奴らの誇り、そして闘い
板倉恭司
荒川元司編
前座の男
「あらかわ~、もと~じい~!」
リングアナウンサーの声に、荒川元司はふてぶてしい表情で軽く手を挙げる。
身長百八十センチで体重百十キロの肉体は、昭和のレスラーにありがちな筋肉の上に脂肪の乗った体型だ。額には太い傷痕が生々しく残っており、顔つきは昔の映画に登場するヤクザのようである。
その人相の悪さが示す通り、彼は悪役のプロレスラーなのだ。
「引っ込め荒川!」
「もう、お前みたいなのはいらねえんだよ!」
客席からは、時おり罵声が飛ぶ。だが、元司は不敵な表情を浮かべるだけだ。これは彼にとって、いつものことなのである。
そんな中、リングアナウンサーがコールを続ける。
「赤コーナー、百八十センチ九十五キロ、こすぎ~、しゅんいちぃ!」
コールされた小杉俊一が、両手を挙げる。爽やかな若手イケメンレスラーとして売り出し中の男であり、次世代のエース候補なのである。元司とは違い、体脂肪が低めの体つきだ。腹筋も、きっちり割れている。
精悍でありながらも、同時に母性本能をくすぐるような甘い顔が筋肉質の体の上に乗っている。そんなイケメンの小杉が、両手を挙げて観客にアピールしている。
その時だった。観客に向かい笑顔を見せる小杉に、元司がいきなり襲いかかっていった──
ちょうど後ろを向いていた小杉の後頭部を、元司は拳でぶっ叩く。ぶっ叩くとはいっても、決定的なダメージを与えない打撃だ。見ためは大きく派手な動きだが、きちんと寸止めしている。いや、実際に当てているから、寸当てといったところか。
元司の攻撃に、小杉はコーナーで崩れ落ちて膝を着く。だが、元司は容赦しない。倒れた小杉に、ストンピング攻撃を加える。足の裏で、何度も踏みつけていく──
もちろん、これも寸当てである。見た目は派手な攻撃だが、深刻なダメージは与えていない。もっとも、不器用なレスラーがやると相手に怪我をさせてしまうこともあるのだ。
しかし、元司は長くプロレスで飯を食ってきた男である。相手を怪我させるようなヘマはしない。強さや重さを加減しつつ、器用に足を落としていく。
やがて倒れた小杉を起こすと、耳元でさりげなく囁く。
「問題ないな?」
この言葉は「打ち合わせの通りにいくぞ。問題ないな?」という意味である。
それに対し、小杉は大きく息を吐いた。YESという意味だ。
すると、元司は指のテーピングを外す。
直後、紐状のテーピングで小杉の首を絞めた──
バタバタ両手を振り、苦悶の表情を浮かべる小杉。レフェリーのミスター
言うまでもなく、これまた本気では絞めていない。あくまで、絞めるふりをしているだけだ。元司はいわゆる悪役レスラーである。善玉のレスラー(ベビーフェイス)を徹底的に痛めつけ、観客からのブーイングを誘う。それが、元司の役目なのだ。
やがて、レフェリーが元司に向かいカウントを始める。
「ワン! ツー! スリー! フォ──」
その瞬間、元司はパッと手を離した。レフェリーは素早く手を伸ばし、小杉の首に巻き付いたテーピングをむしり取る。
プロレスでは、五秒以内の反則ならば許される。したがって、紐状の物で首を絞めていたとしても、五秒以内ならばOKなのだ。もっとも、ナイフを持ち出して刺しても許されるかと問われれば、それは違うのだが。
リング上では、元司が一方的に小杉を痛めつけている。ストンピングの連打を食らわすと、無理やり立ち上がらせ頭にヘッドバットを叩き込んだ。
さらに背後に回り、両腕を小杉の腰に回す。
ワンテンポ間を置き、後方へと投げる。小杉は、マットに叩きつけられた──
元司のバックドロップが決まったのだ。小杉はリングの中央で大の字になり、ピクリとも動かない。もっとも、意識ははっきりしている。これまた演技なのだ。
倒れている小杉を、元司は踏みつけた。さらに足を乗せたまま、憎々しげな表情を作り観客へとアピールする。
すると観客から、ブーイングが飛んできた。だが一昔前と比べると、明らかに声が小さく勢いがない。やはり、プロレスの人気は落ちてきている。
少し寂しさを感じながらも、元司は仕事を続ける。コーナーポストから、トップロープへと上がる。
観客に向かい、見栄を切り奇声を発する。直後、リング中央で倒れている小杉めがけ、勢いよく飛ぶ。ダイビング・ヘッドバットだ──
その瞬間、小杉は目を開けた。リング上を転がり、元司のヘッドバットを躱す。元司はマットに額を打ち付け、派手にもがき苦しむ……リアクションをして見せる。
そこから、息を吹き返した小杉の逆襲が始まった。元司を力ずくで立ち上がらせ、ロープへと振る。
ロープに振られた元司は、打ち合わせ通りにきっちり返っていく。そこに、小杉のフライング・ニールキックが炸裂した──
これは、空手の胴回し回転蹴りに似た技である。ただし胴回し回転蹴りと違い、ふくらはぎの部分を当てることで相手に与えるダメージを最小限に食い止めている。
さらに、相手に当てた後も足を振り切らず、体重を完全に乗せ切らない。したがって、見た目は派手だが効かせないようコントロールすることが可能なのだ。
しかし、元司は自身の役目をきっちり果たす。真正面からのフライング・ニールキックを受け止めると、顔を歪めながら派手に倒れる。
グロッキー状態を演じる元司を立ち上がらせた小杉は、彼の背後に回る。
さらに元司の両腕を、フルネルソンの体勢でロックする。
オオッ! と湧く観客。次の瞬間、小杉が元司を後方へと投げた──
小杉の体は見事なブリッジを描き、元司の後頭部をマットに叩きつける。小杉の必殺技である、ドラゴンスープレックスが決まったのだ。
レフェリーはすぐにしゃがみこむと、マットを手のひらで叩く。
「ワン! ツー! スリー!」
勝利をコールされ、高々と手を挙げる小杉。その間、元司はまだマットにて伸びている。試合が終わったからといって、すぐにリングを降りてはならないのだ。負けたレスラーは、相当のダメージを受けていることを観客にアピールしつつリングを降りなくてはならないのだ。
やがて、元司は目を開けた。タイミングを計り、ゆっくりと起き上がる。
リング上では、小杉がマイクアピールをしていた。それを尻目に、元司は首をさすりながら控え室に向かう。
その時、罵声が飛んできた。
「お前らみたいな八百長野郎なんか、クランシー柔術には勝てねえだろ!」
元司は、思わず口元を歪める。クランシー柔術とは……十年ほど前にアメリカで開催された、何でもありのリーサル・ファイトなるイベントにて優勝した格闘家、ロイス・クランシーの学んでいた格闘技である。
リーサル・ファイト・チャンピオンシップ、略してLFCは、いわゆる総合格闘技の草分け的な存在であり最大の団体だ。開催されて以来、アメリカでの人気はうなぎ登りである。いずれ日本にも進出してくるだろう、と言われていた。
対照的に、プロレスの人気は落ちてきていた。しかも、現役プロレスラーの
かつて「プロレスこそ最強の格闘技である」と言ったのはアントラー
しかし今は、それらの試合にも筋書があったことがバレてしまっている。プロレスこそ最強の格闘技という言葉も、今となっては虚しいだけだ。
もっとも、中堅悪役レスラーの元司にとって、プロレス最強論などどうでもいいことである。
控え室に戻ると、元司は汗を拭いた。控え室とはいっても個人の部屋ではなく、他のレスラーたちもいる。ストレッチをしている者がいるかと思えば、スマホをいじっている者もいる。皆それぞれ、自由な過ごし方をしていた。
元司はといえば、用意していたペットボトルの水と一緒に、ビタミン剤などのサプリメントを流し込む。近頃は、健康にも気を配らないといけなくなってきた。四十五歳にもなると、ちょっとした油断が体に響いてくる。
やがて、小杉が控え室に入って来た。元司に、深々と頭を下げる。
「モトさん、今日はありがとうございました」
「おう、今日の試合はよかったぞ。この調子で、また頼むぜ」
言いながら、元司は小杉の肩を叩く。
「ただし、ひとつ言っておく。フライングニールキックは、遠慮せずもっと思い切って打ってこい。でないと、迫力が伝わらねえぞ。それとな──」
「やめてくんないスか、モトさん」
横から口を出して来たのは、メインの試合を前にした
真・国際プロレスがかろうじて団体を存続し、興行面でもかろうじて黒字を維持していられるのも、吉田と小杉という若きイケメンのツートップがいるお陰である。
「あんたは頑丈だからいいかもしれませんがね、他のレスラーは違うんですよ。フライングニールキックだって、間違えて
吉田は、嫌味たらしく言った。その言葉に、元司は黙りこむ。
「い、いや、あの……すみません、俺がいけなかったんです」
そう言ったのは小杉だ。微妙な雰囲気を何とかしようと、懸命に頭を下げる。だが、吉田はにこりともしない。
「小杉、お前は悪くねえよ。時代の変化に取り残されてるような、哀れなおっさんたちの言うことには耳を貸すなよ」
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