第24話 誰が為の救いか?
目が覚めると健斗が目の前にいた。
固いものが背に当たって痛い。ぼんやりとした頭がだんだんと明瞭に――それが教室の引き戸なのだと分かる。
「あれ、健斗?」
「大丈夫か?」
「あ、うん、なんで?」
声が震えている。人並みに恐怖は感じていたようだと少し安心する。ぼんやりとした視界が鮮明になっていく。ぼちゃりと落ちた水面下。服は全く濡れていなかった。やはりあれは幻覚だったんだろうか。
「俺はどうやって戻って来れたの」
「うっ、それは」
健斗があからさまに目を逸らす。
また嘘をついて誤魔化そうとしているな。
「健斗、隠し事はバレるって」
なにをまた隠そうとしているんだ。今日は健斗の心がまるっとお見通しなんだぞと心を読もうとした時、身体になにかが乗っていることに気がついた。足を伸ばした膝の上にちょこんとソレはある。
普通ならすぐに気づくだろう。
それが本当に人間の重さならば。
「やめてよっ、急に動かないで!」
身をたじろがせるとソレは声を上げた。くるりと首をこちらに向けて猫のように抱きついて。小さな手でしっかりとしがみついて振り落とされまいと。
「お兄ちゃん、酷いなぁもう。ボクを振り落とそうとするなんてさ! ボク、重くないでしょ」
重いからダメ、軽いからオーケーということではない。
それは子どもの姿をしていた。くるりと巻いた猫っ毛の黒髪、黒い半ズボンと黒いシャツ。それはまるで私立小学校に通う育ちの良いお坊ちゃんのよう。友達が飼っているカナリアを手に乗せた時――、そう。いま膝に乗った少年の重さはそのくらいだった。
大きな瞳がきゅるきゅると動いて生体であることをありありと感じさせられる。抱きしめられているその体温や吹きかけられる吐息は、氷のように冷たいのにも関わらず。
「ふぇ?」
健斗が頭を抱えている。
だよな、そうだよな。俺だってなにがなんだか分からない!
「は、はーなーれーろーっ!」
きゃあきゃあとはしゃぐ彼を引き剥がし、改めて状況を確認する。えっと、水面に堕ちて、声を聞いて交渉して。遠回しにこのままこの小学校で彷徨うのが良いんじゃないかと提案した……はずだ。悪いモノではない。それは確かに俺の勘だけれど、今までの行動からそこの選択が間違えているわけではないはずだ。
なのにどうして? ホワイ?
「お兄ちゃん、ボクの友達にはなってくれないって言ったけど、ボクは別に友達じゃなくても良いんだよ。ボクのことを忘れなければ良い。ボクが視えなくならなければいい。お兄ちゃんは人間から少し外れてるから、他の人間よりもその期間は長い」
「……ん? うん」
「ボクが人間になってお兄ちゃんと一緒にいれば、お兄ちゃんはいつまでもボクのことが視えるよね?」
「……よく分からないな……?」
「お兄ちゃんのこと気に入ったからずっと一緒にいる!」
「シンプルだけど、執着を感じる!」
まさか一番の悪手を引いてしまったのではないか。
「健斗! どうにか、どうにか、して!」
「……悟。俺にはどうにもできない。それは悪意じゃない。純粋な、子どもとしての無邪気さだから。俺にはどうにもできない……」
「お兄ちゃんッ! あーそーぼ! さっきの、さっきの引き剥がすやつやってぇー」
ぎゅっと抱きついて来るソレは無邪気な子どもそのもの。くらりと目の前が歪んで目眩が襲い掛かる。救うとは難しいことだ。中途半端に手を出してしまったからなのか、それとも見積もりが甘かったのか。人間では通じる理屈が人外には通じない。なんてことは、ファンタジー小説においてあるあるである。
自分がそういった能力があるからと見くびりすぎたのかもしれない。
「……責任、取れよ」
健斗が慰めるその言葉が突き刺さる。自分の心を深く抉って抜けることはなかった。
しばらくして図書室のドアが開かれる。
「あ、兄ちゃん! 聞いて聞いて、このお兄ちゃん、めっちゃたくさんのことを知ってるんだぜ! 俺、とっても楽しかったぁ!」
校内を探検していた神田先輩と田代くんがようやく図書室に着いた。無邪気に神田先輩の話をしている。神田先輩は隣でにこにこ笑っていて、懐にキャラクターのカードらしきものがちらりと見えた。興奮気味に語る田代くん。よほど楽しかったのだろう。
そんな彼を見つめる瞳がふたつ。
彼の姿は田代くんには視えなくなってしまったのだろう。
誰を探すために学校に来ていたのかさえも忘れてしまっていた。あんなに必死で探していたことも、その感情も、もうどこにもない。
――これで良いんだ。子どもの時の淡い記憶。
大人になって忘れ去ってしまう彼方の記憶。
左肩にちょこんと座るソレは、素知らぬ顔をしていた。
あぁ、でも肩に乗るのはやめて欲しい。
「悟くんは、誰かを救おうとするけれど、その優しさは相手の為? それとも、過去の救われなかった自分を救うためにあるのかな」
と、神田先輩は月夜陰る夜道で問いかけた。健斗は用事があると言い、先に帰ってしまった。アパートが同じなのだから一緒に帰りたかったし、なんとなく体調が悪そうだったけれど、止めるままなく帰ってしまったので神田先輩と帰ることにした。
学校を出て、後ろから絞めるように首にぶら下がった少年はくうくうと寝息を立てている。不思議なことに重さは感じない。
首にネックレスをかけている時にそのものの重さを感じないように。
神田先輩には彼の姿が視えていないらしい。もし、神田先輩がこの少年が視えていたとしたらそれはそれで長い長い講義を聞きそうなので、命が助かったといえばそうなのだが。
「なん、ですか?」
なにを問われたのか分からず、声が震える。なんとなく嫌なことを聞かれているのだと分かり、身が強張ったのもあるだろう。隠していた秘密をこじ開けられるかのような不快感。
神田先輩の顔を見ると、いつもと変わらない穏やかな笑顔だった。
それが少し怖く感じるくらい、触れられたくない話題なのだと頭は理解していないのに、身体だけが反応している。
逃げたい。怖い。――認めたくない。
「なんとなく、相手のことを思って相手が望むから救いたいというよりも、救われなかった自分の過去を慰めるために目の前にいる相手を救おうとしているんじゃないかなと思ってね」
「……そう、見えますか」
そうではない、と思いたかった。
なんだかそれは自分のエゴを押し付けているように感じたから。ぴたりと言い当てられたそれがそうではないと否定して、そんなことはないはずだとそしらぬふりをしようとした。
「悪いことではないと思うよ。震災で救われたから今度は自分が救いたいと思うのは、立派な動機だ。けれど、悟くんは、自分を犠牲にしてでも、その願いを叶えようとしているのではないかと思っただけ」
核心を突こうとして問い詰めているわけではない。
ただ気付いたから聞いただけ。
カッと頬に熱が灯る。幼馴染であり、この事件でもずっと一緒にいた健斗ではなく、離れていてあまり話してもいなかった神田先輩に指摘をされたことが。
「神田、先輩からもそう見えますか……? 俺が自己犠牲っぽいって」
「見える、というか、――もし、君が殺されそうになったとしたら」
「え」
「例えば、相手が君の首を絞めて、君を殺そうとしたならば」
「――……」
「悟くんは、初めこそ抵抗するだろうが、相手がそれでも君を殺そうとしている、その事実を知って、君は『相手の気が済むならいいや』と諦めてしまいそうな気がするんだ」
どうだろう? と、涼やかに微笑む神田先輩の顔をただ見つめる。
「そんなこと、ないですよ」
「そう? それならいいんだ」
どうしてあの時、抵抗せずに諦めたのか。自分さえも言語化できなかった答えを見透かされ目の前に提示される。証拠を何個も吟味したわけではなく、ただ観察をして得た疑問。
犯人を追い詰める探偵の目とは、ああいうものを言うのだろう。
「そんなに俺、危うい、んですかね」
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