第19話 誰も、彼のことを覚えていない

 佐々木が教えてくれた小学校は、ビルの合間に聳え立つマンションのような学校だった。まさしく都会の学校。車がビュンビュンと通る大通りに沿って校舎を置き、その後ろに校庭があり、プールは室内や屋上に設置される。

 スマートフォンから流れる機械的な『オツカレサマデシタ』を聞きながら、あらかじめ教えられていた電話番号にかける。

 数分経って玄関に現れたのはリクルートスーツに身を包んだ女子学生だった。慌てて走ってきた彼女は目鼻立ちがくっきりと整っていて、ほんのりと薄化粧が施されている。

 綺麗な人だ。


「恵梨ちゃん紹介の探偵部の人って君たち?」

「えっと、永沼美優ながぬまみゆさん?」


 永沼はこくりと頷き深刻そうな眼差しをこちらに向ける。


「ごめんね。教育実習生の立場上、教室を勝手に使うことができなくて。そこの近くに喫茶店があるからそこでお話を」


 今日の実習は終わりなの、と、永沼先輩はトートバッグを肩にかけ、パンプスを履いてコツコツとつま先を鳴らす。

 廊下の奥は薄暗く、カチリと蛍光灯が瞬いた。


「じゃあ、行こうか」


 ――なにかに見られている気がする。


「……悟。どうかした」

「あ、いや。ううん」


 気を取られていたのだろう。気がつくと周りには誰もいなかった。永沼先輩も神田先輩もみな先に行ってしまい、健斗が不安そうにそこにいた。


「声が聞こえた、とか?」

「いや。そんな感じじゃない」

「行くぞ」


 手を伸ばされた。その手を俺は握り返し、引っ張られるように明るい外へと歩いていく。なんだか小学生の時のことを思い出した。頭がぼんやりと安定しないせいだろうか。遊びに行く時にこうして手を引っ張られたような気が。

 いや。


「なんで手、繋ぐんだよ」

「あ、ごめん。…………その方が早いかなと思って」

「なにが」


 健斗はその先を話すことはなく、先を歩く先輩たちの元に駆け寄っていった。


「手」


 あいつ、子どもみたいなことをするな。

 健斗の手の感触がまだ残っている。ぷっくりと柔らかい子どもの時の感覚とは違っていた。大人の手。ひんやりと冷気を纏った氷のような手。死人のような硬い感触に身震いがする。ぎゅっと握って後を追いかける。


「待って健斗、先に行かないで」




 永沼先輩が案内したのは学校から数分歩いたオープンウィンドウの流行の喫茶店。外にあるデッキ席には誰もいない。カランコロンと鳴るドアをくぐると奥の席へと案内される。


「まず梨恵ちゃんから聞いていると思うけど」


 と、永沼先輩はおもむろに口を開く。佐々木は『そこに行けば分かるから!』といい、事件のことはなにも口にしなかった。健斗が嫌がったのは神田先輩の暴走を止めるためだけではない。

 小学校の幽霊騒ぎ。

 最近は健斗との色々な出来事でなんやかんやと巻き込まれているものの、今までそのようにオカルトな体験をしてこなかった俺としては、『子どもの見間違いなのではないか』と話半分に身構えていた。

 隣で、関わりたくないオーラを隠す素振りもない健斗と、うきうきわくわくとはしゃぐ神田先輩が対照的で、自分だけは飲まれないようにしようと心がけたのもある。


「佐々木さんからは一切聞いてませんよ」

「え! そうなの。じゃあまず顛末から話さないと」


 永沼先輩の中ではすでに説明がされていた予定だったようなのだが、佐々木からの事前情報は全くない。この辺りは依頼を持ちかける側としてはどうにかして欲しい部分ではあるが、彼女の性質上いまさらである。


「じゃあ、話すね」


 ――授業が終わり、夕暮れ時の図書室。

 図書委員だった彼女は、校舎内に児童が誰もいなくなるまで図書館にいた。図書委員としての仕事を終え、先生に報告をするまで。

 図書室の机に置かれた本を片づけ、窓から深く差しこむ夕日が図書室をオレンジ色に染める。その時ふと、図書室の端にある棚の上に本が一冊乗せられているのを見つけたのだという。

 図書室の本は片づけたはず、そう不思議に思いながら手に取る。

 表紙を見て興味を持った彼女は、その本を開き、そこに『これ以上先は読んではいけない』と書かれた中表紙を見る。

 妙な気配がしたが本が好きな彼女は、どうして読んではいけないのかと逆に興味を惹かれ、ページを開く。

 そこに書かれていたのは奇妙な挿絵が書かれた小説だった。

 ページを開く度、『読んではいけない』、『読んではいけない』、『読んではいけない』、『どうしてまだ読み進めるの』、『後戻りはできないぞ』と段々と警告が強くなっていき、手を進める手が止まらなくなっていることに気付く。

 そして最後のページを読んだ時、背後を振り返ると――。


「――振り返ると……?」

「そこにいた化け物に命を吸われちゃうとか、殺されちゃうとか。後は子どもたちによってまちまちなんだけど、とにかく、図書室に呪われた本があってそれを読んでいるといつの間にか異界に連れていかれてしまって帰ってこれなくなる……! っていう話だったかな!」

「え」


 真剣に息を詰めながら話を聞き、永沼先輩の前に突き出された人差し指に拍子抜けをする。


「へぇっ、それだけですか」

「それだけって、なんです。小学校の怪談って途中は怖くておどろおどろしいけどこういうなんかふわっとした感じで終わるでしょう。今の話はよくある学校の怪談。君たちの中でワトソンっぽい君は知らなかっただろうけど、他のふたりは知っていたんじゃないかな?」


 ワトソンっぽい、という酷い侮辱をさらっと受けたような気がするが、それはその通りなので言い返す言葉は見つからない。


「――で、本題はなんです。俺がワトソンなのは認めますけど」

「ごめんごめん。怖がらせ甲斐があったというか、他のふたりは話し始めてすぐに『知ってる』みたいな顔をしたから……、君が真剣に聞いてくれるのが嬉しかった、というか」


 そりゃ、こういう類に常に付きまとわれている健斗とは経験の差があるだろうけれど。

 納得がいかない。


「悟はこういう相談、真面目に聞いてくれるからな」

「健斗、いまなにか言ったか」

「いや?」


 考えたことが口に出てしまった、そんなうっかり健斗はあとでしばくことにして。


「えっと続きね。さっきの話はただの学校の怪談。たぶん、夜遅く学校に残らないように戒めるため、または子どもたちが面白半分で広めた、ただのうわさ話。こっくりさんとか、トイレの花子さんとか、階段の段数が上りと下りで違うだとか、君たちも小学生の時に噂していたんじゃないかな?」


 小学生の時に自分がそのような噂話をしていたのかは覚えていないが、教室内でそのような噂話が囁かれていたことは覚えている。

 特に健斗がいなくなった小学校六年の二学期。先生も周りのクラスメイトも誰も健斗のことを口に出さなくなったころ、俺はひとりで市内の図書館によく足を運んでいた。

 奇妙だったのだ。

 健斗はクラスの人気者だった。夏休みのあの日、忽然として消え去った健斗の話を、健斗が消えてしまってから誰もしなくなった。

 まるで、――はじめから存在していなかったように。


「これは本当なのか分からないんだけど」

「――永沼先輩。それって、もしかして子どもが消えた、とか?」


 口に出したつもりはなかった。


「吉沢悟くんだっけ、よく気付いたね。正確には子どもが消えたという確信は無くて、消えたかもしれないっていう半信半疑なんだけど」

「かも、しれない?」


 永沼先輩もその話を信じ切れてはいないらしい。言葉を間違えないよう慎重そうに、眉をひそめ少し困った言い方が、担当している教室の児童から相談されたものの真実なのか疑っているようだ。


。主張している子は、目の前で消えたって言うんだけれど。私の指導教員の先生は、その子の勘違いかもしれないと。むしろ放課後に学校に忍び込んで肝試しをした、そのことについて厳しく叱っていて。その子の様子から大人たちを騙してやろうっていう演技っぽさはないんだけどね」

「友達とふたりで肝試しをするために学校に侵入して、図書室の本で見つけた奇妙な本を読んだら、ひとりが目の前で消えた――」


 健斗が確認するように永沼先輩に聞くと、こくりと頷く。


「そう、そういうこと。担当している教室の、……あ、私のクラスは六年二組の柳先生のクラス。その、田代くんっていう元気な男の子なんだけど。今日も『――くん』を探していると思う。その子が消えてから毎日図書室を探しているの」

「毎日」

「田代くん『自分が絶対に探してやるんだ!』って聞かなくて。妄想ではないと、思うんだけどね」

「――……、妄想ではない、と俺も思いますよ」

「そう? うん。そうだね。きっと、そう、かも」


 話を聞いていると幼い日の自分と重なる。友達が忽然と消えた、そんな眉唾な話を勇気を振り絞って相談しに行った先生は信じてくれない。クラスメイトも誰も信じてはくれない。

 目の前にいる永沼先輩も、本心では田代くんの話を信じ切れていない。


「とりあえず、田代くんに会いに行きましょう」


 教育実習生の永沼先輩に相談に行ったのは、大人の中で一番年が近いからだろうか。


「ありがとう、……」


 永沼先輩の歯切れの悪い言い方が気にはなったものの、まずは田代くんに会わなければ埒が明かない。『吉沢君に相談できて良かったかも』という永沼先輩のほっとしたような心の声。

 読むつもりのなかった思いがけない心の声を聞いてしまった。


「あ、えっと、なんかほっとけなかった、だけなので」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る