俺のホームズは声だけが聞こえない

虎渓理紗

一章 どうしてボクらはコロされたの

第1話 幼馴染と再開する。新入生の俺と、先輩のあいつ。

 人間が嫌いだ。

 ――今日テスト返ってくるのかよ。うっわ。点数下がったぁ。

 人間の悪意が嫌いだ。

 ――また百点だって。天才は違うなぁ。羨ましい、頭良いよなぁやっぱ。

 聞かなくていいことを聞き取って、勝手に幻滅している自分が嫌いだ。

 ――ムカつくけど適当に褒めておこ。またノート写してくれるかもしれないし。

 ただ、自分が彼より劣っているだけなのに不機嫌になる自分が大っ嫌いだ。

 ――私の方が仲がいいのに、なにあいつ邪魔。


「悟くん! 悟くんってば!」

「なに」

「家、同じ方向だから一緒に帰ろうと思って」


 ランドセルを揺らし必死に追いかけてきた和田健斗わだけんとは、女の子みたいに綺麗な顔を一瞬だけ引き攣らせる。


「ごめん、遅くなって」

「別に。お前ならすぐ追いつくだろ」


 和田健斗は近所で両親が仲が良いこともあり、よく一緒に帰る間柄だった。幼馴染というやつだろう。一緒に遊ぶこともあったけどたぶん友達ではなかった。どうして友達ではないかというと、友達というには、仲がそんなに良くなかったから。


 俺――吉沢悟よしざわさとるは、和田健斗のことが嫌いだ。


「なんで怒ってるの? 僕、なにかした?」

 その質問にはノーだ。彼はなにもしていない。和田健斗はいつも通りテストを受けて、いつも通りに百点を取って、俺の次の席に戻って座っただけ。すごいすごいと褒め称えられ羨望の眼差しを受けて、いつも通りそれに答えて勉強を教える約束をした。そんな彼を置いて教室を出た俺を追いかけてきた。

 たくさんの声をすべて捨てて。


、は余計だっつーの」

「え?」

「なんでついて来たの」

「一緒に帰りたく、て」

「俺の答案用紙を握りしめて?」


 和田健斗の手にあったのは、机に置いてあったはずの答案用紙。藁半紙には赤い丸がたくさんついている。少しくしゃくしゃによれている。それは彼が握りしめていた、だけではない。


「違うよ、これは僕のだから」

「お前が九十九点を取るわけないだろ」

「ごめん」


 すこいねと先生は褒めてくれた。でもお前には及ばない。お前が息を吸うみたいに取る満点を俺は受け取ったことがない。お前となにが違うというのだろう。たった一つのミスだけでこんなにも惨めだ。それを拾われてこうして手渡される。よりにもよってお前に。


「別に俺じゃなくてもいいじゃん。あいつらとか、他にいくらでもいるだろ」

「だめだ。僕は、悟とじゃないと嫌だ」


 多分、俺は性格が良くない。俺は人間の悪意が嫌いで、けれどそれを大人になって無視できるほど立派でもない。黒く渦巻くこの感情をうまく隠せるほど器用でもない。これがなんなのかも分からずに、あいつにぶつけることでしか解消できなかった。表向きでは良いことをいって、取り入ろうとするあいつらを軽蔑しているくせに。


「ふぅん、そ。ならいいけど」


 その時だった。流れ聞こえてくる音を拾う。健斗の口は動いていない。自然に、息をするよりも容易く。ラジオのチューニングが合うみたいに。

 声にならない声を、拾う。


 ――悟くん、やっぱり優しい。

 ――よかった、やっぱり僕の大切な友達だ。


「悟のロボを見せてくれるんでしょ? 昨日、約束したからね」

「宿題したら、見せる」

「分かった。絶対だからね!」


 俺――吉沢悟には、人の心が読める特殊能力がある。

 それは人間の心をガラスのように透き通す。ざわめく声、嫉妬する声、妬む声。あの時、和田健斗が囲まれて称賛している間も俺だけは全て聞いていた。

 和田健斗が困惑する声も、全て。


 頭も良くて足も早く、優しいクラスの人気者。ひねくれた俺を構おうとするお人好し。俺と一緒に帰らなくても良いだろう。他に誰でもお前ならいるだろう。そう思っていても彼に伝えることはない。俺は狡くて性格が悪い。和田健斗と一番仲がいい幼馴染を、自分のステータスのように思って誇りにしているから。


 けれど、健斗はどこにもいなくなって、二度と会わなかった。








「あれ? 悟。悟じゃない⁉」


 桜が舞う四月のキャンパス。

 高校とは違う広大な敷地に目を回す。講義棟と講義棟を結ぶ通路は、新入生にチラシを配る上級生でごった返している。どこもかしこも学生ばかり。新入生を自らのサークルに入部させようと競い合う。

 そこから押し出されるように小道に入り、そっと胸を撫で下ろす。その時、それとなく聞いたことのある声を聞き振り返ると、そこにいたのはかつての同級生、和田健斗だった。


「健斗?」

「悟! 悟だぁ! 久しぶりだね!」

「……そう、だけ、ど」


 新入生歓迎のパンフレットとレジュメ、学内でもらった大量のチラシが入ったビニール製の紙袋。それを左腕に通してスマートフォンを持つ。まだ慣れない講内の地図は右手に。

 そんな、いかにも新入生な格好の俺に声をかけてきた健斗は、身重な俺とは違っていた。


「あ、新入生? ……そ、そっかぁ! じゃあ、悟はまだサークル決めてないかんじ? 決めてなかったら、僕のサークルに入らない?」

「ぉう」


 一年間の浪人の果て。

 心を読むこの力は、一回の試験で運命を決める受験生には邪魔な能力でしかなく。

 試験会場では、耳に入ってくる呪詛呪禁に耐えきれず、現役合格を逃して一年後。念願の志望大学にようやく合格できたのは、試験当日にインフルエンザにかかり保健室で試験を受け、周りの受験生の声を聞かずに済んだから。 


「それとも、悟。ひま? 僕、このあと予定ないから久しぶりに話さない?」


 目の前の和田健斗は、チェックのシャツにジーパンというラフな格好だった。ふわふわと柔らかそうな黒髪が風に揺れている。幼い時の面影を残しつつ、体格も顔つきも青年らしく大人になっている。

 健斗は身の回りのものを入れる鞄は持っておらず、ただ、新入生歓迎のサークルのチラシだけを持っていた。そのチラシを強引に差し出され受け取らされてしまう。


「……いや、俺。この後、ある、けど」

「えぇ! ぅう、参ったな。僕、いまサークルの呼び込みしてて。先輩に誰か一人だけでも連れてくるって言っちゃったんだよ」


 そんな事情を押し付けられても困る。しかし、健斗が子どもの時からそういうことを察することが苦手なことはよく知っている。わざとなんじゃないかって疑いたくなるほどに。


「ダメ? お願い。お願いだから!」

「……そんなこと言われても」

「お願い! お願い! お願い! お願い! お願い! お願い! お願いぃ!」

「……ぁーあー、うるさい! うるさい! っての!」

「ダメ?」

「……本当にしつこいぞ」


 うるうると捨てられた子犬のような目で見つめてくるな。


「……はぁ……」


 こういう顔に昔から弱かった。和田健斗という男は子どもの時からなにかに頼るということを一切してこなかった。理由はなんとなく分かる。

 誰からも天才と崇め奉られても、それはそう扱えば美味しい思いをするから奉っているだけ。

 本当に友人として対等に接する相手ではない。

 彼はそういう勘だけは鋭く、それを知ってか知らずか、あえてそうしていたのか。いつでも平気なふりをして周りに頼らない。けれど、俺に対してだけは違う。


「……悟、なら。僕の、」

「そんな顔をされたってな」


 心が読める俺は、不安なその心の内を全て聞いていた。誰も信用できない悲しさと、それでも明るく振る舞おうとする哀れなほどに良いやつなところ。

 それが本当に嫌いだった。そんなの放っておけばいいじゃないか。そんなやつのためにお前が犠牲になってやることなんてないだろう。


「……さ、さどるぅ……」

「お前さ、昔からそうだけど、」


 偽善者になるのはやめた方がいいと思う、と言いかけてやめた。


 サークルの先輩から『一人を絶対に連れてくる』そんな無理難題を押し付けられて断れなかったからこそ、こうして人を呼んでいる。そういうやつなのだ、昔から。

 そんなことをしてなにになる? と、思うのは赤の他人である自分だからだ。


 人の心を読み、必ずしも人間というのは善人ではないと分かっている自分だから。人というのは裏表があって、言葉でなんとでも取り繕える。それをよく分かっている自分だから。

 こいつも分かってはいるはずだ。

 幼い時からそういった悪意に触れ続け、そういったことがあることくらいは分かっているはず。けれど、良い人のこいつはそれでも請け負うのだろう。


「……はぁ。良いよ。この大学で、一番美味しいメニューを教えろ。そうしたら話くらい……聞いてやる」

「本当⁉ やった。悟、ありがとう!」

「た、だ、し、お前の奢りだからな」


 しかし、腕を引っ張られ、たどり着いたのは思い描いていた場所とは明らかに違う場所だった。


「おい。聞いていないんだけど」


 数分後、引っ張り込まれた部活棟の一室にて、珈琲をご馳走されていた。

 椅子に座らされ、目の前のまっさらなテーブルを挟んで健斗が立っている。先程までの様子とはなにかが違う。

 ご主人に尻尾を振るわんこのような素振りは影を潜め、代わりに見せるのは冷静に値踏みをするような冷たい視線。

 あんな顔は知らない。そんな目を、見たことがなかった。


「というか、あの。俺は一番美味しいメニューって、言った」

「だから。美味しい珈琲だよ? 佐々木さん、お手製の、豆を炒って作る珈琲。そんじょそこらの喫茶店なんか目じゃない、とってもとっても美味しい珈琲なんだよ。一口飲んでみれば分かる」

「……あのな。冗談いうなら帰る」


 ――『この大学で一番美味しいメニューを教えてくれ』――つまり、この大学にある食堂か、カフェレストランのメニューを紹介されると思っていたのだが、健斗が腕を引っ張って連れてきたのは学内の端の端。――部活棟だった。


「悟。こういうこと、したくはないんだけど。ちょっと、事情があってさ。どうしても悟が必要なんだよ。悟にとってもメリットばかりだと思うんだけどなぁ?」

「お前、」


 見くびっていたのかもしれない。

 健斗はこういう、人を騙して自分の利益になるように仕向ける、そんなことをするやつではなかった。どこまでいってもお人好しで、どんなことをされても許す良いやつ。

 ここに来るまでそういった素振りを見せなかった。


「悟ってさ。昔から思っていたんだけど」


 嘘を見抜くのは得意だ。だって、人は必ず嘘をつく時に心の中で嘘を話す。発言した言葉と心の中にある本音が違えば、それが嘘である。

 心が読める自分にとって、見破ることは容易い。

 いつもならば簡単に嘘を見抜いて、自分が不利益になるような場所にほいほいついていくなんてことはしない。

 それでも嘘を見抜けず、ここまでついてきてしまった理由。


「心が読めるんじゃない?」


 健斗の心を、――読むことができなかった。


「な、そんなわけないだろ!」

「そう? 悟がそういうなら良いけど。悟のその能力も込みで、誘ってるんだよ。悟にとってもその能力を生かすことができる。きっと役に立つから」

「役に立つ?」


 心が読める、そんな絵空事のようなことを信じる人なんていなかった。言っても冗談だと笑い飛ばされるか、馬鹿にされるか。

 自分で告白してもそうなのだから、人から見抜かられたことなんて無い。誰に言っても信じられたことなんてない。

 どんなに近い相手でも、無かった。


「うん。だから、のワトソンになってくれる?」


 ペラりと机に広げられたその紙には、無機質に印刷されたインキでこう書いてあった。


 ――『東京学院大学 探偵部』と。

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