第7話 どうしてボクらはコロされたの?

「健斗、俺が行く」

「ちょ、待てよ、悟!」


 健斗は慌てた様子でパーカーの裾を引っ張る。なにかと過保護な気がする、と思っていたが気のせいではないらしい。佐々木が言っていたクーデレはどこにやら、服を握りしめて離さない。


「……落ち着け、悟。別に、今する必要なんて」

「俺は落ち着いてるよ? 俺には、健斗の方が慌てている様に見えるんだけど」

「それは」

「あんまり疑いすぎるのも良くない。だけど、飼い猫を誘拐してるのかもしれないじゃないか。そうしたらどんな理由があるのかちゃんと確認しなくちゃいけないだろ」


 生き返らせることはできない。

 遺体を見つけてあげることならできる。

 成仏できない悔しさを晴らしてあげることなら、できる。


「俺、幽霊は信じてないし。なにをされたとかないし。死んだ人はなにもできやしないよ」


 初めてではないんだ、きっと。遠い昔に経験している。


「でも、さ。……お前の中にいる、ソレ、なに」


 健斗はなにも言わない。けれど明らかに口を閉ざしてなにかを隠してる。


「いい、けど。あとで聞くから」


 健斗は握りしめていた手をようやく離す。

 震える口が言いかけて、閉じる。

 声が聞こえてもそれらが自分になにかをしてくる、なんてことはない。自分はただの傍聴者であり、それ以上の能力はない。


「俺はさ、ちょっと嬉しいんだ。人間の心の中の声が読めたって辛いだけだ。こんな能力、要らないって何度思ったか分からない。でも、今は違うよ」


 胸の高揚が止まらない。初めての感覚だった。


「俺が聞かなかったら、たぶん永遠に誰の目にも止まらないままやり過ごされた。健斗が疑っていても同じだ。もしかしたら野良猫が殺されているのかも、なんて、そんなことすら思わなかっただろ」


 健斗はなにも言わない。背後についてくるのを感じながらそして、考えたことを聞く。


「でも、本当は。――健斗は推理できてたんでしょ。これそんなに難しくないもの。俺がたまたま読めるから確信できるだけで、健斗だってもしかしたら、と思ってたんでしょ。健斗は分かってたんだよ。でも踏み込める証拠はない。もしかしたら、の推理でしかない。……あえて俺をここに連れてきてお前は声を聞かせた。違う?」

「そんなこと、ない」

「そうかよ」


 あくまでシラを切るつもりか。それとも本当にそんなつもりはなかったのか。

 いずれにせよ、そんなことはあとで聞けばいいことだ。


「また来たのか」

「あ、ちょっと気になることがあって」

「……誰」


 インターホンを鳴らすと、やれやれと迷惑そうに井上が出てきた。井上はインターホンを押したのが見知った健斗だと思っていたからなのか、一瞬だけ動きが止まった。


「すみません!」

「えっ。ちょっと!」


 その隙をつき、部屋に素早く侵入する。すり抜けて走り込む。


「……ぁ」


 部屋の中は閑散としていた。古い台所にはカップ麺の容器がひとつ。ふとんの向かいには参考書が積み上がった学習机。受験生の部屋みたいだ。数ヶ月前、実家の自室がこうだった。


「ちょっと、お前、なにしてるんだ。不法侵入だぞ!」

「なにもないなら部屋を見られても平気だろ」


 部屋の奥。そうでないと信じたかった。健斗には強がっていたけれど、健斗と同じく、いや健斗よりも怖かった。


「頑張っても頑張っても勝てない辛さは理解できる。俺もそうだった。でも、勉強のストレスを抵抗できない彼らにぶつけるのはおかしい。そんなの間違ってる。――間違ってるよ」


 声が聞こえる。

 みゃんみゃんと、みゃんみゃんと、怖かったと。

 助けを求めても誰にも声は届かなくて。どんなに鳴いても助けはこない。喉が枯れて水が飲みたくて、生きたくても体がどんどん動かなくなって。冷たく冷えていく体が痛い。刃物が皮膚を抉るのを、それを笑って見つめられるのも。


 死にたくなかったよな。痛かったよな辛かったよな。


「どんな理由があっても、殺していい理由になんかならないだろ!」


 部屋の奥。磨りガラスの向こう側。一人暮らしの風呂場にはちいさな風呂桶がひとつあった。つるつるとした陶器の壁に己の爪は刺さらない。逃れようとしても上がることのできない水牢の底。

 ああ、水を溜めたのか。

 息ができないまま、水に沈むようにして死んだのか。


 どうしてボクらはコロされたの?


「――許さない。絶対に許さない!」

「言いがかりはよせ。なにを言ってるんだ」

「この部屋で外で集めた猫を殺してるんだろ! 俺には分かる。水の底に沈めて。その前は刃物で体に傷をつけて。抵抗できない小さな体を惨たらしく長く苦しんで死ぬように!」


 井上の胸ぐらを掴んで揺らすと、井上は「ひぃ」と声を出す。井上は並び立てられたことに対して素知らぬ様子で流していたが、心のうちの動揺は手に取るように分かる。――どうしてバレた昨日埋めたのに証拠は残っていないはず足がつかないようにしていたのに――。

 間違いない。

 こいつが犯人だ。


「証拠は、証拠はどこにあるってんだよ!」

「お前のアパートの庭に、……」

「俺が殺した証拠は! 俺が殺しているところをビデオに撮ったのか? 写真でも撮ったのか! そんなものが残っているはずがない!」

「埋めた猫が、」


「お前の言っていることはとんちんかんなハッタリだ! 猫がいなくなってる。見つかった地点にあるアパートに住んでる俺が怪しい。そこにいる和田が言いがかりをつけてきたな。それを間に受けたのかなんだか知らないが、迷惑でしかない。部屋から出て行ってくれ!」

「勉強が辛いから躍起になったのか! 答えろ、なんでこんなことをしたんだ!」

「だ、か、ら! 俺はなにもやってないって、お前の勝手な妄想で言いがかりをつけてくるな」


 風呂場で殺したことは分かっても、それは自分の異能体質ゆえだ。そんなものは証拠にならない。今までどんなに自分が主張しても誰も相手にしてくれなかった。それは良く分かっている。

 ああ、完全に詰みだ。


「――悟。ちょっとしんどいかもしれないけど我慢して。この手だけは使いたくなかった、けど」


 後ろに健斗が立っていた。思わず声が出てしまったのは気配が何重にも重なっていたから。

 ああ、ひとつ、じゃないんだ。


「……なんだ」


 地面が揺れていた。クローゼットもタンスも、机も。なにもかもがぐらぐらと揺れて立つことができなかった。井上もそうだ。地面に手をついて身動きができないでいる。

 健斗だけは真っ直ぐと井上の前に立つ。


「ほら逝けよ。お前を殺したやつに恨みを晴らしてやるんだろ」


 誰に声をかけているのか、その相手は視えなかった。健斗が井上の前に手を差し伸べる。

 手のひらからなにかが動いた、ような気がした。


「ぐぇ……、あぁガッオェっ、」


 井上は不健康に細い自分の首を絞めていた。

 ギリギリと音が聞こえる。驚愕する目。恐怖の目。なにをしているのか自分でも分かっていないようだ。


「なるほど、首を絞められたと。じゃあお前は? 水責めはここでは辞めた方がいいな。ナイフは台所にあるよ。手首の血管を切るくらいは許可しよう。ただ、殺すのはダメだ。俺が言い訳できなくなる」


 目に見えない何者かに指示していく健斗は、揺れ続ける床の上を平然と歩いていく。

 淡々と淡々と。無表情でなんの感情もなく。


「……なぁ。どうする? 俺はお前に指を触れることもなくこいつらの復讐を手伝う。いい加減、消える猫を捜索するのも、居場所をなくしたこいつらにつきまとわれるのも迷惑なんだ。二度としないと誓えるか? 俺は、――お前に散々迷惑をかけられてイラついてる。早く答えを出せ。でなければ、」


 床に転がしたのは一本のナイフ。


「次はこれを使う」

「……や、やめ、なんだ、これは」

「なにって。散々してきたことだろう? 今更善人、気取るなよ」


 声がとめどなく流れてきて気持ち悪かった。

 胃酸が逆流するほどの酷い吐き気。

 最初に感じたあの声たち。さらに濃い憎悪と怨念の渦。

 声はアパートの中から聞こえたと思っていた。違ったんだ。ドアを開いたあの時、健斗は自分の目の前にいた。

 井上の心の声よりも、手前に健斗がいた。

 つまり、井上の声に重なったのは健斗の――。


「早くしろ。そろそろ悟が辛そうだから、早く楽にしてあげたいんだよ」

「ぎゃぁ、血が! 血がっ、やめて、やめてっ」

「ぎゃあぎゃあ、うるさいなほんと。お前が無抵抗のこいつらに刺したのは心臓だろう。こんなのが医者志望だなんて世も末だよ」

「分かった、やらない! やらないから、止めて!」

「その言葉、忘れるなよ」


 意識が、飛ぶ。二人の声はぼんやりと遠くで聞こえる。こんなにたくさんの声を、いいや、怨念に満ちた声を聞くことはない。

 悲しさではなく怒りの声。恨んで死んだ者の声。

 壊れてしまいそうだ。苦しくて、悔しくて。

 どうして殺されなきゃいけないんだ。どんなに叫んでも声は届かなくて。分かるよ。分かる。どんなに訴えても信じてもらえなかった幼い時の自分と重なる。妄言だ、虚言だと、大人は誰も信じてくれない。

 声はどこにも届かない。


 そうか、俺は怒っていたのか。

 声が届かない悲しさを誰よりも知っているから。


「……さ、と、る、……だいじょ……」


 声が聞こえる。消えていく意識の中、誰かが名前を呼んでいた。

 ぼんやりと目を開けると、その人影の周りに無数の黒い靄のようなものが見えた。目を光らせ、こちらをじっと見る小さい影。

 猫だ。なぜかそれらは猫だと思った。無数の影はふわふわと人影の周りを漂って、こちらに擦り寄ってくる。

 怖くはなかった。

 手を伸ばすとその影はちろちろと労るように舐めてくる。


「ありがとう、俺は、……大丈夫だよ」


 そういうと、影は白い靄になってキラキラと消えて空を漂い消えていく。ああきっと望みが叶えられたんだな。神様、願うなら。

 彼らがもう二度と、こんな辛い目に遭いませんように。

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