第12話 人の心を読む道具
「単刀直入に言います。安藤悠さん。貴方は浮気をしてきますよね?」
「――え?」
安藤が唖然とする。健斗はなにを言っているんだ?
安藤は暁杏奈が浮気していないかと調査していたはずだ。彼女は、安藤から見えないように俺にラインの連絡先を教えてきた。健斗と楽しそうに話をしていたのも見ている。その表情はただのお客として来ているだけには見えなかった。恍惚としたあの視線は普通じゃない。
浮気をしているのは、どっからどう見ても彼女のはずだ。
「――ちょっと待て。健斗、なにを言ってるんだ?」
「俺はね、暁さんに彼氏の浮気調査を依頼されてここに潜入していたんだ。暁さんの彼氏、安藤悠をここに誘き寄せるために」
「話が見えてこないんだけど」
健斗のわざとらしい大きなため息を聞く。
「じゃあ説明するから。耳の穴かっぽじって聞けよ」
「なんでそんな偉そうなんだよ」
この不貞腐れ健斗め。あとでそのキメキメな、オールバックをくしゃくしゃにしてやる。
「芥川龍之介の小説、『二つの手紙』って知ってるか?」
「知らない」
健斗は苦虫を噛み潰した顔をしてからやれやれと説明し始めた。
俺の教養がないからではないと思う。そもそもあまり本を読むほうではないのだ。近代小説なんて現代文の設問にないかぎり一生読む機会がない。
「俺の教養が無くて申し訳ありませんでした。健斗様のご教授いただきたく存じ上げます」
「――警察署長の元に、二つの手紙が届いた。一つは、自分は正気であり、自分が見た怪奇をどうか信じて欲しい。自分は三度、自分と同じ姿をしたドッペルゲンガーを見た。それは自分の妻と共にあり、そのことを伝えると妻は酷く怯えていた。自分と妻を、警察署長の権力でもって守って欲しい」
「ふうん、なるほど?」
「二つ目は、妻が失踪した。貴方はなんの役にも立たなかった。私は無能な貴方の元では安心して住むことができない。居住を変え、学校もやめ、オカルトの研究を始めるつもりだ。――っていう」
「で、それがなんだっていうんだ」
「ドッペルゲンガーの正体はなんだったんだろうな」
おそらくは遠回しな例え話なのだろう。
健斗は決定打の事実を隠し、あえて当てさせようとしている。
普通に考えれば怪奇現象に怯えて失踪した妻と、精神状態に問題がある男が警察にクレームを入れているように見える。だがしかし、それならば失踪した妻が戻ってくるかもしれない家を捨てて別のところに引っ越す必要がないのだ。
「――妻が、浮気をしていたのを目撃したけど浮気されたことを認めたくなくて、間男を自分の姿だと思い込んだ?」
「ほお。……どうしてそう思った?」
「奥さんと一緒にいた、――というのと、ドッペルゲンガーを見たと言ったら怯えていたというところかな。奥さんはドッペルゲンガーに怯えたのではなくて、その時に見られたくないものを見られて怯えたのかなぁー、なんて。それが奥さんの浮気だった。これは俺の想像だけど、奥さんは失踪したのではなくて、男が殺したのかなって思って。浮気した妻を許すことができなかった男は、殺してしまえば自分が浮気されたことがなくなると思った。時代背景もあるだろう、男の人が女性に浮気される、そのこと自体が男には許せなかった。そして、警察が無能だから訴える、と男は言った。……でも、ならば住所と職場を変える理由ってなんだろ? ――自分の罪から逃れるため、なんじゃないかなって」
俺の推理に健斗はにやりと笑う。なんだよ、その変な笑い方は。
めちゃくちゃ気持ちがわるい。
「――さすが、悟。で?」
「……安藤は、彼女が浮気をしているのではないかと疑っている……。と、俺は思っていたけれど、実はそうではない? 実は逆だった。え? どこが逆?」
安藤はずっと黙っていた。けれど俺には分かる。堪えきれない怒りが、どんどんと膨らんで爆発しまいと耐えている。
ダンッ、と破裂音が店内に響き渡る。
安藤が机に自分の拳を打ち付けていた。
「……っけ、んなよ」
風船はいつか破裂する。
「ふざけんなッ、俺が、嘘を、ついてるとでも言うのかよ!」
「お、安藤、お、落ち着いて」
「そうですよぉ。落ち着いて」
「これが落ち着いていられるかぁ!」
健斗、煽るな煽るな。どうして煽るんだ。安藤はそのまま立ち上がり店の外に出て行こうとする。安藤が一瞬動きを止めたのは、健斗が安藤の右手を掴んだからだ。
「ッ!」
「いま、逃げても、いいですけど。なにもならないですよ」
けれど、その手は乱暴に振り払われ、そのまま店を出て行ってしまった。ダンダンダンと、階段を駆け降りる音がする。
「…………健斗、今のはお前が悪いと思う」
「悟。あいつの心の中は?」
健斗は真っ直ぐこっちを見ていた。邪念などない。
それが本当にムカつく。
「俺が教えるとでも?」
安藤の心の声を聞く機会はいくらでもあった。でも、俺はあえて深く聞こうとしなかった。漏れ出てしまう感情は察知しても心の中でなにを考えてなにを呟いたのか、あえて聞こうとしなかった。
安藤はこの大学で初めてできた友達だ。友達の心の声などできることならば聞きたくはない。友達の本心は、盗み見る様なことをしなくともちゃんと口から聞きたい。
――それは健斗も同じだ。
俺は、自分の能力が嫌いだ。こんなものいらないって何度思ったか分からない。自分から使おうだなんて思わない。なのに、こいつは俺の気持ちなんか知らないで、そんなことを聞くのか。
「俺、やっぱお前のこと嫌いだよ。昔は別の意味で嫌いだったけど、今のお前もやっぱ嫌いだ」
薄々感じていることがあった。初めに探偵部に誘った時、健斗はなぜ俺を誘ったのか。仲がいい友達と偶然再会したから? いいや、そんなものじゃないよな。
お前は、俺に利用価値があるから誘ったんだ。
探偵として調査の役に立つから。
「健斗は俺のことを『人の心を読む道具』としか見ていないんだろ」
「……――そう、だと、言ったら?」
「そ、」
そんなわけないだろ、と否定されると思った。
けれどその返答はあまりにも早く、そして酷い。
「即答かよ」
「うん。悟じゃなきゃダメだった。探したんだよ? 家、引っ越してたし。昔、言ってたでしょ。将来ここに入るんだって。それを両親が求めたから、だとしてもね。もう行きたい大学が決まってるなんて凄いなって思ってた。だから、ちゃんとここに入ったのに、悟はどこを探してもいなくってさ。でも、良かった。――俺のところで合ってた」
健斗の口からつらつらと流れるそれを理解できなかった。
「両親、やっぱ離婚したんだ。離婚しない様に頑張ってたのにね」
「は?」
「あの神社に行ったの、悟が、」
「健斗、お前なに言ってるんだ」
首を傾げた健斗はおもむろにこちらに手を伸ばす。それがテーブルに置いた自分の腕に伸ばされていると知り、思わず手を叩いた。
「さ、触んな。気持ち悪い」
健斗は叩かれた手をじっと見つめ、こちらにニッコリと笑った。
「お前、そういう、趣味とかあるの? 俺のことそういう目で……見てたの」
「違うよ。それは違う。悟のこと、恋愛対象だと思ったことはない。俺、ちゃんと女の子が好きだよ」
ドギマギしながらこちらは聞いたのに、健斗はハッキリ違うと言う。嘘ではない。動揺が一切見られない。安心したという思いと、ではどうして自分にそんなにも執着をするのかという疑問。
「俺には、悟がいなくちゃいけないんだよ」
「分かんねぇよ。そんなに探りたいなら自分だけでやればいい。俺のこと、全部調べたんだろう? ――俺、お前が怖いよ。普通そこまでやるか? 意味が分からないよ」
ストーカーじゃん、と口からまろびでる。
一瞬、健斗が固まった。しばらく視点が止まる。あぁ。まずいことを言ったんだ、と気づいた時にはもう遅い。
「……ストーカー、ね。確かに。悟が嫌なのを知っててそれでもその力を使いたかった。俺は確かに酷いやつ。でもどうしても悟じゃなければいけなかった」
どうしてそこまでして探したのか。
「悟は、俺の救世主だから」
俺が引っ越したのは両親が離婚してすぐだった。俺は転校には至らなかったものの、父親が借りたアパートに引っ越した。
夏休みが終わって学校に行くと健斗がいなかった。健斗がどこに行ったのか、俺は知らされていなかった。先生に聞いても教えてくれなかったから。
変だった。転校なら別れの挨拶があるだろう。
それすらもなく、健斗は忽然と消えたのだ。
「俺、もう――――の、嫌なんだよ」
それはハッキリと聞き取ることができなかった。そこだけが切り抜かれたようだ。
健斗の口は確かに動いていたのに。
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