第35話 俺のホームズは声だけが聞こえない② 終
「俺の役目は死者の願いを叶えること。犯人を捕まえることじゃない。あの日、悟があの神社で生贄にされそうになったあの日、悟を連れて行くなら俺を身代わりにしろと言った」
「それはなんとなく分かった。どうしてなんだ? どうして健斗が身代わりにならなきゃいけないんだ」
健斗は質問の答えを話す前にと、前置きをする。
「悟があの時に願った願いは、両親が仲直りすること。けれどその神社はただの神社じゃなかった。昔々、神様が普通に人との間にいた時代、神様は訪れる人々の願いを叶えることが喜びだった。帰っていく人の笑顔が誇らしかった。ある日、神様は考えた。自分に仕えている使者たちの願いも叶えてあげよう」
それは、――感謝でもあった。いつも自分の世話をしてくれている彼らに恩返しを。けれど神であっても叶えられる願いには制限がある。
それは、使者が、死者であるからこその制限。
「制限?」
「神であっても死者を生き返らせることはできない。永続的できりがない願いは叶えられない。そこで残った願いは、『どうして自分は死んでしまったのか』だった。殺されたものは殺した者への恨みを。道半ばで亡くなったものは生前の理不尽を。それは彼らが記憶の片隅に封じ込め諦めていた願望だった。神様は思い出させてしまった」
それが神様の罰、なのだと健斗は言った。
「――それが、悟が祈ったものの正体だ」
魔に転じた使者たちに呪い殺され、小さな祠に閉じ込められた。その中で永遠に自分たちのために願いを叶え続けるため。
「くだらない。そんなのなんだってんだ。使者たちの悪意を見抜けなかったそいつの自業自得。くだらない。本当にくだらないよ」
「でも、健斗は律義に叶えているんだ。嫌な役目、なのに」
その身に封じ込め、代わりに役目を担う。数えきれないほどの呪いを受け、それでも放棄しないんだ。それは俺のためなのか。俺の代わりに? いいや、そうは考えるな。健斗は別に自己犠牲のために受けたわけではないと、思う。俺とは違って健斗はなんでも持っていて、明るくて社交的で、俺は憧れと嫉妬を抱え込んだ。
健斗が俺のためになにかをするなんて、おこがましいよな。
「――俺にとって悟はたったひとりの味方だった。悟がいなくなるなんて俺は、ごめんだ」
「俺、そんなに凄いことしたっけ」
「悟はたいしたことじゃないと思っているからだよ」
ぐるぐると渦巻くような健斗の心の声。――悲願の声。助けを求める子ども、恨み辛みを訴える男。健斗の声はそれらにかき消されて聞こえない。それが妙に心地よかった。
ボリュームを引き絞ることもできない声が、聞こえない。
「彼の願いを叶えるためには、悟の能力が必要だったんだ」
「だから俺にバディを頼んだのか?」
「うん。悟は、心を読むことが自分の能力だと思っているのかもしれないけど、俺はそれだけではないんじゃないかと思っていて」
健斗を通して。いや、健斗と接触したものを通すように。亡くなった人間の声でさえも聞くことができるようになった。
「悟は聞こえないはずの誰かの訴えを、聞くことができるのかもしれないと」
「健斗がそういう死者を俺に視せるようにしているのかも、しれないもんな」
健斗の瞳が揺れる。パーカーの袖で口元を隠すのを見て、カップのココアを一口飲む。
「健斗は俺に話していない秘密がたくさんあるだろ。それを全部、俺に言えとは言わないよ。お前の役目の為に必要だというのなら力を貸す」
その場しのぎの偽りだとしても、誰かは救われる。
「だって、お前の役目って、俺がいないと成立しないじゃん」
――お前には俺がいなければ。
「それは健斗を救うことにも繋がるだろ?」
救世主、そう健斗が俺を崇拝する理由は分からないけれど。
「二人で一つの役目なら、お前と俺でやっていくしかないじゃん」
「悟、……」
健斗の声を掻き消すように勢いよくドアが開かれる。その音に驚いてそちらに目をやると騒がしい声が耳をつんざき、鼓膜が破れる。
「ちょっとぉっ! 健斗くん! 私が寝ている間に事件を解決しないでよぉ! せっかく私が計画したレクレーションを! 無駄に! しないで!」
「佐々木さん。耳元で喋らないでください。お腹に響きます」
三人を帰らせた後。佐々木さんは寝室に寝かせ、神田先輩は廊下の途中で行き倒れているのを確認した。健斗は神田先輩の目の前にパンを置いて放っておいた。神田先輩の扱いが雑ではないか、そう思ったが健斗は真顔だ。
健斗いわく、予想の斜め上の行動をされるため厄介なのだという。
そのため、できることなら近づかれたくない相手なのだとか。どんなことをされたの、と聞くと健斗はしばらく考えて「悟。自分が霊に取り憑かれている時に背後を指差して『悟くん、彼女変わったんですか?』と聞かれたらどうする?」と言った。俺がどういうこと? と黙っていると「困るんだよ、非常に対応に困る」となにやらぶつぶつ言いながら頭を抱えていた。どういうことだ。
いやなんか、直近で似たようなことがあったような……?
「レクレーション?」
「佐々木さんの無茶ぶりのせいで俺がどれだけ苦労したと! ガチで発狂しそう」
「え! なになに、健斗くん、虎になっちゃうの? 虎になっても飼ってあげるよ? 君が書いた詩を書き留めて発表してあげる」
「そ、そういうことじゃなくて!」
健斗は顔を真っ赤にして憤る。
「ちがっ、悟。違うんだって! 探偵部の合宿は毎回、部員の誰かが謎解きゲームを主催するのが決まりで。調査をしてたら佐々木さんが、『なになに、おっもしろいことしてるー! じゃ、今度のレクレーションのネタは健斗くん考えてね! よろしくっ』って! 俺の倫理観が死んでるとかそういうことじゃなくて、どっちかというと佐々木さんが!」
部室の机で悶々と考えていた様子は、ミステリーのアイディアを考えているように見えなくもない。依頼者がまさか死者であるなど佐々木は思わないだろうし言えない。
「え? エキストラさん演技がとっても上手かったよ? ねぇねぇ、どうやって呼んだの? 探偵が容疑者を集めてこれから推理をするシーンみたいで、本当に臨場感があって凄かった! どうして帰しちゃったのさ! お疲れ様会をしなきゃ!」
「そういえば、合宿ってそういうことしてましたね」
嫌々ながらも断れず、押し切られたのだろう。佐々木さんに『悟っちには言わないでね! 新人だし、ネタバレ注意!』とでも釘を刺されたのだろうか。
律義に真面目に役目をこなし、自分の能力を悟らせず。
ホント、不器用な奴。
「いじらしいだろ、そんなことをする義理なんてないのにな」
ひやりと空気が凍る。左肩に乗せられた手。
――振り向くな、そう言われた気がした。
「まだ成仏していなかったんだ」
健斗は気づいていない。俺を置いて佐々木に怒りをぶちまける。神田先輩はもくもくとパンを頬張っている。
ああ、ならば気づかれないだろう。
隣にいる、いるはずがないものの存在など。
「最後にお礼が言いたかった」
「それは俺もだよ。あの時に助けてくれたのは櫻木さんでしょ」
殺される、首を絞められて殺される。
愛する人に振り向いても、いいや視界にも入っていない。彼は決して私の手には入らない。そんな彼と一緒になりたい。貴方を殺して私と共に。そのために貴方を殺す。
彼女がそう望むなら受け入れよう。好きなように君の元に連れて行けばいい。君がそれで満足するのならば。
あの時、俺は受け入れようとした。
死ぬことを望んだのだ。
それが例え人違いであろうと、自分が犠牲になって済むのならば。
君と共に死のう、と。
「あの時さ、俺がいつ死んでも良いとか思ってない? って聞いてきたでしょ」
「あぁ」
「俺は死ぬことが怖くない、わけではないよ」
それは人並みに怖い。
「俺だって死ぬことは怖い。でも、健斗がああして自分に与えられてしまった、やりたくもない役目をやっているのを見て、思ったんだ」
人は誰しも理由も分からず押し付けられた役目をただ受け取って、訳も分からず生きていく定めなのかもしれない。現代文の授業の時、この一文を読んで俺は自分のことのようだと思った。どう使えばいいのかも分からないまま、ただ受け取って無駄に使う。俺の能力もそう。おそらく健斗の能力もそうだ。
俺とは違って健斗は後天的なもの。
健斗に押し付けてしまった責任は俺にあり、それならば健斗の役目の手助けをするのが筋なのかもしれない。けれどそんな義務感よりもずっと俺は。
「健斗が俺に死んで欲しくないと願ったように、俺も健斗に死んで欲しくないんだ。俺は健斗のことを嫌いだと思っていても健斗が自分に頼ってくるのを突っぱねることはできなかった。どこかで哀れに思ってたんだよ。そして自分に縋ってくるのを誇りに思ってたんだ。健斗がいなくなった時、俺だけは探して図書館に通った。健斗は大切な友達。俺も、失いたくない」
俺は、健斗のためなら死ぬ覚悟だって、できる。
「今更もう、ひとりにはできないよ」
櫻木の表情は分からない。
「――俺は羨ましかったのかもしれない。俺は、対等だと思ってた。切磋琢磨して競え合える、永遠の友。俺がどんなに先を進んでもきっと追いかけてくれる。そう自惚れて、朔弥の心のうちを考えすらしなかった」
それが俺の罰だった、――と櫻木は言う。親友の心に巣食う闇を見ることをせず、いつのまにか隣にはいなかった。
「それは仕方ないことだよ。朔弥さんの心が弱かっただけ。そこを求めるのは……」
「分かっている。でも俺は、隣にあいつがいて欲しかったんだ」
叶わなかった夢。
切磋琢磨と永遠に、夢に向かって共に駆け上がっていける。そう信じた親友が、自分を殺したと思いたくなかった。そこに理由があるのならば聞いてみたい。叶わぬはずの願い。
「お前は、俺と同じになるなよ」
振り返るとそこにはなにもなく、窓のカーテンが静かに揺れていた。ふと、ユウが言っていたことを思い出した。――『誰だって人を羨んだことが一度だってあるはずだ』と。
「もしかして、あれは櫻木さんが実際に見た景色なのかな」
――自分の問いを叶えて欲しくて、見られたくない自分の遺体を俺に視せてくれたのか。親友が自分を害する恐怖を視せてまで、俺に声を届けて欲しかったのか。どうしてあいつがこれを殺したのか、その問いを永遠に繰り返しながら。
あの暗闇で生涯を終えた彼は、どんな気持ちで。
「ユウ。いる? ……俺は昔、健斗が羨ましかった。どんなに勉強をしても健斗は俺の先を行く。追いつきたくて追いつきたくても、追い越すことはできない。きっと俺もあの人と同じ。羨ましい気持ちは嫉妬に変わり、恨みになる可能性もあったのかもしれない」
生者ならば隠している本音を聞き、死者ならば届かぬはずの声を聞く。
この能力は訴えを聞くためにある。
怒りは二次感情であり、怒りの下には様々な感情が存在する。
この能力はどんな感情なのかを紐解いて、相手に訴えたかった本音が引き出すためのもの。
「それは健斗も同じ気持ちだったのかもしれない。健斗も俺に対してなにか羨むものがあったのかも。だから健斗は、神隠しに遭って自分の存在を忘れられてしまった時、俺を頼ってどんな手段を使ってでも探し出そうとしたんじゃないかな」
健斗の心のうちだけを、俺は読むことができない。
「もし健斗がユウのように、あの世に引きずり込んでしまいたくなったとしても。――俺は、健斗なら許す」
数えきれないほどたくさんの声が、健斗の心のうちを守っている。
たまにはその影たちも健斗の声を邪魔しないでくれたのなら、良いのにな。そう思って健斗を見ると、健斗はこちらを見て笑っていた。
そして、聞こえた声はこうだった。
――俺のホームズが悟で本当に良かった。
俺のホームズは僕の声だけが聞こえない。《終》
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