第33話 どうして俺を殺したの②

「健斗。俺は、お前の姿を借りて、お前のように振る舞うお前を視た」


 健斗の動きが一瞬止まる。にこやかに俺を見守っていたその顔が引き攣る。

 お前のアパートの部屋を見た時に奇妙に思ったことがある。洗面台の鏡に布が被せてあった。単純な目隠しなら綺麗好きなのかな、と思うだけ。それだけなら奇妙には思わなかったかもしれない。窓にもカーテンがかかっていた。だからあの部屋は妙に暗く、不気味だった。

 鏡と窓。

 一見それはかけ離れている。だがその二つを隠す理由が同じならば? 窓も外が暗ければガラスは部屋の中を鏡のように映し出す。鏡は布を被せ。分厚いカーテンで窓を隠す。

 つまり、姿が映るものを全て隠していた。

 お前が警戒していたのは、お前の身体を乗っ取ろうと狙うお前にまとわり憑く心霊達だ。間宮華怜が暁杏奈を乗っ取ることができたのなら、それよりももっと多くの心霊に常にまとわり憑かれている健斗は、それの比ではないだろう。

 ただ乗っ取ることができる、と俺が対峙した相手は少し違う。間宮華怜が暁杏奈の姿を取ったとしても俺はすぐに中身が違うことに気がついた。

 健斗の中にいた人物は違った。俺は確かに本物だと思った。

 健斗の姿を乗っ取り完璧に模倣したドッペルゲンガー。


「俺は、見破れなかった。お前の口調も喋り方も全て模倣して、俺が指摘をしたのはただの勘」


 俺が指摘しなければそのまま健斗のフリをして正体を表す気はなかった。


「健斗の癖を全部も模倣する。幼馴染の俺も欺くほどの演技。多分その人は演技が上手くて、天才と呼ばれるほどの人物だった。そんなことができるのは、貴方しかいないでしょう?」


 身体を乗っ取ったとしても口調だけは模倣できない。健斗を観察していてもそれを演技で乗り切るのはそれとは別の能力だ。並の人間にはできない。大学時代に映画を取った。彼らは俳優。

 その中でもおそらく彼はとびきりの演者だ。


「櫻木大和さん。貴方はどうして自分を殺したのかを聞きたいんだ」


 あの使用人通路にも割れた鏡が置いてあった。落として割った、叩き割った。そのどちらか、判別はできなかったけれど健斗は身の回りから鏡面を排除している。

 この部屋にも鏡はない。


「健斗の部屋の窓にもカーテンがかけてあったから、鏡を見ることだけが発動条件じゃないはず。鏡は異界と繋がっている――。俺は今、鏡を持っていないけど姿さえ映ればいいんじゃないか?」


 俺はスマートフォンを健斗に向ける。内カメを起動させて、画面を健斗に向ける。スマートフォンの画面には健斗の姿が映る。これだけで乗っ取れてしまうのなら健斗は常に警戒していなきゃならない。それはなんとも難儀だ。常に自分の身体が乗っ取られていたのならば、健斗が健斗としてあった時間は一体どのくらいになるのだろう。きっとそれは俺の読心よりもはるかに困難な体質だ。


「悟、流石にスマホの画面じゃ大丈夫だよ」

「そうか? 脂汗ひどいけど」

「やめて、分かった。分かったから……ちょっと待って……」


 その場にしゃがみ込んだ健斗に追い打ちをかけるようにスマートフォンを掲げる。健斗はしばらくなにかと話していた。目の焦点が合わないままなにかと。たぶん俺にじゃない。

 すっと立ち上がった健斗はふうっと息を吐く。彼らに向き合い、声を発す。

 それは、健斗の身体を通して降りる。


「――朔弥。お前が俺を殺したこと、俺は気づいていたよ」


 空気が凍る。窓が空いていたんだろうか。冷たい風が吹く。声が聞こえる。濁流のように押し寄せてくる。自らを飲み込むように。きっとそれは彼らも気がついた。

 ああやっぱり、あの時に覗いた景色と同じ。

 人型にぼんやりと浮かぶ影は、たぶんずっと健斗の背後にいた。ここに来るまでに健斗がなにを彼らに言ったのか分からない。けれど、おそらく彼らは健斗の背後にそれを見たのだ。

 あり得ないもの。過去の罪を体現し、自分らを恨むもの。


「信じたくはなかった。きっとそれには理由があるんだろう」


 健斗と同じ声色でそれは語る。

 やっぱりそうだ。あの時と同じ。健斗の姿をしているのに中身だけが違う。


「お前はそういうやつだったのか。俺、知らなかったよ」


 ――大学の劇団でひとりだけオーディションに合格した。高校の時から憧れの俳優になるために誰にも負けないくらい必死に練習した。それは目に見えて着々と成果を伸ばし、同じサークルの団員達も応援してくれていると思っていた。


『櫻木君はすごいよ』


 と、親友は頬を高揚させ褒めたたえる。僕も頑張って追いつかなきゃ、と。その様子をほほえましく思いながら赤く染まった空を帰った。彼は高校の時から演技に打ち込んだ仲間だった。

 生涯、隣で肩を並べあうライバルだと思っていた。

 共に戦っていけると信じていた。将来は同じ俳優として、芸能の道に進んでいく。ドラマ出演を重ねて名のある俳優へと成長していく。どこかの雑誌の取材でお互いの話をして、ある時は良きライバルとして。ある時は良き友として。アイツがいたからこそここまで来れたんだと語り合う、そんな未来を信じていた。

 ――でも、そうはならなかった。


「ねぇ健斗」


 俺は、青ざめた顔の八代を見る。それは演技ではなかった。目の前の人物を恐怖を。俺がどんなに訴えても素知らぬ顔をしていたのに。


「アレやってよ。黒猫の時に見せたアレ」


 あれって健斗の能力でしょう?


 あのお兄ちゃん、もう人間じゃないよ。

 ――とユウは言っていた。


「声を、聴かせてあげるんだ。死んでも訴える届かぬ問い」


 人間には得られぬ能力だ。黒猫たちは自分達が殺された理由を問い続ける。自分にしか聞こえない声。問い続けても相手に聞こえることはない。その念の塊に押しつぶされそうになった。地面に膝をつき重圧に心臓を潰されるようだった。あれは、健斗が生み出したもの。

 ――どうして自分は死に、どうして殺されたのか。

 死霊の無念を晴らすため。

 お前の役目ってきっと、そういうことなんだろう。


「お前と俺の能力があれば、過去になにがあったのか投影できる」

「無理だと思うけど」

「無理かはやってみないと分からないだろうが!」


 俺は健斗に駆け寄って手を掴む。健斗が振り解こうとするが、掴んだ手は離さない。ガチッと固めて握り返す。あとはどうやってあの時の再現をするかだけれど。


「――悟。分かった。やるよ」


 健斗はふう、と息を吐く。

 あの時と同じだ。地面が揺れて健斗だけが平然と立っている。あの時と違うのは、自分も健斗と同じように振動を感じないことだ。

 声が聞こえる。

 濁流のように押し寄せてくる。自らを飲み込むように。

 走馬灯のように流れゆく記憶を、健斗と共有する。


「俺は、死者の願いを叶える願望機でありながら、叶えられる願いに制限を持っている。機械的に役目を果たす装置、なのに」


 俺も健斗も、この能力で誰かを救うことはできない。

 死者の魂を呼び寄せて無念を晴らしたところでこの世界になんの影響が出ようか。死んだ人はなにもできない。

 彼らの願いを、お望みどおりに叶えることはできない。だって、願いとは生者であるからこそ叶えられるもの。死して未来を閉ざした彼らの願いは、どうやっても叶えられない。

 ――故にそれは、過去への問いかけ。


「朔弥、


 しばらく沈黙する。沈黙の中、声を上げたのは八代朔弥だった。


「……お前に、僕の気持ちが分かるはずがない」


 わなわなと、静かに怒りを。


「お前がいなければ、僕はもっと早く売れることができたんだ。どんなに練習しても、やっと主役をとっても、僕はいつもお前の代役。お前さえいなければ、お前さえいなければって、なんど思ったか」

「朔弥くーん。なにムキになってるの? 言いがかりよ? 落ち着きなよ、証拠なんてないんだから」

「うるさい。黙ってろ。お前らには関係ないんだよ」

「ちょっ! はぁ! あんたが借金返さないのが悪いんでしょ! 私らはあんたがお金を返せるように手伝ったんだけど!」

「うん。感謝しているよ。お陰で僕は売れることができた。大和なんか目じゃないくらい、ちゃんと真っ当に売れることができたんだ」


 ――悲痛。


「でも、用は済んだだろ。金は返した。ちゃんと僕が稼いだ金で返したんだ。綺麗な金だろう? いい加減、僕にたかるな」

「お前っ、いい加減にっ!」


 松本が八代に殴りかかろうとした時、健斗がそれを止めた。


「朔弥。俺に言いたいのはそれだけか?」

「そうだよ、お前のことずっと嫌いだった。僕がどんなに努力を積み重ねてもお前に勝てない。お前は平気な顔で僕の先を行く。お前は天才で、僕は凡才。――そりゃ、勝てるわけがないよねぇ!」


 天才と凡才。勝てない悔しさ。――だから殺した。

 確かに八代のいうことは動機そのものだろう。八代には櫻木を殺す理由があり、それを実行したに過ぎない。けれど俺には疑問があった。八代の言動と行動には矛盾がある。

 言動はどうにでも嘘をついて誤魔化せる。

 けれど行動はそうはいかない。


「敵うわけのない相手に絶望する気持ちは、分かる。どんなに足掻いても追いつけない。入学式で健斗に再会した時。俺は、一年浪人してようやく合格したのに、健斗はあっさりと現役で合格して目の前に現れた。その気持ちは分かる。痛いほど、俺にも分かる」


 二人の境遇は俺たちと同じ。俺たちが、仲違いしたルートのひとつ。

 櫻木の演技を見れば分かる。あれは天性のもので、努力で埋まるものではない。それは八代も分かっていたはず。初めはそれでも追いかけていた。だが、ある日気がついたのだ。

 あれには敵わない。あれを越すことはできない。

 そう思ったから殺そうとした、けれどそうであったのなら。わざわざ閉じ込めて餓死を待つだなんて遠回りをしなくてもいいはずだ。この洋館は山奥にある。閉じ込めるだけではなく、その場で頭を殴って殺せばそれで済んでしまう。警察も見つけられない。殺害する気が本当にあったのなら。

 この方法は遠回りがすぎるのだ。


「じゃあ、どうして凶器の金槌を通路に隠したんだ?」


 俺は、ドアに橋渡しになった一本の金槌を見る。

 そこには血が付着している。


「八代朔弥さん。貴方は確かに殺すつもりではなかったんだ。一回だけ、一回だけ、櫻木大和の代役として主役をやらなければならない。だから彼をそこに閉じ込めた。凶器の金槌を軟禁した通路にしまって、いざとなれば、その金槌を使って脱出して欲しかった」


『彼は、おそらく暗闇の中、あの扉をこじ開けようとした。つまり、この通路がこんなに伸びていることを知らなかったのだろう、と思います』


 死体のそばにはなにもない。彼は財布やスマートフォンなどの貴重品さえも持っていなかった。それは自分の身分を証明できないということ。現代人なら当たり前に持っているスマートフォンに搭載されている機能を一切使えなかったことになる。救助を求めること、時間を知ること。スマートフォンにはライトも搭載されている。

 俺たちはスマートフォンのライトを照らし灯りを得ていたが、彼にはそれができなかった。ここがどれほど伸びているのかを知らず、ただひとつの入り口に固執し、こじ開けようとした。当然、床に落ちている金槌なんて気がつくはずがない。

 彼は餓死した。

 光のない真っ暗闇の孤独の中で。


「貴方は、櫻木大和さんに死んで欲しくはなかったんだ」


 ――公演は一週間。もう脱出できているだろう。この役だけは絶対に欲しかった。あいつはいつもいい役に恵まれている。だから一回くらい自分がもらってもいいはずだ。そうとはいえ、これはやりすぎだったかもしれない。否定しながらも抱えていた明確な殺意。心臓の高鳴りとやり終えた後の安堵感。震える手で持っていた金槌を捨て洋館を去った。

 どうしてあんなにムキになっていたのか。終わってしまえば幼稚な理由。あいつへの嫉妬と、自分だけが成功できていない焦り。

 それだけ。

 悪かった、事情を話して許してもらおう。

 親友に久しぶりにメッセージを送る。


 ――ごめん、どうしてもこの役が欲しかったんだ。


 けれど、それが返ってくることはなかった。

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