第6話 その声は、聞き取れる誰かを探し続ける

「お疲れ様様、サマンサタバサー。お疲れの二人さん。美味しい美味しい、私の珈琲を召し上がれ」


 部室に入るとふんわりと香る珈琲の香り。

 この部室。雑誌や新聞が雑多にある割には、カウンターに置かれた超本格的珈琲セットは綺麗に磨かれて置いてあった。おそらく佐々木が定期的に手入れをしているのだろう。

 珈琲豆を挽くためのミルと、ドリッパー、珈琲ショップさながらの豆、豆、豆の品揃え。淹れられたカップを見て首を傾げる。


「……計量カップ、なんで?」

「てへ。あれは来客用で。まだ洗ってなくてカップが無い」

「めちゃくちゃ熱いんですけど」

「ビーカーよりはマシじゃない⁉ 実験した後のビーカーを持ってきていいならそうするけど!」

「……いや。佐々木さん、いい。死ぬからそれ」


 健斗が横から助け船を出す。

 目の前に置かれた計量カップ珈琲を、どこから出してきたのかマグカップのものと取り替えて、代わりに口に含む。


「なんで美味いんだろうな」

「でしょでしょ。えへへー」


 マグカップの方を飲め、ということだろうか。


「美味しい」

「あ、マシュマロちゃん見つかったんだっけ? ありがとー。さっそく帰りに寄ってくるね」

「また井上のアパートの近くだった」

「へぇ。でまた、声をかけてきたの?」

「なんで分かった」

「だってめちゃくちゃ機嫌悪そうだもん。キャンパスのイケメン王子が、実は仮面と猫を上手に被った腹黒王子だって知られたら、悲しむ女の子たくさんいると思うなぁー」

「別に、俺はそう装ったつもりないんだけど」

「どうかなー。健斗くんって昔からそうだったの? ねぇ、悟くん」

「え。なんでそれ俺に聞くの」

「だって、幼馴染なんでしょ?」

「佐々木さんに言ってたっけ?」

「――あれ?」


 キョトンとした瞳がこちらを覗く。記憶上、健斗と幼馴染だということは言っていない。ということは、健斗が佐々木に話したのか。


「お、幼馴染だけど。小六まで学校同じだったし」

「やっぱりそうじゃん! どうだった? 昔もこんな感じの意地悪クーデレ腹黒ストーカー王子?」

「なんか属性盛り過ぎじゃない?」

 聞き捨てならない属性も混ざっているような気がする。

「健斗くん、顔良し性格良し、試験をやればいつも満点、優しくて頼れるみんなのリーダー。っていう感じで結構有名だよ? 大体どこでも人の輪の中心にいるし……。けど、この部室にいるときは別ね。二重人格なんじゃ? って疑いたくなるくらい正反対。表で女の子を口説いてるのを見た後にこっちにくると、ほんと別人って感じ」

「すげぇ、性格悪い……」

「でしょでしょ! 私はめちゃ面白くて好きだけど!」


 健斗をチラリと見ると、無表情で珈琲を啜っていた。

 初めに声をかけてきた時は猫を被っていたのだろうが、二人で話している時は素だった。


「……昔、は。良いやつだったよ。裏表なくて、優しくて」

「えぇー、意外!」

「今でも優しいと、思うけどな」

「うっそだぁ、私に対してめちゃ辛辣なんだけど!」

「それは佐々木さんだけでは」


 ええ! そうなの⁉ と佐々木は健斗の方を見るが、健斗はわざとらしく目を逸らす。昔ならまだそんなにも、かもしれないが今の健斗にとっては少し苦手な相手のようである。部員だからこそ話しているがわざわざ好きで話すようにはあまり見えない。

 本音を話す程度だから仲はいいのかも?

 どうして健斗は探偵部に入ったんだろう。珈琲につられて……には思えない。なにか目的があったのかもしれない。

 それとも、自分が知らない間にできた趣味?


「悟くん、さてさて、考えてるんじゃない?」

「え、なにが」


 不意に佐々木から声をかけられ素っ頓狂な声を出す。健斗について考えていたことが口から漏れていたのだろうか。


「チッチッチ、隠さなくても分かってるよ。猫ちゃん失踪事件について、悟くんにはもっと詳しく話す必要があるよね。これはただの失踪じゃない。おそらく原因がある」

「あ、そっち」

「え! 違うの⁉」

「あ、いや。いい。そっちです。それが気になってて」

「でしょ! 詳しく教えるね!」


 元気でたまにうざったいところもあるけど悪い人ではないはず。心の声もハイテンションで見ていて楽しくポジティブだ。

 健斗と真逆である。でもまぁ健斗も悪い人ではない。さっき計量カップ珈琲をさりげなく交換してくれたし。

 そういう優しいところは昔と変わらないな。

 不器用、っぽいけど。


「前に作った地図なんだけれど、これを見て?」


 佐々木が本棚の上に無造作に置いてあった一枚の模造紙を広げる。そこには大学構内と周辺の地図。

 そして、捜索した猫がどこで発見されたかが書いてあった。


「どう見ても犯人じゃん!」


 発見された場所はほぼ同位置。

 三丁目にある井上のアパートである。


「これでなにかしてない方がおかしい」

「まぁねぇ。チラシを配って捜索依頼がある猫ちゃんは、みんな見つかって無事に家に戻ってるから……。事件って、私らは言いたいけど、いなくなった猫ちゃんは必ずここで発見される。法的に事件にしたいけど、実際にはなにも起きてないのが現実なんだよ」

「戻ってきている?」


 それなら、あの時に聞いた声はなんだ。


「えっと、捜索依頼がある猫ちゃんは見つかっている……、つまり、捜索されないような猫ちゃんはどうなってるんだ? それは、でも、いやそうか、」

「そこまではちょっと。野良猫ちゃんまで捜索するのは私らには荷が重いよ」

「……だよな、変なこと言った」


 思えば、心が読めるのは自分だけ。

 アパートの部屋から声が聞こえたと言っても、『お前なに言ってるんだ?』と呆れられるのはいつものこと。自分だけがあの部屋が異常だと分かっている。

 そんな妄言のような証言で捜査をしてくれるとは思えない。


「佐々木さん。そうはいっても猫ちゃんが消えたらまた捜索をするのもさぁ。キリがないからやっぱり原因を探らないと……」

「それはそうなんだけど」

「あのさ、井上って人はどんな人なの?」

「あぁ、そうか。悟はそこを詳しく説明した方がよさそうだね」


 健斗と佐々木は同級生だから知っているのだろうが、自分はまだこの大学に入学して数日である。

 健斗に先ほど聞いた以外の情報が欲しい。


「井上純。医学部二学年、ゼミは菅原教授。住んでいるのはさっき行ったトワキ荘。家族構成は父、母、弟が一人。父親が地元の病院を経営。後継のために医学部に進学。幼少期から将来を期待され、小中高と学年トップで卒業。で、去年うちに進学。友人は無し。人と関わっているところはあまり見ない。騒がしいところが好きではないらしく、いつも図書館の近くにあるカフェでサンドイッチを食べている。――バイトで家庭教師をしていて、」

「なんでそんなに個人情報を知ってるんだ」

「学生支援課でバイトをしてるから。あとは聞き込みを少々」


 背筋にゾッとするものを感じつつ無表情で手帳を読んだ健斗から目を逸らす。住んでいるアパートを特定して嫌がらせするという脅しは、あながち冗談でもなかったのではないだろうか。そもそもなぜ、アパートに住んでいることを知っているのか。

 ――もう、特定されているのではないか。


「こわい」

「大丈夫。悪用しないし」


 そういう問題でもない気がするが黙っておこう。聞かなかった。なにも聞かなかった!


「あのアパート見たでしょ? なんか、猫ちゃんを集めてるっぽいんだよねぇ。そんなにもふもふを集めて猫カフェでもするのかなぁ?」

「……猫を」


 アパートの周りに散らばった猫の餌。

 捜索依頼が出ている飼い猫はあのアパートの近くで見つかり、無事に飼い主の元に戻っている。消えた猫たちはどこに行ったのか。失踪した猫はあのアパートに入っていたから見つからなかったのではないか。けれど捜索依頼を出されることのない野良猫は?

 自分だけが聞いた悲痛は。


「殺してるんじゃないかな……」


 え、という小さな悲鳴は佐々木のもの。

 健斗はじっとこちらを見つめたままだった。佐々木がなんでなんでと問い詰める中、口を開こうとすると、健斗がそれを遮った。


「悟はどうしたいんだ?」

「どうしたい、って?」

「殺してる、それならもう救えないよ。身体は崩れ、声を上げる魂だけになったものをどう救う?」


 健斗の瞳には光はなく、どんよりと深い沼のように濁っていた。


『……――』


 雑音の中。聞き取るのは難しい。――聞こえない。


「それでも、なにもしないなんてできないよ」


 健斗は一瞬、ぱちくりと目を開ける。

 やはりて、健斗の心の中は読めない。


「行こ、なにをしてるのか突き止めなきゃ」

「え? う、うん」


 健斗の腕を引っ張って向かうのは、井上のアパートだ。

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