第29話 探偵は死体の横で眠る
「お兄ちゃん、お兄ちゃん」
なにかが体の上に乗っている。ふんわりと羽のように軽い。
「……けん、と?」
「ボクだよ。お兄ちゃん大丈夫?」
焦点が合う。目の前にいるのは背景を通す幽体。
「ユゥ?」
「触れなくてごめんね。お兄ちゃん、この怪我は大丈夫なのかな? 頭、触ってくれる?」
ペタペタと頭を触ると濡れていた。水でも被ったんだろうか。鉄錆の匂いがあたりに漂う。そういえばあの夢の中で嗅いだ匂いと似ている。手についた液体を見るとベタッと赤いものが張り付いていた。まだそれは体温を残して生ぬるい。
「血……」
「お兄ちゃん、ずっと寝てたよ?」
ユウに言われて辺りを見渡す。ポケットに入れていたスマートフォンのライトで辺りを照らす。どのくらい寝ていたんだろう。外からの光は一切届いていないようだ。
ライトに照らされて人影が見つかる。
「神田先輩?」
壁にもたれかかっていたのは姿を見せなかった神田先輩だ。まさかここに捕まっていたのか。近づいて頬を叩いても反応がない。
「まさか死んッ……」
腹の虫が鳴く。ぎゅぅ、と引き潰れるような声。
「ふぁ、よく寝た……」
呆気に取られているとむにゃむにゃと神田先輩が目を開けた。
ぐーっと腕を天に伸ばし、首をぐるりと回す。
「神田先輩、もしかして昨日の夜からここに?」
「悟くんもですか。僕は捜索していたらここに迷い込んで……。気づいたら出口が分からなくなってしまって、このとおり」
神田先輩を見なかったのはこの通路にいたからか。
「お腹が空きましたね、昨日からなにも食べていないので。とりあえず寝ていようと」
神田先輩はのんびりと慌てた様子がない。ただ、ここがどういった場所なのかは認識していた。
「おそらく彼は、しばらく生きていたのだ、と思います」
地上に向かう階段を封じ込めるように蓋がされている。木の蓋には鋭利なもので傷つけられたような痕があった。赤く汚れ、所々黒く燻んでいる。死体のそばにはなにもない。財布やスマートフォン、身元を割り出せるものもなにもないのだ。木の棒すらもなく、あるとするなら彼の身体のみ。
「爪でこじ開けようとしたのでしょうね。死体の爪がボロボロになっています」
「……ほんとだ」
「このままなにもしなければ我々も彼と同じになります。悟くん、これはピンチですよ」
「ピンチなら死体の横で寝ないでくださいよ」
冷静な判断に、さすが探偵部の部長を務めるだけある。しかし、この状況を考えてほしい。そもそも神田先輩がこうなったのは洋館を探索していたからである。
「困りましたね。この通路は部屋を行き来できるとはいえ……出口がどこも閉ざされてる」
「この通路ってなんなんですか?」
俺と神田先輩が閉じ込められてしまった謎の通路。さほど広くはないが大人が立って歩けるくらいには高さがある。あたりは真っ暗で灯りはない。古い家財道具が通路の途中途中に置かれており倉庫のようになっているところもある。床には燃え滓が落ちていて、割れた鏡もあった。
「ここはおそらく使用人通路です。使用人が主人の食事や御用聞きをするための業務用の通路ですね」
神田先輩はこの通路を全て通ったのか慣れた様子で歩を進める。
「この洋館ってなんですか?」
縦横無尽に繋がる使用人通路。
日本にある古い洋館のほとんどは、海外の建築物を真似て建築したものだ。しかし稀に、海外で建てられた建物を解体し日本にそのまま移築した物件が存在する。
はじめ、この洋館を見た時に感じた『貴族の邸宅をそっくりそのまま持ってきた』――つまり、その勘は的を得ていたのだろう。
「ここは、佐々木さんが去年買った洋館なのですが、佐々木さんは廃墟ならなんでも買うわけではありません。元々、華族の別宅として建てられたそうなのですが、その後すっかり忘れられ、不動産を経営している佐々木さんの目に留まった。その時に内覧をしたそうなのですが――そこで佐々木さんはこの洋館を買うことに決めたそうです」
「どうしてですか?」
「さぁ、それは分かりかねます。部室に資料が広げてあったのですが、あまり見てないんです。ただ、佐々木さんは健斗くんを連れて二人で出かけたようなので、二人なら理由が分かるはず」
神田先輩は顔を上げて、ある一点を見る。
彼が逃れようとした開かずの扉。
「彼は、おそらく暗闇の中、あの扉をこじ開けようとした。つまり、この通路がこんなに伸びていることを知らなかったのだろう、と思います。対して、僕らをここに閉じ込めた犯人はこの洋館の構造を知っている。悟くんは彼らと直接話をしましたか? 僕は、健斗くんたちが誰かと話していることは聞いていたのですが……あまり詳しく知らないままここに閉じ込められてしまったので」
違和感ならいくつもあった。
「あんまり仲良く見えなかった。洋館がここにあるのを初めから知ってた。森で迷ったからと言ってたけど、初めからここに来るつもりだったとか?」
「もっと直接的なものが欲しいですね。恋人同士だった、とか借金を負っているとか……」
「それはさすがに。俺もあまり話せてないので」
俺は健斗の話を隣で聞いているだけだった。コミニケーションは健斗の方が取っている。
「健斗なら分かるかも」
「なるほど。いずれにせよ、僕らを拘束せずに閉じ込めた理由は僕らを殺す意志はない……ということでしょう。逃げられる手段を奪い、ここに軟禁するに留めた。理由は分かりますか?」
神田先輩は先生が生徒に問題を与えるようにこちらに質問を投げかける。え、……と戸惑ったものの神田先輩の端正な顔がこちらをじっと見つめてくる。冗談ではないらしい。
「あの死体は俺らを閉じ込めた犯人が殺したわけではない……?」
「ご名答。おそらく死体になった彼をここに閉じ込めた犯人と、僕らを閉じ込めた犯人は別です。僕らを閉じ込めた犯人は僕らに邪魔をして欲しくないのでしょう。ここに死体があることを知られたくない。僕らが邪魔だけど殺したくはない。だから退路を防ぎここに閉じ込めているのです」
「それって、もし俺らがここから出て、死体があると言えば……」
「僕らを殺そうとするかもしれません」
神田先輩はごそごそと天井にある蓋を探る。
「もちろん、僕らの推理は的外れで、拘束しなかったのは単に縄がなかったからとか。ここに繋がる通路が絶対に開かないように施錠してあるとか。今は殺す気分じゃなかった。なんてこともあり得ます。いつでも殺す手段があるから閉じ込めている、――でも」
「情報が少なすぎる」
「早合点は推理を曇らせます。僕らは彼らを知りません。彼らが何者で、なんの目的でこの洋館を訪れたのか全く分からないのです」
どの出口も施錠されているらしく、内側から叩いてもビクともしない。助けを呼ぶことは不可能だ。この洋館に入ってからスマートフォンの電波は一本も経っていない。圏外なのである。
「流石の推理力ですね。よく状況を見ていて偉いです。さすが期待のホープ。健斗くんからの推薦も納得がいきます」
それはどういうことだ?
微笑む神田先輩の顔をじっと見つめる。
「さて。僕らは外界に出ず、佐々木さんと健斗くんに連絡を取らなければなりません。僕らが外に出るのは情報が集まり犯人を追い詰める、その時。それまで情報を集めましょう」
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