第17話 事件の真相と盲目姫の愛②
「健斗は、俺がこの大学に進学することを知ってこのアパートに引っ越した。その理由を俺はお前の口から聞いていない」
「……それは」
「目を見ろ、そっちにはなにもないぞ」
あいつも言っていた。少し躊躇っていたらしい。そんなに後ろめたいのならやらなければ良いものを。それでも健斗は俺の部屋の下に引っ越して様子を窺っていたのだ。
俺に隠れて。俺に悪いと思いながらも。
「別に健斗が下に住んでようが別に構わないよ。俺はそれを怒ってるんじゃない」
友達がアパートの下に住んでいたのなら、講義が終わった後に遊んだり、ご飯をおすそ分けしあえるからそれはそれで良い。シェアハウスのようで楽しい。新作のゲームを買って、お互いの部屋で 遊ぶこともできるだろう。
「俺が怒ってるのは、俺に黙って監視するようなことをしたことだよ。お前の執着はもう知った。俺も昔はお前に対して執着してた。お前にテストの点で勝てないことを妬んで意地悪もしてた。良くない感情だったって悪かったって思ってる。お前がいなくなってそれを謝れなくなったこと、後悔したよ」
俺にしか頼れないことがあると言った。そのためだけに俺を囲い込み、断れないように仕かけている。
健斗は大人になって変わったのだと思っていた。けれど違う。幼い時に感じていた、根本的なところは今でもなにも変わっていない。
あの時、一番嫌いだったところだけが。
「健斗、そういうの伝わんねぇよ? 俺みたいに心が読めたり、人の感情に敏感な人は気づくかもしれないけど、なにも口に出さないくせに『察してくれぇー』ってオーラだけ出して周りにどうにかしてもらうの。ちゃんと口で言え、口で。もう子どもじゃないんだ」
心が読める俺は確かに、健斗の察してほしいという心情に気づくことができる。暁に対して困惑していた時、安藤を目の前にしてあえて俺に推理させていた時。
思い返せばいつだってそうだった。
健斗は自分から自分の意思を伝えない。嫌だと一言も言わない。けれど全て周りに察してもらうことを欲している。俺は心が読めるからそういったことも全て読んでしまう。
けれど、それは例外も例外だ。
「俺はそれ、ダサいと思う。うん、ダサいよ。クソダサ」
今までそうして生きてきたんだろうか。テストで満点を取って取り巻きにちやほやされていたあの時から。――ずっと?
「お前にはちゃんとモノを言う口があるだろうが」
俺がいなかったら、どうやって生きていくんだろうか。
しばらく沈黙する。健斗はぐっと唇を噛んで、それをただ眺めていた。問い詰めた時に感じた動揺。それはいつだってそうだった。健斗と再開してから思っていた。感情表現が多様だ、と。外見は大人なのに、中身だけがまだ。
子どもみたいだ、と。
「……っかん……よ」
ぎゅっと健斗の手が握られる。爪が肉に食い込むくらいに。弱々しい声は子どもの癇癪のように。健斗の目はゆらりと揺れていた。目の焦点が崩れて睨みつけるように。
「え?」
「悟にはわかんねぇよ!」
それはあまりにも急の出来事で面食らってしまう。威嚇するように声を上げる健斗の声は怒りに震えていた。どうして急に、なにか怒らせるようなことを言っただろうか。いいや、やはりそうだ。健斗の感情のぶれは成長して我慢を覚えた大人のものではなく、感情表現が未完成な子どものもの。
他人に自分の気持ちなんて分からないと殻に閉じこもっていじけている、駄々をこねる子どものようだった。
「悟にはわかんないよ、俺の気持ちなんて」
「は? いや俺には、健斗がなんで怒るのか分からないんだけど」
健斗の心の中だけは、俺だってはっきりと捉えることはできない。
「あのな、いじけてないではっきり言えよ!」
「心が読めなくても、みんなが俺のことを利用しようとして近づいてきているのは分かる。俺に媚を売っておけば、凄いクラスメイトの友達になれるから。けれどみんなは俺が満点を取れなかったら離れていくんだろう。俺に価値がなくなったら別のところに行く。それは友達とはいえない。俺には友達なんていない。でも悟は、違う」
「は? いや、わかんねぇ。俺も見捨てたかも」
その時、健斗が初めて顔を上げた。ぎゅっと握った手は爪が食い込んで血が出ていた。怒り、だと思っていた。けれど、それは違った。健斗の目は赤くなっていた。
ズッと鼻を啜る音がする。
「さとっ」
和田健斗という人物は、成績優秀運動もできてクラスの人気者だった。いつも明るく振る舞って、嫌な顔ひとつせずに周りに合わせてニコニコとしている気のいいやつ。
たとえ誰かに意地悪をされて酷いことを言われたとしても、相手に逆上なんてせずに許して笑っている。なにを言われても平気なんだと振る舞って、その場の空気を悪くしないように。でも俺は知っている。健斗が誰もいないところで泣いていたことを。
本当は泣き虫な癖に強がって、誰にも弱音を吐かず。
一人で耐えていることを。
「あー。あのな。泣くんじゃねぇよ」
泣きそうな健斗を見て、口から滑った言葉を後悔する。
子どものときに、鬱陶しく思いつつも俺は手を振り払うことは決してなかった。置いて行ってもついてくるまで足を止めて。
――その理由がなんだったのか、ようやく思い出した気がする。
「健斗が点数落とすとか、あり得ないだろ。だからずっとむかついてたんだって。平気な顔して点数取っていくから。でも、宿題した後に自主勉してたし当たり前っちゃ当たり前だったんだよ。俺には真似できなかったから余計むかついたんだよ」
周りにちやほやされたいからでも褒められたいからではない。別にそんな理由なら天才だなんて呼ばれない。そんなやつを天才だなんて呼びたくない。
けれど俺は幼馴染だから。
「……――健斗が陰で努力してたところ、俺は見てたし。お前はそういうの誰にも見せないようにしてたんだろ。俺、お前のそういうところは凄いなって思ってたよ。でもさ、少しくらい周りに見せるようにしても良いと思うんだよ」
それはしんどいだろう。
「完璧なお前しか周りは見ないから。そんなんじゃ誰も本当のお前を見ちゃくれないぞ。お前が見せようとしてないんだから」
「……それは」
健斗と数年離れていたけれど、あの時に感じた本質が変わっていないのならば。
「お前が、初めから俺に助けを求めていたことも俺は分かったよ。でも、俺は心が読めるけど、それでそんなことを知りたくないんだよ」
健斗の顔を見ると端正な顔はぐちゃぐちゃになっていた。目と頬が真っ赤になっていて、幼いときは女の子みたいだと思ったその顔がひどく腫れている。
うまく自分の気持ちを伝えられない。嫌なことを嫌だと言えない。俺は、そんな健斗の気持ちも組んでやれる。でもそうして本音を聞き出したくないのだ。
俺は、お前の都合のいい通訳にはなりたくない。
「じゃあ、なんで僕のこと嫌いっていうの? 悟がもうどこにも行かないように頑張ってたのに、どうして僕のこと嫌いっていうの?」
健斗の目から大粒の涙がボロボロと零れ落ちる。ただの拒絶だった。別に世界からの根絶じゃない。ただ一人にそう言われただけなのに。
いつのまにか一人称が僕に変わっている。
「は?」
「なんで。そんなに僕のこと嫌い? ずっと前からってあの時から嫌いだったの? どうして? どこが嫌いなの?」
「ちょっと待って健斗」
「悟がいなくなってから必死に探したのに。悟が行きたいって言ってたこの大学もちゃんと合格したのに。悟、いないんだよ。どうすればいいのか分からなくて」
健斗は俺の服にしがみつくように崩れ落ち顔を埋めた。縋り付くように身動きができぬまま囚われる。
「ちょっ、なに、麦茶あぶなっ!」
俺は咄嗟に床に置かれた麦茶のコップを遠くに避ける。いきなりなにをするんだ、と健斗を見るもその表情は見えない。グスグスと静かに涙を流しながらドンドンと床を殴っている。
え? なにこの状況。意味が分かんないんだけど。
「――なのになんなの、安藤ってあいつ。悟と同じ学年だからって一緒にいられて羨ましい……僕の方がずっと前から友達だったし。ふざけるな……僕の方が、僕の方が……」
おお。安藤にあらぬ恨みが飛び交っている。
「健斗くーん。あのさ、落ち着いてー? 確かにお前のこと嫌いって言ったけどそれはその、言葉のあやというか」
該当する自分の発言を思い出す。人を傷つける言葉ではあったけど決してそういうつもりで言ったわけじゃない、はず。良くない言葉ではあったし、健斗を拒絶するために吐いた言葉ではあったのだけれど。
いいや、やはりそういうつもり……だったかもしれない。
「なにが違うの!」
「ごめん。本当にごめんなさい。まさかそんなにショックを受けてるとは思わなくて」
「どこが嫌いなの」
「……そこです。そういうところ。周りがそう求めたからって、メンタルが弱いくせに平気なふりをして強がるのやめなよ。泣く、とは思わなかったけど、そういうところは変わってないな」
元々は気弱で自己主張が出来ない性格だったのだと思う。
それが周りに望まれるがままに担ぎ上げられ、元の自分を隠すようになった。相手が望むなら自分の主張を抑え、相手が望む人間を演じる。相手に嫌われたくはないから自分が嫌であっても受け入れてその通りに振る舞う。
それは賢さゆえに適してしまった生存本能だっただろう。
「ごめん。心が読めると、『嫌い』『邪魔』『死ね』はよく言われるから慣れたというか。健斗はあまり言われたことないよな」
「悟にそれ言った人を教えて、全員処け……」
「教えません」
もう子どもじゃない。男なりの、意地の張り方も覚え、プライドを保ちながら生きている。社会に揉まれる中で人は周りが望む人間を演じている。それは別の人格だからではなく、そうであった方が生きやすいからそうするのだ。
「えーと、なに。俺がどこにも行かないようにするために、俺の下の部屋に引っ越したの? ちょっとやりすぎかなぁーとは思ったけど、俺のことが心配だから?」
「うん」
「健斗。さすがにもう子どもじゃないんだけど」
「じゃあ、その首のやつはなんなの」
ぐしゃぐしゃの泣き顔の癖に嫌なところを突いてくる。
「ストーカーじゃないし」
「いや、ストーカーだって。結構怖かったんだけど」
どうやら『お前のこと嫌いだよ』と『ストーカー』が健斗のメンタルにクリティカルヒットを決めていたらしい。講義を休んだ理由は、俺からの精神攻撃が理由だった。言われてからずっと気に病んで布団から出てこなかったのだろう。
ああ、だから本当は自分で助けに行きたかったのに、駆けつけることができなかった。俺の首を見て事態を把握した。ずっとおどおどと挙動不審だったのは、健斗が知らないところで俺が傷つけられた。それを負い目に感じているからなのか。
「本当はリーダーになんか、向かない性格だもんね。だから驚いたというか。良い方向に行ったのかなと思ったけど、やっぱり無理してた?」
背中をぽんぽんとさすりながら表の顔について聞いてみる。
お前が学園の王子様だなんて、――似合わないなって思ってた。
「うん」
「そう素直でいれば誤解も減ると思うんだけど。井上からもあんなに嫌われることはないんじゃない?」
大人になれば人間は変わる。健斗も子どもだった時の性格は捨てて、大人になったんだと思っていた。けれど違った。健斗は健斗のまま。
それは良いところでも悪いところでもあるけれど。
「あー、安心した。健斗がプライド激高のマウント男になったのかと思った。やっぱ変わってないや。宿題を写されるのを断れなくて、授業中にノートが無いのを隠してたよな。あの時と全く変わってない!」
「……思い出さないでよ……」
「どうしたんだっけ?」
「僕が当てられた時、悟が先生に『健斗くんは佐藤にノートを貸してるので佐藤を当てれば良いと思います』って、庇ってくれたんだよ」
「あー、そうだった。そうだった。佐藤、顔を真っ赤にして怒ってきたんだ。自分でやってこないのが悪いよ。断れないって分かってる健斗にたかるの。制裁だよ制裁。自業自得だっての」
「うん。本当に……助かった」
「あれからノートを借りてこなくなった。良かったよね?」
「うん。ありがと」
ぎゅっとパーカーの裾を握られる。
嗚咽はもう聞こえない。
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