真相

 元司が扉を開けると、そこには黒崎と草太のふたりしかいなかった。


「おい、他の連中はどうしたんだ?」


「中田さんは、来るのが遅れるってさ。ラジャさんも店があるから、ちょっと遅れるみたい」


 とぼけた表情で草太が答える。


「そうか。それにしてもよう、何もこんなところで集まらなくてもいいだろうに」


 呆れたような表情で、元司は言った。

 彼がいるのは、普段トレーニングに使っている古い倉庫跡だ。ラジャと草太が金を出し合い、元司のために借りたらしい。もっとも普段は、黒崎の住居になっているようだ。


 真・国際プロレスによる祝勝会が行われたのは昨日だった。そして今日は、ラジャに呼び出されてここに来たのである。いったい何をする気なのかと尋ねてみたら、今後の作戦会議を開きたいと言ってきたのだ。


「次は、大晦日の決戦でしょ! アタシ、どんな格好で行こうかしら。今から楽しみだわ!」


 コスプレか何かと勘違いしているようだ。もっとも、客も喜んでくれているようだし、こちらとしても試合前の緊張がほぐれてくれて助かる。




 そんなわけで来てみたのだが、ラジャがいないのでは仕方ない。元司は、その場に座り込んだ。黒崎や草太も床に座り、コンビニで買い込んだ弁当や惣菜などを食べている。


「あの琴岩竜ってのは、見かけ倒しだったんだね。あれなら、モッさんの敵じゃなかったろうけど」


 食べながら軽口を叩く草太に、黒崎が首を振る。


「いや、あれは運が良かったんだ。仮に、琴岩竜が勝ち上がっていたら、荒川はかなり苦戦していただろう。負けていたかもしれん」


「えっ、どういうこと?」


 黒崎の発言に、すかさず草太が食いついた。


「ナークとの試合の時、琴岩竜の動きは堅かった。久しぶりの試合からくる緊張感だろうな。実力の半分も出せぬままナークのペースに巻き込まれ、肘で流血させられた挙げ句にハイキックで倒された」


 静かな口調で、わかりやすく話している。横で聞いている元司は、改めて感心していた。かつて鬼の黒崎と恐れられた男に、こんな一面があろうとは知らなかった。

 黒崎は、さらに語り続ける。


「もし琴岩竜が勝っていれば、荒川との試合では全力でぶつかって来ただろう。緊張もほぐれ、体も温まり、本来の実力を発揮できたはず。そうなった時の琴岩竜は、ナークより厄介な敵となっていたはずだ」


「へえ、そうなのかあ。格闘技って、難しいもんだねえ」


 言いながら、草太は難しい表情を作り、うんうんと頷いた。

 元司は苦笑しつつも、黒崎の言葉に心の中で拍手を送っていた。黒崎の言うことは正しい。ナークとの試合で琴岩竜が勝っていれば、勢いづいていたのは確かだ。もともとの体格、さらに相撲で培われたパワーをフルに活かせば、ナークをも凌ぐ難敵になっていただろう。


(あのタイ人が勝ってくれた方が、セコンドに付く俺としてはありがたい)


 あの時、黒崎はそう言っていた。初めから、こんな展開になることも想定していたのだろう。

 草太も言っていたが、格闘技とは難しいものだ。実力が上だからといって、必ず勝てるとは限らない。特にナークのような試合巧者は、自身のペースに相手を引きずり込むのが本当に上手いのだ。

 しかも肘打ちにより流血させ、視界を不自由にさせてからのハイキック……もちろん、ナークとて全てを計算していたわけではないだろう。だが、状況に応じて戦法を変えられるのは、百戦近いキャリアのなせる業だ。

 そんなナークに勝てたのは、単純に体格差および寝技のテクニックの差でしかない。


「だがな、次回はそうはいかんぞ。はっきり言うが、お前に勝ち目は──」


 黒崎が言いかけた時、倉庫の扉が開いた。入って来た者を見た瞬間、皆の表情は凍りつく──

 なぜなら、入って来たのは……空手団体・道心会館の館長にしてDー1の最高責任者、石川和治であった。普段は数人の取り巻きを連れているが、今日はたったひとりである。

 皆が唖然となっている中、石川は苦々しい表情で黒崎を見つめた。


「黒崎、久しぶりだな。まさか、お前がDー1に出てくるとは思わなかったよ」


 呟くように言った。その顔からは、普段の傲慢そうな態度は微塵も感じられない。


「こんな所に何しに来たのだ? 荒川を激励するために来たのか?」


 一方の黒崎は、普段と全く変わらない態度である。鋭い目付きで、じっと石川を見据えていた。


「お前は、本当に変わらないな。お前のせいで、大勢の人間が迷惑したんだよ」


 言った直後、石川の表情が変わる。露骨な憎しみのこもった目付きで、黒崎を睨みながら語り続ける。


「お前を破門するよう、館長に進言したのは俺だ。それだけじゃない……あちこちの支部長に声をかけた。お前を復帰させたら、武想館は潰れる。だから破門させるべきだってな」


「ちょっと待てよ。それ、どういうことだ? あんたは事情を知りながら、おっちゃんの味方をしなかったのかよ?」


 声を発したのは黒崎ではなく、草太であった。彼は立ち上がり、体を震わせながら石川を睨んでいる。今にも殴りかかっていきそうな気配すら感じる。

 草太の態度に異様なものを感じ、元司はさりげなく彼の横に付く。草太がバカをやりそうになったら、すぐさま止めるためだ。

 殺気立つ青年を見て、石川は小馬鹿にしたようにクスリと笑った。


「黒崎、こいつはお前の弟子か?」


「ああ、弟子みたいなものだ」


 重々しい口調で、黒崎は答えた。すると、石川は笑う。


「なるほど。こんなろくでもないクズが弟子とは、今のお前にふさわしい──」


 その瞬間、黒崎が動いた。だが彼が何をしたか、はっきりと見た者はいない。それほど黒崎の動きは速く、また滑らかであった。一瞬にして立ち上がり、石川に接近したのだ。

 気がつくと、黒崎の指が、石川の左側の眼球すれすれの位置に突きつけられているのだ。

 目に人差し指を突き入れれば、確実に眼球は潰れる。しかも、さらに深く突き入れれば、指は脳にまで達する。当然、相手は死んでしまう。

 黒崎は、石川を殺す気なのか──


「便利屋は、俺の弟子だ。その弟子を侮辱するのは、俺を侮辱するのと同じだ」


 黒崎の口調は、極めて冷静なものだった。だが、その冷静な口調が秘めた意思を伝えてくれている。もし何かあれば、ためらうことなく指を突き入れるであろう。


「な、何をする気だ? お前、下手なことすれば刑務所に逆戻りだぞ」


 石川の声は震えていた。それでも、黒崎を睨みつけている。死んでも、意地を張り通す気なのか。


「だから何だ。刑務所には、既に一度行っている。過ごしにくい場所でもない。なんなら、もう一度行っても構わんぞ」


 対する黒崎の声からは、嘘やハッタリは感じられない。石川の顔がひきつった。

 その時、草太が止めに入る。


「おっちゃん! やめてくれよ!」


 同時に、元司も動いた。石川の肩をポンポンと叩き、その場から連れ出す。


「石川さん、こんな奴とやり合っても仕方ないですよ。金持ち、喧嘩せず……ですから」


 なだめるような口調で言いながら、扉を開ける。半ば無理やりに、石川を外に連れ出した。

 外に出た石川は、フウとため息を吐く。


「あいつは、本当に変わらんな。昔も今も、損得を無視して噛みついていく。あの性分だけは、どうしようもないな。なぜ、賢く生きられないのかね」


 言いながら、石川は元司を見上げる。先ほどの黒崎の行動に、憤慨している様子はない。むしろ、悲しんでいるような表情だ。

 元司は唖然となりながら、石川を見つめる。この男に、いったい何があったのだろう。さっきまでは、ヒールそのものといった態度だった。B級映画に登場する悪党の親玉、といった雰囲気すら漂わせていた。

 しかし今の石川は、世の中のしがらみに疲れはて、うちのめされた中年サラリーマン……のようにしか見えない。これが、一代でDー1を作り上げた傑物なのだろうか。

 ややあって、石川は弱々しい口調で語り出した。


「俺はな、黒崎と同じ時期に黒帯になった。けどな、ずっと奴に憧れてたんだよ。黒崎は、本物の空手家だった。本当に強かった。俺は、奴のようになりたかった。だがな、黒崎はあまりにも不器用だった。あの事件だってそうだ。女を助けたいなら、警察に任せればよかったものを……」


 最後の部分は、聞き逃せないものだった。元司は、思わず石川の肩を掴む。


「それ、どういうことですか?」


「お前、知らんのか。だったら、本人に聞けよ。あいつは、嘘は言わないからな。いや、嘘を吐けない馬鹿な男だ」


 そう言うと、石川は乾いた笑みを浮かべる。


「荒川、次の試合だけどな……派手に散ってくれよ。お前には百パーセント勝ち目は無いだろうが、来てくれた観客のことは楽しませてくれ。お前もプロレスラーなら、そこんとこはわかるだろ。今日は、それを言いに来たんだ」




 急に一回り小さくなったように見える石川を見送った後、元司は倉庫に入る。

 黒崎は、冷静な表情で立っている。しかし、草太は怒りが収まらない様子だ。入ってきた元司を見るなり、顔を歪めて迫っていく。


「モッさん、マルコをぶっ倒してくれよ」


「えっ?」


 戸惑う元司に向かい、草太はなおも言い続ける。


「あの石川の野郎、許せねえよ! モッさんがマルコをぶっ倒せば──」


「その前に、ひとつ聞きたい。おっさん、女って何のことだ?」


 言いながら、元司は黒崎に視線を移す。だが、黒崎は目を逸らす。


「別に、大したことではない」


「まだ隠す気なのかよ、おっちゃん! いい加減、モッさんにもちゃんと話そうよ!」


 草太の振り絞るような言葉に、黒崎は黙ったまま下を向いた。

 やがて、ぽつりぽつりと語り出す──


 ・・・


 それは、二十年以上前のことだった。


 当時、まだ現役の空手家だった黒崎。彼は空手の稽古を終えると、自宅に帰るため川原を走っていた。トレーニングも兼ねて、走って帰るのが黒崎の日課だったのだ。


 その日も、黒崎はいつも通り川原を走っていた。

 だが、途中でとんでもない光景を目撃してしまう。チンピラ風の若い男たちが、数人で騒いでいた。見れば、ひとりの女を襲っているのだ。女はまだ若く、衣服を破かれた上に顔に怪我もしていた。どう見ても、仲間内で遊んでいる風景ではない。

 それを見た瞬間、黒崎は気合いと共に飛びかかって行った──


 チンピラは、黒崎の敵ではなかった。あっという間に全員が叩きのめされる。黒崎は警官を呼び、女を警察に保護させる。

 この事実だけを見れば、黒崎に裁かれる要素は何もない。あるいは、正義の味方として新聞に載ってもおかしくはなかっただろう。

 だが翌日になり、警察に逮捕されたのは……なんと黒崎の方であった。

 その容疑は、暴行傷害と殺人未遂である。


・相手の五人が、みな病院送りにされたこと。


・うち二人は内臓破裂、残りの三人は数ヶ所を骨折させられていたこと。


・空手の有段者が、素人を相手に技を用いたこと。


・闘いの最中、黒崎は「貴様ら、全員殺してやる!」と口走っていたこと。


・取り調べの際、殺意を持って拳を振るった事実を認めたこと。


 などなど、黒崎にとって不利な条件があまりにも多かった。だが何よりも大きかったのは、襲われていた女性が訴えを取り下げたことである。

 当時、性犯罪に関する裁判は酷いものだった。被害者の女性は裁判所で、何をされたかを衆人環視の中で、事細かく言わなくてはならなかったのだ。それは、まさに二次被害といっていいものである。

 そのため、女は被害届を出さず……結果、黒崎だけが殺人未遂と傷害で逮捕されたのだ。

 しかも、判決は懲役十年である。現役の空手家が、素人を殺すつもりで拳を振るったのだ。その点を重く見られたのである。

 襲われていた女性を助けた報いとしては……あまりにも重く、理不尽な刑であった。




 その後、黒崎は十年に渡る刑務所での生活に耐え、晴れて出所した。

 だが黒崎には、もはや何も残されていなかった。両親は他界しており、兄弟はない。僅かな財産は、被害者への弁済で全て消えてしまった。事件以来、友人知人はみな彼との交流を絶ってしまっている。空手の組織も破門された。

 かつて、最強の格闘家と謳われた男。だが、今の彼には何も残されていなかった。








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