第13話 どうして貴方は振り向いてくれないの。
毛布に包まり、自室の天井を眺める。スマートフォンを開くと、もうすぐ日付が変わる頃だった。眩しいブルーライトだけが真っ暗な室内を照らしている。
あの後、健斗は黙ったまま、なにも言わなかった。まるで血の通っていない人形のようで不気味で。どうして黙ったままなんだ。その場の気まずさに耐え切れず俺も店を後にした。
「というか、あの時の安藤の声なんて聞こえるはず、ないのに」
読心は心を読むから読心なのであって、脳内の情報をすべて知ることができるわけではない。心の中で呟いていなければ読めないし、自分が動揺してそれどころではなかった場合も読めない。健斗が直前まで煽っていたせいで心を読む余裕なんてなかった。
「そんなこと、どうでもいいか」
大学に進学して一人暮らしを始めた。
転勤族だった父さんは単身赴任で幼い時からあまり家にいない人だったけど、俺を引き取ってからは会社に転勤をせずに済むように頼んでいたらしい。本社に配属が決まってから転勤はパッタリと止まり、それからずっと東京だった。それが母さんがいる時からそうだったのなら、もしかしたら離婚することもなかっただろうに。
父さんは自分の転勤で、俺が友達と離れてしまわないようにしていたんだろう。大学へ進学をすると決まって、俺は実家から通うことも考えたけれど、少し距離が空いていることに悩んでいた。父さんはそれなら一人暮らしをしてみるといいと言い、そのためのお金も全て出してくれた。
父さんは、不器用な人だったんだろう。
そして同時に酷い人だ。
おそらく俺を一人暮らしにさせたかったのは、彼女と住むからだろうし、本社転属を願っていたのは、彼女が本社で働いていたから。
「そこまでして、好きな人と一緒にいるって幸せなのかな」
俺だって彼女は欲しい。でも、誰かを排除してまで手に入れなければいけないものなのか。
せめて大学まで育ててくれたのは、自らの罪滅ぼしか。
「こんな時間に?」
スマートフォンが震えディスプレイを見ると小さい赤丸の中に『1』とあった。表示されたアイコンはひらがなで『あんな』――つまり、暁杏奈だ。
『会いたいな』
「……今から?」
時刻は日付が変わる頃。
これから寝ようかなとホットミルクを温める時間だ。
『川上公園で待ってる』
「歩きで行けるけどさ」
川上公園というのは、ここから徒歩で五分の距離にある公園だ。俺のアパートは大学から徒歩で数分。電車に乗るのもバスに乗るのも面倒で、適当に徒歩圏内を選んだ結果である。
「暁さんも近くに住んでるのかな」
いや、なにかおかしい。まずこの時間に会おう、と聞いてくるだろうか。
『明日じゃだめ? 俺、もうそろそろ寝るんだ』
『だめ、今じゃなきゃだめなの』
返信はすぐに返ってくる。画面を閉めようとした瞬間に返ってくるのだ。おそらく既読はついてしまっただろう。
「……あぁ。もう!」
着ているのは高校の文化祭で作ったクラスTシャツと部活で使っていたジャージ。不恰好であるもののちょっと近所へ……行くには十分だろう。外は肌寒いだろうから近くに置いてあったパーカーを羽織る。なにか嫌な予感がしたのでスニーカーを履いておく。
外は夜であるものの、電柱が煌々と当たりを照らしている。都会というのはどこもかしこも電気がついていて深夜でも周りがよく見える。二十四時間営業のコンビニはもちろん、自動販売機、カーテンから漏れ出る家の中の灯り。だが、道路から少し離れるとそこは闇の中。
指定された川上公園には電柱が二本。けれど、されど二本だ。だだっ広い公園であれば暗い影を落とす場所ができる。
彼女はそこにいた。彼女、らしき影が、そこに在った。
「暁さん、……じゃ、ないよね」
影は顔を上げた、ように見えた。顔が見えないのだ。
暗く影を落としたその場所に、それはひとり立っている。
「なんのよう? 俺、……君が望むようなことはできないと思うんだけど」
幽霊、だよな。
「俺、たぶん生きている人間の声しか分からないから。君の声は聞こえない……だから、」
――あれ。なんで俺、そんなに怖がっていないんだ。
「俺じゃなくて、たぶん、……健斗の方が君の役に立つと思う、ん、だ、けど……」
――どうして健斗のことを考える?
あいつは人ではないものを集めるだけ、だ。そう言っていた。それを俺は信じた。この前の事件もそう。健斗が殺された猫の魂を呼んで彼らの復讐ができたから。それをこの目で見た。あれは本当だったはず。
「……俺は、君の声を拾うことはできない」
「ズットスキダッタ」
「え」
「貴方ノコトズットズット好キデ好キデスキデ。アノオンナヨリモ私ノホウガ、モットモットダイスキナノニ」
目の前にそれはいた。冷たい氷のような手が首筋を撫でる。その両手が自分の首にかけられている。それがなにを意味するのか、脳は遅れて判断する。
「……ぐっ、カハッ」
「今日モアナタノコトヲ、見テイタダケナノニ。ドウシテ? 痛イ、イタイ、痛イノ。ドウシテコンナニ、イタイノ? ワタシガ、ナンデ、殺サレナキャ、イケナイノ?」
――顔が見えなかった。ドロドロと皮膚が溶けていくように、血しぶきは地面に水たまりを作ってゆく。少しずつ少しずつ。蛇口をひねり流れる水のように、いいや、噴水のごとく吹き上がる水流のごとく。
もはやそれは人の形をした肉塊だった。
ああ、この人。――目が無いんだ。
「ダイスキ、ワタシノ王子サマ。……ワタシト」
彼女は何者か。どうして殺そうとしてくるのか。どうにかして、どうにかしなければ。
どうすれば?
――ずっと見ているだけだった憧れの人。貴方の側に居たいけれど、勇気が出ないからそこまでは望まない。見ているだけでいい。見ているだけでいいの。けれど、それでも思ってしまう。どうして貴方は振り向いてくれないの。隣にいるあの女はだれ?
ふさわしくないふさわしくない、けれど、敵うはずもない。今日も眺めているだけだった。それだけだった、でもいつか、いつか振り向いてくれたのなら。
――声は訴える。
「……きみはっ、なにっ」
声を絞り上げ正体を探る。君は誰? ……段々と思考は緩やかに止まっていく。絞殺は何分で死ぬんだっけ。読んだ推理小説に書いてあったような気がする。
何分? 何秒。
考えはまとまらない。
――君は、どうして死んでしまったの?
「ズット一緒ニイテネ」
彼女は笑う。叶えられなかった望み。
ようやく叶えられる。
「ダイスキナヒト」
彼女は幸せそうに頬にキスを落とす。首を絞めつける両手が更に絞られて、彼女の笑顔を眺めることしかできない。無邪気な笑顔。それは結婚式の花嫁のように晴れやかで可憐な笑顔だった。
ドロリと崩れていく腕も無くなって、彼女に引きづり込まれていくように自分の身体が沈んでいく。
――連れて、行かれる。
「アイシテル」
あぁ、俺は死ぬのか。
あっけない死に方だった。なんで死ぬのかも分からないまま。
誰に殺されたのかも分からない。どうして殺されるのかも分からない。あぁでも、案外人ってそうやって死ぬのかも。
そんなくだらないことを考えながら目を閉じた。
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