第14話 偽物

「悟、大丈夫か?」

「え。健斗?」


 空から声が降りてくることに気づいて目を開けた。気を失っていた時間はどれくらいか。

 上体を起こすとは消えていた。

 俺は公園の真ん中で倒れていたようだ。スマートフォンの時計は二十四時を過ぎている。針が進んだ時刻は十分、――おそらく眠っていた時間はそのくらいだ。


「健斗、なんで?」

「……ごめん」

「ごめんって、なんでだ?」

「あ。いやええっと、忘れてくれ」

「……え、なに。俺に盗聴器でも仕掛けてるの?」

「そんなことしてないって」


 健斗は手を伸ばしてきた。俺は腕を掴まれて立ち上がる。首には少々違和感がある。触るとなにか細いものが押し込まれたかのように凹んでいた。

 それが首を絞められたことによる鬱血だと思うとゾッとする。

 頭はぼんやりと思考が定まらない。どうしてここに健斗がいるのか、とか。アレがなんだったのか、とか。考えて。ぐるぐると思考を巡らせても止まらない。


「……健斗は、」

「なに」

「ほんもの、だよな?」

「……なに言ってるんだ。本物ってなに」

「だよな」

「変なこと言ってないで帰るよ」

「……なぁ」


 健斗は『ん?』と振り返る。


「なに言ってるんだ。悟の下の部屋じゃん」

「…………それ、」


 電柱に照らされた健斗は顔の半分に影を落とす。幽霊ではないと思う。足もちゃんとあった。人間として動いてる。

 でも、中身は。


「初耳なんだけど」

「え?」

「お前、健斗じゃないだろ」


 きょとんとした目はだんだんと鋭い瞳に変わっていき、口元が緩んだ。指摘しなければそのまま健斗のふりをしたのだろう。指摘をしても驚くとか蔑むとか逆上するでもなく、ただ、くすくすと笑い出した。


「あいつ、言ってなかったんだ」

「お前、誰だよ」

「助けてやったのに、な。あと数分遅かったら死んでたぞ。……それはいいや。ちょっと話がある。吉沢悟。――こいつには気をつけろよ。執着に関してはどうかと思うぞ」


「……それは」

「もし、下の部屋に住んでいなかったら。こうして助けに来ることはできず、お前は死んでいた。でも、やり過ぎだな。お前が心配だから守るため、にも程があるとは思わないか。……少しはためらったらしいけども」


「健斗が変わったのはお前のせいか?」

「それ、俺から話していいのか?」


 健斗と同じ顔がこちらを見つめている。口から出た言葉をもう一度考え直し、気づく。ああそうなんだ。目の前にいる存在は健斗がどうしてああなったのかを全て知っている。

 俺が知りたいことを全て。


「どうせこいつは口を割らない」


 首をいま縦に振れば全て分かる。


「聞くか?」

「いや良い。健斗から聞く」

「話さないかもしれないぞ?」


 不思議と恐怖を感じていなかった。目の前にいるのは親友の姿をした何者かだ。

 自分でも驚く。――怖くはなかったのだ。


「いや。聞き出す。無理やりにでも」


 おそらくソレは人間ではない。


「……ふうん。そうか。聞き出せると、いいな」


 その目はなんだか嬉しそうで。けれど、見えているものが全く違う。俺の姿を通して誰かの姿を見ているかのような――。


「あと、ありがと。助けてくれたんでしょ。俺を」

「別に。お前を助ければ、俺が得をするからだ」

「それは、どういう?」

「……それよりお前、どうして抵抗しなかった? 自ら、死を求めたのはどうしてだ。どうして死を望んだ」

「え」

「お前、自分はいつ死んでも良いとか思ってないか?」


 その目は静かに冷ややかに蔑んでいた。


「だからこいつは、そこまでして守ろうとするんだな。首輪をつけて無理やりにでも守らなければ――お前は簡単に死ぬ」

「……そんなことは、ない」


 そんなことはないはずだ。首に残る鬱血痕をなぞりながら出した声は弱々しくて、あいつの声が頭の中で反響して眩暈がした。


 あいつは、ビニール製のテープに小さく『和田』と書かれた部屋に入っていった。俺の部屋の真下。引っ越してきた時、その部屋は空き家だった気がする。その後すぐに誰かが入ってきたのは覚えているけど、あまり気に留めていなかった。


 俺も階段を上がって自分の部屋に着いたはず。

 けれど頭の中はぐちゃぐちゃになって。なにもかもが現実味がなくて、それを疑問を持たずに受け入れている自分が気持ち悪くて。

 現実と虚像が入り混じる。


『――肝が据わっているのは構わないが、お前はどこか壊れてる。あいつも過保護だとは思うが、それが治らない限り変わらない』


 酷いことを言われたのに、自分の心は傷ついていなかった。

 むしろ、ああよく分かっているな、と受け入れて納得する。


「さすがにそうか、人間なら死にたくないと抵抗するか」


 スマートフォンを枕元に置いて目を閉じる。

 さっきのあの反応は、人間らしくなかったのか。

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