。でもなぁ、健斗はちゃんと断れるようなやつじゃないからなぁ。なーんか、その後のことを考えてなぁなぁにするって感じの断り方をするっていうか。……女の子をストーカーにする男だよあいつは」

「ストーカーにする?」

「恨みを買いやすい性質なんだよ」


 ――相変わらずお前って、残酷だよね。


「これは俺の持論だけど」


 思い出す。

 両親のように親切が、時と場合によって新たな争いを生むこと。助けたつもりだったのに助けなかった誰よりも恨まれたこと。


「優しさって、上手に与えないと自分が恨まれるんだよ」


 中学の時にいじめられている女子がいた。

 背が低くて大人しい、地味な女子。無視をする、移動教室を教えないなどの先生に見つからないようなみみっちくって嫌なものばかり、俺はそれを見ているのも声を聞いてしまうのも嫌だった。

 だから手を差し伸べた。

 それはその子を助けたようで、自分がその苦痛から逃れたかった、――だけだった。


 助けた彼女は俺に懐いて、それから気づくとそばにいるようになった。初めは気にしていなかった。だが、彼女がだんだん自分に対して別の感情を抱いていることはなんとなく分かっていた。

 だって俺、心が読めてしまうから。


『悟くんのこと好き。あの時、王子様みたいだったの。私のことを助けてくれた、王子様』


 あー、ごめん。そんなつもりじゃなかったんだ。

 キラキラとした目がこちらをまっすぐ見つめている。

 俺が君を助けたのは、同じクラスの同級生というだけの関係性であっても、悲痛な声を聞きたくなかっただけだったのだ。

 君に好意があったのではなく。

 君を助けたのは自分のため。


『ごめん。付き合えない』

『なんで?』


 好きな相手からの拒絶。それまでは、なんだかんだと優しくしてくれたのに、手を取ってくれたのに。そばに置いてくれたのに。

 ――なのに、貴方もそう、私を見捨てるんだ。

 そうなんだじゃあ仕方ないねと聞き分けができるほど大人でもなかったのだろう。自分もこういう場の上手い断り方を知らなかった。

 それからの話は思い出したくない。


「吉沢。よしざわー、大丈夫か?」

「え? あぁ。……ごめん。大丈夫」

「そう? なんか、セーフだと思っていた出席日数が実はアウトだった時の顔してたけど」

「どんな顔。それ」

「去年の俺の顔」


 辞めたから良いんだけどねと安藤は言い、遠目でカウンターを見た。


「俺、どうするべきなんだろうな」

「うーん。どうするって言われても」

「吉沢があいつが杏奈に惚れてないって教えてもらっても、杏奈はあいつに惚れてる。浮気じゃないと信じてるけど、さ」

「俺には分からんよ」


 健斗にちゃんと断ってもらう? その気がないなら彼女にはちゃんと彼氏がいるから思わせぶりなことをするなと注意をする。

 俺から健斗に言ってみようか、と安藤に言いかけた時だった。


「あれ、杏奈、帰るみたい」


 暁は席を立ち店の外に出て行った。その背中を追うか追うまいか。少し迷う。どうする? と安藤と顔を見ると、背後から声が聞こえた。


「悟。なんでここにいるんだ」

「あれ、健斗?」


 立ち上がろうとしたところをガシッと頭を掴まれ沈められる。


「健斗、なんで化粧してんの? あとカラコン?」

「――――――はぁ」

「化粧だよね?」


 ぐいっぐいっと頭を押される。とても痛い。俺の頭は接触の悪い信号機のボタンではない。安藤は怪訝そうな表情でこちらを伺っている。


「化粧は、佐々木さんがやってくれて」

「へぇ。なんの目的で?」

「悟。友達が自分の知らないところでバイトしていたら『へぇこういうところでもバイトしてたんだ』って思うだけで疑うなんてことはないはずなんだけど」

「健斗だって、なんで俺が疑ってると思ってるの? 俺は『へぇこういうところでもバイトしてたんだ』って興味があって聞いてるだけなんだけど。疑われる要素があるからそう思うんじゃない?」


 健斗の整った顔が一瞬歪む。

 見下ろした影に隠され、俺にしか見えないその顔は、鋭い瞳でこちらを睨み牽制する。


「あの、えっと、俺だけ……どういう状況か把握できてないんだけど」


 そこに申し訳なさそうに割り入ったのは安藤だった。勇気を振り絞って声をかけ健斗はパッと表情を変えいつもの営業スマイルに戻る。


「はじめまして。俺、二年の和田健斗って言います。……安藤悠さんですよね。悟の友人、の」

「なんで俺の名前を」

「ちょっと耳に入っただけです」


 ――嘘つけ。調べただろ。ベタリベタリとまとわりつくような嫌な視線。相当ねちっこくしつこいくらいに調べ上げたに違いない。


「安藤さん。俺、もうすぐ上がりなので」


 健斗は笑っている――はずだ。


「お話、しませんか?」

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