第27話 影

 遠くで物音がした。

 健斗かな、と思って確認すると健斗は寝袋に包まっていた。眠りが深いのだろうか。健斗は起きる様子もない。パチクリと目が覚めてしまい、すっかり脳は覚醒してしまう。

 そのまま寝ていても良かったが、先ほどの物音を確認しにいくのもいいか。単なる好奇心がうずうずと湧き出してしまったこともある。


「おにぃちゃん、どーこいくの」

「ユウ、か。えっと、なんか物音しなかった?」

「ボクには聞こえなかったけどな。なんだろうね」


 すっと透けた幽体が足音もなくこちらに来る。手を伸ばすと、一呼吸おいて真意を理解したのか、手を握り返してくる。

 ひんやりとした手は健斗の手を思い出す。


「お兄ちゃん、危なっかしいからついて行ってあげる。なにかあったらボクが守るよ?」

「そんな別に……」


 小さな子どもに守ってもらうなんて、大人として恥ずかしい。


「俺、別に守ってもらう必要なんて……」

「そうかなぁ? 別に良いなら良いけど?」

「ついてくるのは別に良い」


 そもそもユウがついてきたいだけなのではないか? ユウは鼻歌を歌いながらついてくる。


「ユウくん、脅かしちゃダメだからね」


 ドアを開けて廊下に出る。真っ暗な廊下をスマートフォンのライトを照らして歩く。ユウが手をぎゅっと握ったような気がした。

 幽霊のくせに暗闇が怖いのか。


「お兄ちゃん、物音ってさ。どんな音だったの」

「物が落ちる音、だと思ったんだけどな。ドサって、その後のノイズがうるさくて起きたというか」

「ふぅん。ほんと不思議な能力。それって誰でも読めるの?」

「いいや。生きてる人間しか読めない……と思う。ユウの心は読めないよ。聞こえないというのが正しいのかな。健斗は掻き消えて全く」


 ユウはつまらなそうにそっぽを向く。いじけている、のか。どうしてそんなにいじけているのか。


「あのお兄ちゃん、たぶんもう人間じゃないよ。ボクに近い。いいや近くなってきている、かな。ボクは元々は生きている人間だったんだろう。でも、その時の記憶は無いんだ。ボクだったものに色んなものが混ざり合い……。あと、お兄ちゃんは、『サトリ』じゃないの?」

「――サトリってなに」

「そう、本当に天賦の才なんだ」


 風が吹いた。どこか窓でも空いているのだろうか。見ると壁の一部が不自然に空いている。その向こうに通路がポッカリと口を開ける。こんなものあっただろうか?

 物音はここから聞こえた、と思う。


「あのお兄ちゃんは、人間じゃないんだよ。ねぇ、お兄ちゃん」


 足になにかが当たった。


「ボクらはお兄ちゃんが好きだよ。お兄ちゃんは万物の声を聞く。お兄ちゃんに聞こえないものはないから。ボクら、声の届かないものたちは、声を聞いてくれるものを欲している。お兄ちゃんはとても都合が良い。ボクらはお兄ちゃんが喉から手が出るほど欲しい」

「ボク、ら?」

「ボクらはね、お兄ちゃんみたいな人をどうしても自分のものにしたかったら――。お兄ちゃん、ボクらはどうすると思う?」


 なにかを蹴飛ばしてライトが揺れる。硬い棒状のなにか。ぐらりと体が傾いて地面に手をついた。


「これはボクらの欲求なんだ。本能といってもいい。この欲求を抱えてはいけないものだ、抑制しなければならないものだと考えていても、消えることはない。――あのお兄ちゃんもきっと同じ」

「いったぁ」


 なんなんだよ、とライトをそれに向ける。

 それは枝にしては太く、固く、床と壁にもたれかかっている。


「お兄ちゃん」


 見てはいけないものだ、と本能が悟る。


「お兄ちゃんが今までこういう目に遭わなかったのはなんで? ただの偶然? それとも、」


 くすくすと笑う声。ライトに照らされぼんやりと浮かび上がった人影。着ていた衣服はボロボロになり、やせ細った体はとっくの昔に亡くなって、皮と骨だけのミイラになっていた。


「ひぇ」

「あのお兄ちゃんと再会したから?」


 頭に衝撃が走る。

 振り返ると暗闇の中に浮かび上がる影があった。

 顔は黒く影がかかって全く見えない。

 あれ、なんで。足に力が入らない。

 崩れ落ちるように体は安定せず、地面に膝がつく。


「……だ、れ……」


 見上げると振り上げられた金槌が振り下ろされる。

 声も発せないまま目の前が真っ白になって意識が途切れる。


 ――殺される。


 頭蓋骨を叩き割るように再度、振り下ろされる。

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