第22話 どうして僕だけが、ドウシテ?①
「――悟。俺は悟の前だけでやるって言った。先輩たちは帰ってください。絶対に来ないでくださいッて言った。悟の前ならいいんだ。絶ッッッッッッ対に神田先輩に見せるのだけは嫌なんだ。この人の記憶をあとで消してしまいたい。それほど嫌なんだよ」
「健斗。それはなんとなく分かる。それでもやる。だってこれはお前への嫌がらせだもん。俺の部屋を特定して監視しようとしたお前の罪をこれで支払え。俺が考えた、お前がこの世で一番嫌な処刑方法だもん」
すっかり日が落ち、真っ暗になった夜の校舎。
永沼先輩は明日も早いからと先に帰った。神田先輩は物珍しいようで田代くんと夜の校舎を探索すると言って残った。神田先輩は子どもの扱いに慣れているのか、田代くんと手を繋いで廊下の奥へと消えていった。ちょっと意外だ、無口だからそういうのは苦手なように見えたのに。
図書室に残された俺たちはしばらく待ちぼうけ。
健斗は誰にも本性を見せないように我慢をしていた。それにしては少し田代くんへのあたりが強かった気がするのだが。いや少しどころではないな。
健斗は大人気なかった。
そんな健斗は心優しく海のように器が広い幼馴染である――俺に憂さ晴らしを。
声を荒げ威嚇するように。お前は機嫌が悪い猫か。
かくして、この場限りの愚痴と推理タイムとなったのである。
「条件があるって、言った!」
「無効でーす。田代くんに先輩らを排除させるの酷じゃなーい? ま、田代くんがもし先輩らは帰ってって言ったとしても俺があとで根回しするんだけど」
健斗は田代くんにこっそりと耳打ちをして、田代くんに先輩を帰らせるよう頼んでいた。俺は読心でその情報を得て、戸惑った田代くんに『俺に任せろ!』と、お兄さん風を吹かせたのである。ズルいぞズルい。子どもを使って自分の吹聴だと気付かれないようにするなんて! ここからが面白いんじゃないか!
「神田先輩に見られるとそんなにまずい? 分からないようにできないの?」
「そんな簡単に言うな」
怖い。健斗は鋭い瞳でこちらを睨んでくる。おーこわ。
「悟は気づいてる? 彼の友達は生きた人間じゃない。そりゃ、先生も知らないっていうよな。名簿にもこの世界のどこにも存在しない架空の人間」
「イマジナリーフレンド、か。子どもの時に空想上の友達を作り、あたかも実在するように一緒に遊ぶこともある――彼には視えない、友達が存在しているわけだ」
この前の心理学の講義で聞いたような気がする。イマジナリーフレンドとは、心理学、精神医学における現象名のひとつであり、学術的にはイマジナリーコンパニオン……以下略。教科書を空読みしたような文章を頭に浮かべ、思考を回す。
「イマジナリーフレンドは児童期を過ぎると消滅する。子どもの時だけの、親友」
「田代くんが大人になったから消えたんじゃないの? 肝試しで一人で校舎を歩くことができた。だから必要ないと思って消えた。普通のことだと思うけど」
田代くんの友達がイマジナリーフレンドならば、幽霊騒ぎでもなんでもない。――『消えた』ではなく『初めからいないものだった』であり、探すことができないからだ。
「彼の眼には本当に映っていたと、したら」
「え? でも、健斗には憑りついてないんでしょ」
「ない。というか姿も視てない」
「じゃあ、」
「俺の元に来るのは、死してなお叶えたい願いがあるものだけ。どんな願いであれ、自分の力では叶えられないからこそ俺の力を借りに来る。でも、その願いを叶えられる相手が誰でもいいなら――。どんな人間でも、どんな手段をとってでも、叶えることができてしまうのなら――。悟さ、自分じゃ解決できないことを人に頼りたい時に、どんな人のところに行く?」
「人に頼ったことがないけど」
「――――……っ、例えが悪かった。えっと、悟はいま新学期を迎えた教室にいます。席替えをしたので、知り合いがひとりもいません。誰に声を掛けますか。一、隣の席の本読んでるやつ。二、フレンドリーそうな前の席のやつ。三、なにかぶつぶつ呟いてる後ろの席のやつ」
なんだそのクイズは、と思いつつ考える。
コミュニケーション能力はそこそこあると自負しているものの、初っ端から失敗するリスクは避けたい。どんなコミュニケーション強者であれ恥はかきたくないのである。無反応、ましくは薄い反応を得て死にたくならないように、話しかける前に相手を見極めて話しかける。
おそらく健斗はこの中から話しかけやすい人物は誰かと聞いているのだろう。
「二の、前の席かな。一は読書を邪魔したと思われたらやだ。三は怖い。ぶつぶつなにを言ってるのか気になるけど、ようは絶対に話しかけるな、ってことでしょ。怖すぎるって」
「――その怪奇からすると、悟が二、俺は三だ」
「うっわぁ、嫌だぁ。怖すぎるぅ」
俺が身震いをしていやだいやだと首を振ると、健斗はどこか寂しげに見えた。
「俺がそう振舞っているのはそうしないと無制限に寄って集られるからだよ。本当は悟のその振る舞いの方がずっとずっと危険だ」
「なんで?」
健斗がなにを言いたかったのか分からない。健斗もその真意を伝える気はないようだ。健斗はふと目線を向こうに逸らす。その視線が一瞬だけ俺の首元にあり、それだけが気になった。
「――悟は、視た。いいや、なにかの気配を感じた、よな?」
「なにが?」
「分からないのならいい」
俺だけが分からないことがもどかしくて嫌だ。けれど、やはりそれ以上、健斗は口に出すことはない。もどかしい気持ちはもどかしさをそのままにして。
コツコツと足音だけが廊下に響く。
なにかの気配。確かにこの校舎に来た時に『なにかに見られている』とは感じた。けれど、それが本当にそうなのだろうか。
日が入らない薄暗い廊下の奥に、佇むなにか。
――見られている。見つめられている。いいや、もっと、もっとなにかが違う。どこか別のところでこの視線を受けたことがある気が。
いつだ、いつだっけ。
『――遊ぼう?』
振り返ると周りには誰もいなかった。
今まで隣にいたはずの健斗までいなくなるのは、なにかおかしくないか。
コツコツとコツコツと。
「田代、くん?」
その足音は廊下を響く幼子の靴音。
「ねぇ、そこにいるなら」
返事をしてほしい、と声をかけた時、足音が止んだ。
図書室の引き戸を隔ててそこにいる。
「君が、――?」
そうなのだろう。健斗の元には現れず、俺の元に。
その理由は――薄々分かっている気がする、けれど。
『お兄ちゃんは驚かないんだね』
思いがけない第一声に思考が止まる。どうしてみんな同じことを聞くのだろうか。そんなにもおかしいことだろうか。
……そうか、確かにおかしいか。
「怖くないから、だよ。じゃあ逆に聞くけど」
戸にもたれかかり、質問を投げかける。
もし、答えが返ってきたら。
「子どもの時に行方不明になった友達が、中身がまるっと人間じゃないものに変わっていたとしたら、――普通は驚くものなのかな」
健斗の心が読めない。いいや彼の中にあるものが、彼でないとしたら。
それが何重にも重なり合った怨念だというのなら。
あいつが人間じゃないのなら。
「俺は生まれ持ったこの能力のせいで――人外みたいなものだったから、普通はそうじゃないって、他の誰からも普通に見えるように、人間のように振舞おうとしてきた。だから健斗が同じものになって嬉しかったと、俺が思ってしまったことはおかしいことなのかな」
猫の事件で健斗に救われた。俺の能力は読むだけで、それ以上のことはできない。俺はあの時、上手くいかないストレスを罪なき猫たちにぶつける井上純に掴みかかることしかできなかった。俺が見たものをどんなに叫んで証明しようとしても、殺されてしまった猫たちを救うことは叶わない。
母さんも父さんも、二度と戻ってはこない。
「俺がおかしいのかな」
だから、俺は誰も救うことができないのか。
「健斗なら、もっと」
君のことも救うことはできないのか。
『――救いたいの?』
と、幼い声は問いかける。その妙に落ち着く声は生者のものではない。ゾッとするほど透き通った、異界から響くかのような深淵の声。
そんな声を聞いてもなお、恐怖を抱かない自分。
『誰かに必要にされたい、の間違いじゃない?』
ああ、そうか。そのとおりだ。自然とその声に頷いていた。
『じゃあ、お兄ちゃん。ボクになにもかも全部ちょうだい。ボクはお兄ちゃんが必要なの』
あのこわぁいお兄ちゃんとは違って。
『だから、開けて。……お兄ちゃん』
幼い声は自分を必要としている。
誰からも必要とされることのなかった自分を。言われるがまま手をかけた。引き戸をスライドさせ、――。
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