第8話 救済者は、傍観者に過ぎない
「でね、でね! マシュマロちゃん、実は毎日脱走してるおてんばにゃんこちゃんだったんだってー。脱走できないように窓やドアを見直したって奥様言ってたよ」
部室のドアを開けると、にぎやかな佐々木と、窓辺で本を読んでいる健斗が目に入った。
「井上くんが猫ちゃんに餌付けをして、それであのアパートの周りに猫ちゃんが集まっていた。井上くんがもう無責任に餌付けしないってことで解決。いなくなっていた猫ちゃんもみんなみんな無事だった。これで猫ちゃんはいなくならない! さてさてお楽しみの十万円、貰ってきたから分けてね! では! 私は呼ばれているので!」
テーブルに置かれた諭吉は、八枚。きっちりと紹介料を掠め取り、佐々木は部屋を出る。
「おい」
タンタンと足音が遠ざかる。佐々木が出て行ってもこちらを見ようともしない健斗にイラついた。澄ましてるんじゃねぇよ。こっちのことは視界にすら入らないってことか。
「アレなんだったんだ」
「ちゃんと説明しないとな」
説明をする、口ではそう言っているけれど、それでも健斗はこちらを見ようとしなかった。
「あのな! こっちを向けよ! いつまでも子どもみたいにいじけてるんじゃねぇ!」
「いじけてない」
健斗の黒い瞳がようやくこちらを向く。やはり心のうちは読むことができない。それでも良い。お前とはこんな能力を使わずにちゃんと口から話を聞きたい。
普通に、話し合いたい。
「なにから聞きたい」
「健斗って呪われてるの?」
「……え? そこ?」
「健斗は大丈夫なのかって、聞いてんだよ。お前の中にいるやつ、それになにかされてないのかって聞いてんだ」
「あ、あぁ。俺は大丈夫だよ。普段は別に」
「えぇ? 本当にぃ? 取り憑かれてるってことでしょ?」
「そうなんだけど。でも、取り憑かれてるとはまた別というか。例えるなら……、俺は中継機なんだよ。俺はある日を境に、この世に未練のある霊を引き寄せるようになった。人が神に祈るように。死してなお自らの願いを叶えて欲しいと願う死者が俺の元に集まる」
「――集まる、?」
「そ。あのアパートは猫が大量に殺された、無数の霊が集まる立派な霊域だ。そういうところで漂うだけのあいつらに干渉して、俺を通して生者に取り憑かせることはできる。けど、その時だけ。悟も言ってたでしょ、――死んだ人はなにもできやしない」
「そう、なの、か」
「うん。俺が呪い殺されて不幸な目に遭う、なんてことはないよ?」
それなら良いのだが。それなら。
「安心した。健斗が無事なら良いよ」
健斗は「え」と間の抜けた声を出す。戸惑い揺れた瞳がこちらを覗いたまま。
「……悟は、それで、いいの」
「なにが」
「俺が、呪われてること、……気持ち悪いとは、思わないの、か?」
「俺は」
健斗がどうしてそんなことをいうのかは分からない。過去にそういう経験があったのかも知れない。推測しか出来ないけれど。なんとなく察する。健斗は自分の身がそうなってから、そのわけの分からない能力に戸惑って、嫌悪して、他人との距離を取ったんだろうって。
俺もそうだったよ、俺も。
「俺が心を読めること。昔、親に言ったことがあるんだ。――俺、母さんと父さんの仲が悪くて。毎日喧嘩ばかりしてて。でもね、俺は心が読めるから。本心がちゃんとお互いを思ってることを知ってた」
母さんも父さんも誤解をしてるんだ。本当はそんなこと思ってないでしょ? と、何度も仲直りして欲しいと頼んだ。ちゃんと本心を伝えれば分かってもらえる。仲直りできると。
けれど、現実は残酷で。
――子どもを使うなんて卑怯だ、と、罵り合った。
「信じてもらえなかった。誰も俺のことなんか相手にもしない。それどころか、俺をお互い仲直りの道具として使ったんだと勘違いして。子どもに嘘をつかせてまで自分が正しいと主張するのか、って。結局、離婚してさ。俺は父さんについて行ったんだ。母さんとは、あれから会ってない」
一番親しい肉親にさえ信じてもらえない。
自分が誰にも理解されない孤独。俺はその日からこの能力のことを誰にも言わないことに決めた。どんなに親しくても。
「健斗が呪われてること、俺は気持ち悪いだなんて思わないよ。だって俺も呪われてる。俺はみんなの声を聞くことができるのに、俺の声は誰にも届かない。これが呪いじゃなければなんだっていうんだ」
声の主が死んでいても構わなかった。
これは初めてこの能力が誰かのためになることだったから。
「ただ、一つ気になることがある」
井上は捜索依頼が出ている猫は殺さず、飼い主がいない野良猫を狙っていた。
捜索依頼が出ている猫があのアパートで見つかっても生きているから帰って来る。捜索依頼が出されない野良猫は、殺されたことに誰にも気付かれず死んでいく。
井上は殺す猫をあらかじめ分別していた。
殺された野良猫が土から出てきても野良猫なんて色んなところで死んでいるものだ。警察にこの人が殺したのだと訴えても証言は難しい。そもそも猫を殺した罰則は軽い。
健斗はこの事件を闇に伏すことにした。誰にも言わない代わりに、猫に餌をやるのはやめろと注意しただけ。
健斗は井上を警察に突き出す気はない。
この犯行は誰にも気づかれない。
心が読める超能力者でなければ知りえない。
では、健斗は?
「健斗は、あのアパートで猫が殺されていることを知っていた。けど、自分ではどうしようもなかった。だから俺に頼って俺があの部屋に突破することを望んだ、違うか?」
健斗はなにも言わない。あぁ、そこはシラを通すつもりなのか。なにも言わないのなら、考えたことを口に出しても文句は言わないよな。
「お前は、猫を、見殺しにしたのか」
身殺しにした罪をうやむやにするために井上を許したのか。
「それは違う。俺は」
「信じるからな?」
その言葉を信用する。健斗は机の上に置いてあったペン立てを横にずらした。指が触れてガシャンと横に倒れる。それを健斗が拾っている間もじっとその様子を観察していた。
「お前のこと、――気持ち悪いとは思わない。けど、……いいや。なんでもない」
いつからそうなったんだ、とは聞けなかった。
別れた後に変わったのだと思う。人懐こい性格が人を寄せ付けないように変化する。それに至った理由は必ずどこかにある。
「健斗、お前は俺を、信用したんだろう?」
あの時と同じように。
玄関から出て行ってしまう背中を追いかけるように。
唯一、頼れる相手が俺だったのならば。
「俺、お前のワトソンをやってやるよ。死神体質のお前を救える唯一が俺なのだとしたら。俺はお前のためにこの力を使ってやる」
――助けて、ここから、早く……、
声が聞こえる。
その声に導かれ奥へ奥へと声の元に走った。誰かが自分を止めようとして手を伸ばしたけれど、その手を振り払って、走って走って。
その後、なにがあったんだっけ。思い出せない。
「悟のそういうところ、俺は愚直で好きだよ」
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