三章 どうして僕だけが、ドウシテ

第18話 小学校での幽霊騒ぎ。部長の暴走を止めるため、君たちに白羽の矢が立った。容姿端麗、子どもに好かれそう、仲が良い二人組。――君たちのことだよ、ワトソンくん!

「あれ、今日は健斗だけ?」


 講義が終わって部室に足を踏み入れると、健斗が一人で本を読んでいた。ちらりとこちらを見て机に散らばった書類の束を片づける。


「健斗。聞きたいことがあるんだけど」

「え。なに? 今日は佐々木さんが作り置きしておいたアイスコーヒーが冷蔵庫に入ってるから今から出すけど、それはいや?」

「そうじゃなくて」

「大丈夫。この前、悟用のマグカップも買ってきた。これでビーカーコーヒーを出されることはないよ」

「それは助かるけど」

「――? じゃあなに?」


 健斗のきょとんとした目がこちらを見つめてくる。


「お前の本音は聞いた。、――俺から見ればあの時いなくなったのはお前だけど、お前からすれば俺が消えたんだ。だからんだな?」

「うん。そう、だけど」

「健斗は、俺に死んで欲しくないんだ」


 心が読める俺は何度も人の悪意に晒されてきた。誰にも聞かれることのない、自分だけが発し、自分だけが聞く声。誰かを妬む声、誰かの悪口。それは数えきれないほどたくさん。


「そう……な、の、か。俺は悟に死んで欲しくない――」

「でも、お前の行動って矛盾してないか?」


 ――人間とはそういうものである、と早々に悟り、受け流すようになった。心を読んで人の悪意に気がついた時。人間とは、はじめからそういうものであるとあきらめていた方が自分の心は傷つかない。そういうものなんだ所詮は。


「矛盾?」

「死んで欲しくないならどうして、幽霊が憑りついている暁と俺を接触させた? 仮に安藤が犯人だと疑っていたとしても、そうじゃない可能性だってある。幽霊に取り憑かれている人物と接触させる。お前ならどうなるのか予想ができていたんじゃないのか」


 ――どうして暁に、俺の読心を教えたんだ?


「もしかして、お前はあえて暁さんと俺を繋げ……」

「おはよう諸君! 今日も選りすぐりの事件を持ってきたゾォ!」


 空気を読む。

 日本人ならば幼少期から経験を積み、身につけていくのが通例。


「私のゼミの先輩の先輩が、小学校に教育実習をしているんだー。そこで幽霊騒ぎがあって! 部長は行きたいって手を上げてくれたんだけど部長の暴走を止めてくれる男手が欲しい! 容姿端麗、子どもに好かれそう、仲が良い二人組。――君たちのことだよ、ワトソンくん!」


 ただ、重要な話をしているときに限って打ち破ってくる彼女には適用されないらしい。


「え、俺?」

「さとるっちもイケメン、には入ると思うけどな? 子どもが怖がりそうな顔ではないし、コミュニケーションも上手い方。頭も良い。彼女は普通にいそう。なんでいないの?」

「知らないけど!」

「こっそりファンクラブとかなーい? うーん、健斗くんの隣にいると霞むからかなぁ?」

「いや、やめて。その分析は心に来る」


 佐々木がいる前で健斗を問い詰めることはできない。物理的に会話はシャットダウンされて佐々木のペースに飲まれていく。まぁいいやこれは後でまた。

 聞けばいいことだ。


「はい! じゃあ、健斗くんも悟くんも、一緒に仲良く調査に行ってねぇー! サボりはダメ!」

「え? 俺らで?」

「神田部長が同行するよ! 喧嘩しないでね?」

「喧嘩」

「今にも喧嘩しそうな二人に言ってるんだけど」


 佐々木さんは健斗の様子を見て、普段の様子とは違うと察したのだろうか。健斗はここから逃げたくてたまらないのだろう。ドアに向かって駆け出した健斗を逃さないように、彼のパーカーを握りしめて止めた。ドアまであと少しのところで引き寄せられ、健斗は悔しそうに唇を噛み締める。


「この前まで健斗くんが悟っちのストーカーをしてたのに、なんで今は健斗くんが悟っちから逃げてるの?」

「ちがっ、今のはっ、佐々木さんっ! あとっ、俺、ストーカーじゃないって!」

「え! はじめてのおつかいを見守る、お父さんかなってくらいの追跡だったのに!」


 佐々木は勘違いをしているようだが、それはそれで都合がいい。健斗のパーカーをぎゅっと握りしめる。首が軽く絞まった健斗が小さく悲鳴を上げる。


「佐々木さん。――健斗は無理矢理にでも連れて行くから。……安心して?」

「ちょっ、悟、勝手に決めないで!」

「……ギャン泣きしたの、佐々木さんに言うからな」


 耳元で脅すと健斗は抵抗を辞めた。


「なんかよく分からないけど! よろしく! 悟っち!」

「お任せあれ!」


 小学校の幽霊騒ぎ。

 健斗が行きたくない理由はなんとなく分かる。猫の事件の時、健斗にはおそらく沢山の霊が取り憑いていたのだろう。

 まとわりついてくるものを対処することも大変なのに、自ら首を突っ込むなど、健斗にとっては狂気の沙汰でしかない。そういうところには初めから行きたくもないだろう。部室から咄嗟に逃げようとした理由はそういうことだ。


「神田先輩。なんだか楽しそうですね」

「そんなことないですよ」

「あ、俺の勘違いでした……」


 神田蓮先輩。いつも落ち着いていて部室の隅で穏やかに平穏に過ごしている優しい先輩。それが今までの俺の主観であった。

 これ。――全部、神田先輩の心の声か。

 表情はいつもとなにひとつ変わらない。端正な横顔はまるでお人形のように動かない。溢れ出して止まらないうきうきした声。

 いや、声というよりもこれは感情。


「頭の上に絵文字が弾け飛んで踊っている……」


 あ、この人。オカルト好きなんだ。


「健斗。神田先輩って、もしかしてこういうの好きな人?」


 ――暴走。そうなるとなんとなく察しがつく。神田先輩に聞かれないように前を歩く健斗にこっそりと耳打ちをする。


「健斗?」

「なに。その通りだけど。心の中でも読んだの」

「聞こうとしようとしなくても聞こえちゃうというか……見える、みたいな」

「へぇそう。神田先輩、やっぱ心の中ではちゃんと喋る人なんだ」

「普段は聞こえないよ。今日は特にうきうきしてるなって」


 健斗、神田先輩のこと苦手なのかな。

 なんとなくいつもよりも素っ気ない。そういえば健斗と神田先輩が話しているところを見たことがない。


「それより、首のそれ。見えないようにした方がいいと思う」

「え?」


 指で思わず首をなぞる。


「まだ跡が、ついてる」

「……今朝、鏡で見た時は、もう跡が消えてたと思うんだけどな」

「………………あ、」


 健斗は視線をふっと逸らし何事もなかったかのように歩き出す。歩き出した健斗の肩をガッと掴み無理やり足を止めさせる。

 聞き捨てならないことを聞いた。


「ちょっと待て、健斗。やめて。ちょっとちょっと待て。めちゃくちゃ怖いんだけど!」

「ごめん。気のせいだったと思いマス」

「なんでカタコトなんだよぉ!」


 これから向かう事件のことといい、最近の身辺に起こることといい、なにがあってもおかしくはない。


「呪われてるの?」

「チガウ、ト、思イマス」

「なんでさっきからカタコトなんだおい!」


 健斗はちらりと首筋に視線を落とし、慌てて目線を上に不自然に移動する。健斗は気づかれていないと思っているだろうが、案外視線の移動というものは相手に伝わるものだ。


「悟は幽霊を信じてないんじゃなかったっけ……?」

「さすがにあれは信じる。見ちゃったんだもん。信じるしかなくない?」


 幽霊は信じていない。それは確かにそうだ。死んでいる人間が生きている人間にどうにかできるなんて思っていない。


「あるじゃん。幽霊に首を絞められて呪われるとか。肝試しに訪れた若者を呪い殺すやつ。流石にそういうのは嫌なんだけど」

「大丈夫だって。というかむしろ、呪われてるのは俺じゃ……」

「言え! 言え! 呪いの権化、健斗様。なにを見たんだよぉ!」

「呪い、ですか?」


 こそこそと会話をしていた健斗と俺に割って入ってきたのは神田先輩だった。呪い、その単語に興味津々。うきうきわくわく、遠足前日の小学生の如く心の声が漏れ聞こえる。


「あー……先輩。これから行く小学校について話してたんですよ。幽霊騒ぎってなんだろなって」

「そうっす。先輩も好きなんですよね?」


 先輩も好きなんですよね、――俺がそう言うと、神田先輩はパァッと花が開いたようににっこりと笑った。隣にいた健斗が小さく本当に小さく舌打ちをする。

 いや怖い。健斗が一番怖い。


「もちろん……。僕、昔からこの世界には化学文明が発達しても解明しきれない不思議なことがたくさんあるなぁって思って。今日の調査を例にすると幽霊。人が死んだらどうなってしまうのか。体から抜け落ちた魂はどこへゆくのか。――『天の原 岩門を開き 神上り 上りいましぬ 我が大君』っていう和歌があって、これは身分の高い彼らは神であるから亡くなれば天雲に隠れてしまうという思想があったからで……他には、」

「ストップ。神田先輩。その話、きっと長くなりますよね? あとで。あとで、あーとーで、じっくり悟が、聞きますから。とりあえず今はやめましょう」


 健斗が途中で遮る。興味はあったものの健斗の待ったがなければ、スピリチュアル講義が永遠に続けられていたことだろう。

 なるほど。健斗が舌打ちした理由も分からなくはないのか。

 いいや。でも抑えろ。先輩だぞ。

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