第16話 事件の真相と盲目姫の愛①

「健斗はあのカフェバーでなんの調査をしていたの?」


 健斗の部屋はワンルーム。

 都内に住む大学生の一人暮らしならごくごくありふれた部屋だ。自室の見取りと差異はない。薄暗く感じたのは分厚いカーテンが窓を遮断しているから。洗面台の鏡に布がかけてあったことに少々不気味さを感じたものの置いてあるのは生活に必要最低限なものだけだった。ミニマリストと表現すればそう見えるだろう。

 だが、黒いパイプベットとデスクに追いやられ隅に寄せられた段ボールが、引っ越したばかりであることを物語っていた。


「せめて段ボールから出しなよ」

「う、うん。そう、だね」

「まさかとは思うけど、俺が引っ越したアパートに慌てて引っ越した、なんてことはないだろう?」

「――ない、です」

「健斗、俺は心が読めるんだよ?」

「おっしゃる通りです!」


 健斗は冷蔵庫から作り置きの麦茶をコップに注いで床に置いた。


「まずその話をする前に、この事件の依頼者の話をしなきゃいけない」


 健斗はデスクに置いてあったタブレットを操作して俺に見せた。

 そこに写っていたのは一人の女子学生。黒い髪の毛に目を隠され、その表情は見えない。ピンクの桜並木の下、赤いリボンの制服の学生たちが真っ直ぐこちらを見ている。


「彼女の名前は間宮華怜まみやかれん。ほら、下に見えるだろ。安藤悠の同級生で同じ高校を卒業した」

 一番前の列でポーズをとる男子に紛れた安藤悠。

 ブイピースをする彼らの後ろで恥ずかしそうに隠れる間宮華怜。


「……悟はどこまで推理してる?」


 自らのもとに証拠はない。ただ、自らが見てきたものと、安藤の証言と彼女が残した言葉のみで推理をする。


「間宮は、安藤のことが好きで安藤を追いかけて大学に進学した。同じボランティア部にも入って。――俺が案内されたコミニティールームには、ボランティア部の活動実績のポスターも貼ってあった。おそらく、あの部屋が部室だったんだろう」


 彼女は最初こそ純粋な好意だったのだろう。安藤は間宮の好意に気づくこともなく。それどころか存在にも気づかなかった。それでも良いと思っていたのだろう。

 けれどそれだけでは満足できなかった。いつからか彼女はストーカー行為を行うようになった。監視や盗撮。ありとあらゆる安藤の行動を集めることが間宮の趣味になっていった。そんな間宮が安藤の彼女について知らないはずがない。


「間宮は暁に脅迫をしたんだ。内容は分からないけど『別れろ』とか、……『ふさわしくない』とか、かな。安藤は自分がストーカーされていることに気づかなかったけど、暁は誰かが安藤に付き纏っているということを知った」


 間宮は自分の進路を変更してまで追いかけた好きな人が他の女性と付き合い始めたことについてどう感じたのだろうか。安藤の彼女である暁を脅迫することは、自分が安藤に嫌われてしまうかもしれないリスクを伴う。それでも脅迫した。そのことから考えるに、良い感情でなかったことだけは確かだ。


 当然、暁は彼氏に付き纏っている女性が何者なのかを突き止めようとするだろう。それが同じボランティア部にいる間宮だと特定するのは難しくないのではないか?


「暁は、間宮が安藤をストーカーしている現場を見つけ、そして」

「彼女を駅のホームに落としたんだ」


 目がないのは電車に轢かれ、ぐちゃぐちゃに崩れてしまったから。なにが起きたのかも分からない、一瞬で自分の命は潰えた。感じるのは痛みだけ。

 全身を強く打ち、肉をバラバラに壊した痛みだけ。


「依頼者、ということは」

「俺の元にやってくる魂は、願いを叶えてもらうためにやってくる。それが復讐であっても」

「復讐」

「死んだ場所は駅のホーム。時間は通勤ラッシュの最中。男の盗撮をしていた女が、後ろから押されて電車が通行する中に飛び込まされた。さて、被害者の一番近くにいる人物は誰だろうか」

「殺した、犯人じゃない?」

「うん、……そうだよな。だから彼女を殺した犯人――暁に取り憑いていた。それともうひとつ、間宮が殺したかった本当の相手を探すために都合がよかったんだ」

「もうひとつの、理由?」


 復讐。復讐。親を殺された子どもが親の仇を打つように、憎い相手を殺すのが復讐だ。

 でもそれではなにかおかしい。

 辻褄が合わないのだ。


「ちょっと待って、復讐をするなら、殺した相手を殺そうとするのが普通でしょう? 暁さんは間宮に取り取り憑かれていて、だから暁さんは安藤を避けていた……」


 暁は安藤を避けて頑なに会いたがらなかった。安藤は自らを避ける暁を不審に思い、暁が浮気をしているのではないかと疑って、調査を依頼してきた。

 その推測が間違えていたとでも言うのか。


「間宮が殺したかったのは、生前は見向きもされず、いや存在すらも気づかれなかった、憧れの王子様。つまり、安藤悠だった」


 間宮は暁に取り憑いていた。それは犯人である暁に復讐するためではない。暁がいずれ接触するだろう相手。安藤と接触する機会を狙っていた。


「その殺意と盲目。それを暁は利用した。暁にはどうしても殺さなければならない相手がいた。自分の犯行は誰にも気づかれてはならない。しかし、彼女は知ってしまった」


 ――『会いたいな』

 男女が夜に恋人を呼び出す呪文。暁杏奈のそばにいればこの儀式によって安藤悠が召喚される。どんな時間であっても好きな相手からの呼びかけに応えてしまうのが盲目の恋というものだ。


「暁が殺したかったのは、悟。君だよ」


 その純粋な殺意を利用する。


「いや、正確には。心が読め、自分の犯行に気づくかもしれない男を抹消したかった」


 ――二人きりで会いたい。川上公園で待ってる。


「ぁ……、」

「俺は、間宮が復讐したい相手を探っていた。彼女は自分を殺した相手を探しているのだろう、俺もそう思っていたから。でもその見当は大外れ。彼女は恨みから殺そうとしたわけでは無かった。恨みよりももっと根深い……悟は、聞いたんだろう?」


 ――ズットイッショ一緒ニイテネ。


「間宮華怜は、安藤悠と一緒にいたかった。死んだ後もずっと……。死んでしまった彼女が生き返ることはできない。安藤と一緒になれるのは、天国だけだ」


 あぁ、そうか。

 あの言葉は、振り向いてもらえなかった好きな人とようやく一緒になれるという喜び。恨みや殺意ではない、重くドロドロとした純愛。

 愛してる。

 たとえ魂だけになったとしても貴方を愛しずっと一緒にいられるのならば。貴方を今すぐにでも殺して自分と同じ存在に。見向きもしてもらえなかった貴方が、振り返ってくれる唯一の方法。愛する相手を殺せばずっと一緒にいられる。


「その願いは叶えられない。無理なんだ、……無理……なんだよ」

「悟が抱え込むことではないよ」


 健斗の声はやけに優しい。目を逸らしたのはなぜだろうか。


「悟は、どう思ったんだ? 暁について」

「どうって?」

「暁はどうあれ、悟を殺そうとしたんだ。それを、どう」

「安藤のことをそれほど好きなのかな、と思ったけど。でも、俺には——分からない」

「そう、だな。悟は見ただろ? 俺と暁さんが話しているところ。俺は、依頼してきた間宮が誰に殺されたのかを調べるために暁に接触した。安藤に接触するよりも、異性である暁の方が……、俺の場合は情報を聞き出しやすい、から」

「なんだ。嫌味を言うなら予告しろ」


 健斗の表情が歪む。なにか変なことを言っただろうか。いつも通り顔が良い自慢をされたのかと思ったのだが。


「暁は、安藤が好きで付き合っているわけではない」

「え」

「暁は自分に箔がつくから安藤を応援しただけ。うちの大学は有名だし、彼氏を紹介するときに自慢ができる。自分と少しでも関係性を遠ざけるために、安藤がうちの大学に合格して、最寄り駅が変わってから間宮を人身事故に見せかけて殺した……」

「そんな、ばかな」


 根拠はあるのか、と言いかけてあのカフェバーの様子を思い返す。暁と健斗の様子。健斗は暁に彼氏がいることを知っていたんだろう。ハニートラップで情報を引き出すために言葉巧みに口説いていたとしても、彼女は健斗に熱がこもっていたように見えた。

 彼女は、誰でも良かったのかも、しれない。

 自分の自慢になれる男であれば。


「なんだよ、それ」

「悟は……、それを踏まえてどう思う」


 健斗はこちらの様子を妙に伺っている。一語一語、確認するかのように。おどおどと、挙動が落ち着かないのだ。


「俺は、自分の評価を他人の功績で高めようとする人間は嫌いだよ」

「ずいぶんハッキリと言うんだな」

「いいや。俺が特別、そういう人間が嫌いなだけだ」


 だってそれは幼いあの頃に健斗の周りにいたあいつらと同じ。


「他人を殺してまで手に入れようとするなんて、俺には理解できないよ。そんなことをしてもむなしいだけだ」


 斬り捨てられる方の気持ちなんて考えず。


「そういう人は他人に無責任に期待して、自分の思い通りにならなかったら捨てるんだ。安藤は暁に箔をつけるために仮面浪人をしたわけではないでしょ。あんなに安藤は暁のことが好きなのに、それじゃあんまりじゃないか」

「――そっか、うん。そうか。悟はそう思うんだね」


 しばらく沈黙する。健斗はほうっと息を吐くと、タブレットを閉じる。その横顔が少し嬉しそうだったのはなぜだろうか。


「間宮華怜の願いは叶っただろう。愛した安藤悠を殺すことができた、――そう思い込んで成仏した。だから消えた。悟も言ってたけれど、死んだものが生きているものになにかすることはできない」

「思い込む……だけでいいの?」

「神社に願いことをする時にいちいち本当に叶ったのかを神様に確認しないだろ。あんなのは気の持ちようで確かめようがないんだ。死者だって同じだよ。そういうものだ」


 なにか丸め込まれた気がしなくもないが、そういうものと言われればそういうものな気がしてくる。首元の鬱血をなぞり、けれど命だけは確保されている。

 あれから彼女は現れていない。


「――そうか、彼女は願いを叶えられたんだ」


 彼女は最後に笑っていた。

 それが偽物だとしても、彼女が満足しているのなら。


「暁に悟のことを話したのは俺なんだ。あの時は間宮を殺したのが暁だとは思わなかったから。暁はたまたまその場にいて、たまたま憑りつかれたのだと思っていた。人が雑多にいるホームで、被害者のそばに一番近いのは犯人だ。そう、俺は思わなかった」

「え?」

「だから、俺のせいでもある」


 驚いて顔を見上げると、健斗の表情は硬かった。


「健斗。まだ俺に言うことがあるよね?」


 健斗の動揺を表すように、コップの中の氷がカランと揺れた。

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