第3話 猫を捜索せよ。依頼報酬は十万。

 説明会が終わると足早に部室棟に向かった。

 大講義室に遅れて滑り込み端っこでただ話を聞く。まだまだ周りの学生には声をかけられず、一人寂しく講義室を後にした。


「……健斗に聞こ」


 集まった学生たちは、年齢は一つ下であるものの学年は同じだ。決して負い目を感じてしまったなんてことはない。

 そんなことはないはずだ。


「健斗、いますか……」


 探偵部。そう書かれた藁半紙が戸に貼り付けられたドア。いつ貼られたのか、端はぴらぴらと風にはためいている。こういうところはなにか探偵らしくない気がする。

 部室の中もそうだ。


「掃除する人いないのかな」


 片づけたい。その衝動を抑えられず本棚に手を伸ばしたその時、部室のドアがガラッと開いて健斗が入ってきた。


「あ、悟。さっそく来てくれたんだね」

「開いてたから」

「鍵を開けたのは佐々木さんかな。今日の説明会では見なかった気がするんだけど。……見逃したか」


 健斗とテーブルの手前に座り向かい合う。鞄から冊子を取り出し、それを見ながらタブレットに打ち込んでいく。


「悟、履修のことで聞きたいことあったら相談乗るよ。単位が取りにくいとか、取りやすいとか。その辺は分かると思う」

「さすが、先輩」

「悟のことだから周りに声はかけられなかったんでしょ。講義室とか、心の声が読めたらキツくない? その辺は大丈夫?」

「正直しんどいけど。その辺は慣れてるよ」

「そう? うちの学校、人が多いから。大変そうだよね」

「うん、まぁ」


 パソコンから目を離さず、静かな会話は続く。

 ちらりと本棚を眺め、隠れるように健斗の顔を見る。あの当時の面影はやはりあるはずなのに、成長したからなのか。それとも。


「……俺の心、読んでる?」

「んん⁉ ソンナコトナイケド⁉」

「大きな声を出さないで。隣が映画鑑賞部なんだよ。クレームが来る。なるべく抑えて」


 低く冷静な口調の中に柔らかく気遣うようなものを感じたが、相変わらず目線はタブレットの画面を向いている。心が読めることを見透かされ、じっと顔を見ていれば誰だってそう思うか。あまり経験がないことだったので余計に驚いてしまった……とは言えない。言いたくない。代わりに、考えていたことを聞いてみた。

 こちらは早く解決したかったからでもある。


「お前ってそういうやつ、だったっけって、思ったんだよ」

「誰だって、変わるものだと思うけど」

「……そうだけど。なんか、ほら」


 どうしてそんなことに引っかかっているのだろう。


「急に引っ越した? ――……ことも、あるのかなぁって、思って」

「それはごめん。本当に」

「なにがあったんだ?」

「……それは」


 その時、ドアが勢いよく開き、同時に振り向く。


「おっはよう! ご機嫌麗しゅう探偵部の諸君! 今日もどデカい大事件を持ってきたぞ!」

「佐々木さん。ドア、壊れるから静かにして」

「冷たいこと言うなよぉ。ほーら、事件だよ! 事件! 今度は二丁目で白猫ちゃんが失踪!」

「また、猫ちゃん」

「マシュマロちゃん、三歳。ほら、真っ白でふわふわぁな、きゃわいい猫ちゃん!」

「猫ちゃんはいいよ、猫ちゃんは。俺、何匹見つけた?」

「ええー、いいじゃん! 大事件かもしれないじゃん!」

「いつから俺ら、猫ちゃん専門の探偵事務所になったの?」


 健斗のツッコミはごもっともである。深いため息の後に、テーブルに叩きつけられた一枚のチラシ。そこに書かれていたのは、真っ白でふわふわの毛玉のような白猫が一匹。


「近所の奥様がお願いって。恵梨ちゃんはなんでも相談に乗ってくれて困ったことをなんでも解決してくれたからって。ちゃんと報酬金もあるのだ」

「……へぇ。いくら?」

「十万」

「……十万。……ぇ、十万⁉」


「悟。この佐々木恵梨ささきえりって、お騒がせな彼女。良いとこのお嬢様だから近所の奥様が、どこかの投資家や実業家、社長、政治家……なんてことがザラにあるから気をつけろ」

「え。嘘」

「割とガチ」


 佐々木恵梨は、ショートカットに淡い水色のブラウス、プリーツスカートのどこにでもいる……というと失礼だが、石を投げれば面白いように当たる、ごくごく普通の女子大学生である。

 健斗が軽くあしらっているようにいつも騒がしく元気で明るい。

 明るすぎる。着ている服はよく見ると清楚で上品、かつお淑やかなお嬢様に見えるのかもしれない。しかし、この騒がしさが服と鼻筋の通った綺麗な顔立ちを吹き飛ばす。

 どう見ても、良いとこのお嬢様には見えない。


「……嘘でしょ」

「ちょっと、失礼じゃない⁉ 二人とも!」

「佐々木さん。そんなことより、猫ちゃんの情報はもっとないの?」

「ノルウェージャンフォレストキャットの、青と黄色のオッドアイ」

「のるうぇー、じゃ……?」

「ノルウェージャンフォレストキャット。北欧、ノルウェーを原産とする、北欧神話にも登場する長い歴史のある猫ちゃん。ふわふわの毛並みが特徴。可愛い。以上」

「見つけたら十万?」

「そう。見つけたら奥様がお小遣いをくれます」


 お小遣いの値段としては少々高すぎる気がするが、愛猫が失踪して早く帰ってきてほしいと懇願する気持ちは分からなくもない。そう考えると、十万というのは高いわけではないのか。いや、十万をポンっと学生探偵に成果報酬として提示する――なんてことは、もし自分が大人になって働くようになったとしてもおそらくないと思うのだが。

 お金持ちのすることはよく分からない。


「血統書付きの猫なら、目立つから見つけやすいのか……?」

「猫ちゃん! ちゃんをつけなさい! 猫ちゃんと!」

「えっ、あ。猫ちゃん!」


 健斗が先程から『猫ちゃん』と呼ぶことに気にはなっていたが、この佐々木の指示だったのか。真面目な顔で頑なに『猫ちゃん』、『猫ちゃん』というものだから、いつツッコもうかと思っていたのに。


「ということは、猫ちゃんを探せば良いのか」

「その通り! さっそく取り組んでもらうけど、まずは我らがしなくてはならないことを。悟くんはまだ履修登録してない? 一年生ならまだ慣れてないよね? 教えようか?」

「あ、結構です。ダブってるから学年が下だけど。多分、年齢は同じ……だよね?」

「え! そうだったの⁉」

「そうっす。浪人してるから……今年、二十なんだけど」

「えぇー、同じ年だったのかぁ! あれ、学年言ってたっけ?」

「いや、……今、ちょっと聞こえた、というか」


 なんとなくの推測はできていた。

 健斗が部室に入るときに言っていた『鍵を開けたのは佐々木さんかな。今日の説明会では見なかった気がするんだけど』ということから、説明会で顔を見合わせるかもしれない可能性、つまり健斗と同じ二学年なのではと。それだけでは当てずっぽうではあるので、もう一つの確信としては先ほど聞こえた心の声。


「……初めてできた後輩には優しくしなきゃ、って」

「うそ、口に出てた⁉」


 佐々木は口を押さえてうろたえる。

 当然ながら一切、口に出てはいなかった。


「ちょっと口に出てた、かも」

「恥ずかしい! お姉さんぶれると! 思ってたからかな!」

「うっす。教えてくれるのは助かる。説明を聞いてもまったく分からなかったし。周りに聞ける人がいなかったし……まだ、」

「教える教える! どういうの興味ある!」

「心理学、とか」


 好意があるというわけではないだろうが、こうもぐいぐい来られると意識をしてしまうものである。年頃の男子なら尚更。


「佐々木さん。そんなことより、猫ちゃんの捜査については」

「健斗くんはそっちの方が気になる⁉」

「別に。悟が不憫なだけ」


 健斗が助けを出し佐々木は自分から離れてまた例のチラシに目線が戻る。ホッと息をつくと健斗と目線が合う。その顔が不機嫌そうに見えたのは気のせいだったのだろうか。

 あれ、どうしてそんな顔をするんだ……?


「悟。履修は後で俺も教えるから。今はこっちに集中して」

「う、うん」

「佐々木さん。これ、俺と悟で行くから。いいよね」

「もっちのろんだよ! じゃ、任せた!」


 とびきりの笑顔で渡されたのは膨大なチラシの束。


「じゃ、これ。私が刷ったチラシ。たくさん配ってね!」

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