唯湖の過去・コスモナーフトの小娘(1)
わたしのゆめは、コスモナーフトになることです。
一ねん二くみ のうみ ゆいこ
「わたし、大きくなったらコスモナーフトになるんだよ」
「こすもなーふと? それは何だニャ? 儲かるのかニャ?」
「宇宙船に乗って、宇宙に行ってお仕事をするんだよ。よその惑星に行ったりもするんだ。将来、宇宙人とも会えるかもしれないんだよ」
「ふーん。なんだか、ワケわからん仕事だニャ。それは凄いのかニャ?」
「とっても凄いんだよ。わたし、大きくなったら絶対コスモナーフトになる!」
「そうかニャ。まあ、せいぜい頑張れニャ」
それは、とても不思議な光景であった。
ここは暗く、深い穴の中だ。下には落ち葉や腐った木片などがあり、妙な匂いが漂っていた。
そんな中で、ひとりの幼い少女が、一匹の黒猫と話しているのだ。黒猫はとても綺麗な毛並みをしており、太り過ぎず痩せ過ぎず均整のとれた体つきをしている。長くふさふさした尻尾は、奇妙なことに二本生えていた。尻尾は、まるで己の意思でも持っているかのようにクネクネと動いている。
何とも不思議な眺めだが、その猫と少女が普通に日本語で会話していることに比べれば、二本の尻尾がクネクネ動いていることなど大した異変ではないだろう。
少女の名は
好奇心旺盛な彼女にとって、田舎の村は探検のしがいがある場所である。今日も村の周辺を探検していたのだが、途中で草むらにある古井戸に落ちてしまったのだ。
井戸は深いものだったが、底には落ち葉が積もっており、クッションの役割を果たしてくれたらしい。幸いにも、少女にケガはなかった。しかし中は暗く、あまりにも不気味な場所である。不安と恐怖から、唯湖はついに泣き出した。
その時、奇妙なものが現れた。
「お前、いったい何してるニャ?」
とぼけた声と共に、のっそりと現れたものがいる。それは一匹の黒猫であった。
「えっ!? ね、猫なの!? 猫なのに、喋れるの!?」
叫ぶ唯湖に対し、黒猫は呆れたように彼女の顔を見上げた。後ろ足で耳を掻きながら、冷静な口調で尋ねる。
「あたしは、どうしたのかと聞いたんだニャ。お前は、言葉も通じないアホなのかニャ?」
「あ、アホって言ったの!? あたしアホじゃないもん! もう一年生になったんだから!」
さっき泣いていたことも忘れ、唯湖は顔を真っ赤にして言い返した。すると、黒猫は唯湖に近づいていく。頭のてっぺんから爪先まで、彼女の体をじっくりと見つめた。
「ああ、わかったニャ。お前、ここに落っこちて泣いてたんだニャ。こんな穴に落ちるとは、やっぱりアホ娘だニャ。しょうもないアホ娘ニャ」
小馬鹿にしたような口調の黒猫に、唯湖は地団駄を踏んで言い返す。
「またアホって言った! アホじゃないもん! わたしは大きくなったら、コスモナーフトになるんだから! コスモナーフトは、アホじゃなれない仕事なんだよ!」
「ニャニャ? 何を言ってるニャ? コスモ何とかって何だニャ?」
「えっ? コスモナーフト知らないの?」
「そんなの、あたしが知るわけないニャ。だったら、説明しろニャ」
そして今、唯湖は先ほどまでの不安も恐怖も忘れ、黒猫に向かいコスモナーフトについて語り続けているのだ。
「とにかく、コスモナーフトは凄い仕事なんだよ。いつか、宇宙ステーションで普通の人が住めるようにもなるし、スペースノイドだって──」
「はいはい、わかったニャ。そのコスモ何とかが凄いのは、よくわかったニャよ」
少しうんざりした口調で、黒猫は言った。そして上を見る。
「ところで……お前、ひとりでここから上がれるかニャ?」
「えっ?」
その時になって、唯湖は自身の置かれた状況を思い出したらしい。恐る恐る、上を見てみる。
地上までは、かなりの距離がある。あそこから落ちて、擦り傷だけで済んだのは奇跡に近い。自分ひとりの力では、とても上がれないだろう。
「無理だよ、こんなの……わたしひとりじゃ、上がれないよ」
唯湖の目から、涙がこぼれる。彼女はふたたび、今おかれた状況を思い出したのだ。こんな深い穴に落ちてしまって、どうやって家に帰ればいいのだろう。
その時、ため息のような声が聞こえた。
次の瞬間、黒猫が宙に飛び上がる。さらに、宙でくるりと一回転した。
すると、黒猫の姿が消えた。代わりに、人間の女が出現したのだ。
唯湖は呆然としながら、その女を見上げる。女は背が高く、長い黒髪と野性味あふれる美しい風貌をしている。さらに、その頭には三角の耳が生えているのだ。まるで猫のような耳である。
「ほら、ボケッとしてないで、こっちに来いニャ」
言いながら、女は手を差し出してきた。だが、唯湖は唖然とした表情のまま硬直している。
「ね、猫が変身した……」
「あのニャ、あたしは二百年も生きてる化け猫ミーコさまニャ。変身くらい、わけないニャ。それより、早くここから出るニャよ」
言うと同時に、ミーコは唯湖を抱き上げる。
直後、一気に跳躍した──
唯湖は、目の前で起きたことが未だに信じられなかった。喋る黒猫が、目の前で人間の女に変身した。しかも、その女は自分を抱き抱え、深い古井戸の底から一気に飛び上がったのだから……。
「コスモ何とかの小娘、気をつけて帰るニャよ」
ミーコは向きを変え、立ち去ろうとする。
その時、唯湖はたまらない気持ちになった。これまで、妖怪など見たこともない。実在するとも、思っていなかった。
そんな妖怪と、せっかく出会えたのだ。その上、助けてもらった。なのに、こんなにあっさりお別れなんて嫌だ。これからも、ずっと友だちでいたい。
気がつくと、唯湖は彼女の手を掴んでいた。潤んだ瞳で訴える。
「行っちゃやだ」
「なんだニャ? ここからなら、ひとりで家に帰れるニャ。あたしは忙しいんだニャ」
そう言って、ミーコは歩き出そうとする。しかし、唯湖は彼女の手を離さなかった。
「待ってよ。ねえ、わたしの友だちになって」
「ニャニャ? 何を言ってるニャ。あたしは、三百年も生きてる化け猫ミーコさまだニャ。お前みたいな小娘とは、友だちにならないニャよ」
「そんなあ……せっかく出会えたのに。わたし、ミーコとまた遊びたい。もっと、ミーコと仲良くなりたいよ……」
唯湖の目には、またしても涙が浮かんでいる。今にも泣き出しそうな顔で、ミーコを見上げていた。
ミーコは目を逸らし、ため息をつく。
「本当に、わがままな小娘だニャ。じゃあ、お前が大人になった時、もう一度だけ会いに来てやるニャ」
「本当に!?」
「ああ、本当だニャ。お前が、コスモ何とかになった姿を見に来てやるニャ」
「約束だよ! 絶対に、会いに来てよ!」
・・・
それから、二十年が経った──
自宅アパートに帰ってきて、能見唯湖はホッと一息ついた。デニムパンツとトレーナー姿の彼女は、見るからに不健康そうな風貌である。頬の肉は綺麗に削げ落ち、まるで骸骨のようだ。腕は細く、肌は青白い。髪はボサボサで、何日も手入れをしていないようだ。足を引きずるように歩きながら、唯子はソファーに座る。
パンツのポケットの中に右手を突っ込み、先ほど買った物をテーブルの上に置く。
それは、白い結晶の入った小さなビニール袋の切れ端であった。
さらに唯子は、ベッドの下に隠しておいた注射器を取り出す。震える手で、ビニール片の中に入った結晶を砕く。
その時、唯子は何者かの視線を感じた。同時に、パッとそちらを向く。
そこには、一匹の黒猫がいた──
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