石川和治という男

「何だとぉ!? おい、そりゃどういうことだ!? もう一度いってみろ!」


 石川和治イシカワ カズハルは、受話器に向かい怒鳴り付けている。顔には焦りと怒り、その両方の感情が浮かんでいた。

 ここは、都内のマンションだ。一等地のオフィス街に建っており、昼間はスーツ姿の男女がせわしなく行き交っている。

 もっとも、今は深夜の二時だ。当然ながら、この時間帯に仕事をしている者などいない。

 誰もいない深夜のオフィスで、受話器に向かい怒鳴り散らす中年男。その様は、かなり異様であった。


(いや、だからどうしても無理だって言うんですよ。こっちも手を尽くしたんですがね、条件を呑めなきゃ出ないの一点張りなんですよ。日本のリングは信用できない。試合をやるならブラジルだと……これだけは、絶対に譲れないそうです)


「クソがぁ! あのガキ、ふざけやがって!」


 受話器を叩きつけ、石川は顔をしかめた。どうやら、世界最強の男は呼べそうにもない。

 となると、ここからどうすればいいのか……。




 道心会館どうしんかいかんは、日本で最大のフルコンタクト空手団体である。石川は、その道心会館の館長にして、格闘技イベント『Dー1』のプロモーターでもある。

 この石川、愛媛県に生まれた。十六歳の時、空手団体・武想館拳心道ぶそうかんけんしんどうに入門する。二十歳で黒帯を取得し、二十二歳の時には地方の支部を任されるまでになった。

 やがて独立し、道心会館を設立する。石川は今や、全国に道場を持つ空手団体の総帥だ。もっとも、今の彼は武道家というよりは、むしろ商売人といった方が正しいだろう。実際、その風貌もビジネスマンらしいものだ。

 Dー1は、その石川が開催する格闘技イベントである。最初は、世界各地からキックボクシングのヘビー級選手を集めての、一夜限りのトーナメント戦であった。

 しかし、今は違う。アメリカでのLFCの成功を見るや、すぐに総合格闘技にも目を向ける。やがて、階級やランキングの制定を行い、日本の総合格闘技界でメジャーな団体のひとつとなっていた。


 現在、Dー1の総合格闘技部門ヘビー級チャンピオンは、格闘マシンことマルコ・パトリックだ。

 マルコは、もともとキックボクシングの選手であった。Dー1キックボクシング部門のトーナメントでも優勝しており、その打撃テクニックは一流といっていい。

 そして今では、総合格闘技の選手として活躍している。シャープな顔つきと筋肉質の肉体、さらにキックボクシング仕込みの打撃技を中心としたスタイルで、古くからの格闘技ファンはもちろんのこと、女性ファンからの支持も集めている。

 しかも現在、総合の試合において敵無しであった。今のところ、九連勝中なのだ。特にハイキックによるKOシーンは、芸術的とまでいわれている。

 また試合中は常に無表情のため、付いたあだ名が格闘マシンだ。実際、その試合ぶりは冷静そのものである。決して熱くならず、クールな表情で対戦相手を追いつめ仕留める……観客に、そんな印象を与えていた。

 次の試合では、世界最強の男といわれたリクソン・クランシーと対決をするはずだった。


 そもそも、アメリカ初の総合格闘技イベントであるリーサル・ファイトにおいて、第一回大会で優勝したのがクランシー柔術を習得したロイス・クランシーだ。

 リクソンは、そのロイスの兄である。柔術をベースにした寝技主体の選手であり、こちらも負け知らずでおる。

 クランシーの一族中でも、最強といわれていたリクソン。四百戦無敗などという触れ込みであり、数々の武勇伝を持つ男だ。もっとも、実際に四百戦無敗かどうかは怪しいものであった。ただし、日本でおこなった試合は全て勝利している。圧倒的な技術の差を見せつけ、ファンの度肝を抜いた。

 特に、超有名プロレスラーである高澤伸弥タカザワ ノブヤ船本将暉フナモト マサキを降した試合は、日本の格闘技界の流れを変えたとまで言われている。

 石川は、そのリクソンをDー1のリングに上げるべく、水面下でずっと交渉を続けていたのである。飲める条件は、全て飲んできた。ギャラも、これまでとは違う額を用意していたのだ。

 マルコVSリクソン……そのカードが仮に実現した場合、石川の読みでは、ほぼ間違いなくマルコが勝つはずであった。リクソンは、今となっては過去の選手である。体格も八十キロ台だ。いかにテクニックが優れていようと、今のヘビー級選手に太刀打ちできるとは思えない。

 一方のマルコは、百九十センチに百十キロの体格である。幼い頃から空手をやっており、キックボクシングに転向後はめきめきと頭角を表してきた。プロのファイターになってからも、KOの山を築く。そんな姿を石川に見出され、Dー1キックボクシング部門へと参戦したのである。

 これまで、空手やキックボクシングといった打撃を得意とする選手は、総合格闘技の場に出るとタックルで倒され、寝技に持ち込まれ何も出来ず敗れる……という無様な姿を晒していた。

 しかし、マルコは寝技を防ぐ技術をしっかりと身に付けていた。組み技主体の選手グラップラーのタックルを防ぎ、仮に倒され寝技に持ち込まれても素早く脱出し、立ち技の攻防に戻す。そのあたりの駆け引きが実に上手い。

 その上、マルコは体脂肪率の低い筋肉質の体で、顔は打撃系の格闘家らしからぬ端正なものである。イケメン格闘家として、女性誌に特集が組まれたこともあった。年齢も二十六歳で、選手としては今がピークであろう。

 そんな昇り調子のマルコを、年末の試合でリクソンと闘わせる。それが、石川の目論見であった。本来の実力を発揮すれば、まず間違いなくマルコが勝つ。そうすれば、Dー1不動のエースとして売り出していける。

 万が一、マルコが敗れたとしても……世界最強の男と言われているリクソンならば、傷は付かない。むしろ、リクソンへのリベンジという今後のストーリーも出来る。どちらに転んでも美味しい話だ。実際、途中までの交渉は上手くいっていた。マルコはもちろんOKしていたし、リクソンもまた条件を呑んでいた。あとは契約書にサインし、マスコミに発表するだけであった。

 ところが、ここに来て突然リクソンが無理難題を言ってきたのだ。ギャラ、ルールの問題、挙げ句の果てには日本ではやらないとも……これでは話にならない。

 計画は頓挫してしまったのだ。




「こりゃあ、どうしたもんかな……」


 石川は、ひとりで呟いた。

 まだ交渉する時間はあるが、今のリクソンにはやる気がない。恐らく無敗の男のまま引退し、次はビジネスの世界に入るつもりなのだろう。マルコの強さを知り、これでは勝ち目が無い……と判断したのかもしれない。


「こりゃあ、どうしたもんかな……」


 頭を抱えながら、また同じ言葉を呟いていた。リクソンをDー1のリングに上げ、世界最強の男を決める。そうすれば、東京ドームを満員に出来たのは間違いない。

 Dー1の名もまた、世界の格闘技界に知れ渡るものになっていただろう。さらに巨額の金が動く上、Dー1そして石川和治の名を格闘技の歴史に残るものに出来たはずだった。

 しかし、リクソンを担ぎ出せないのでは……全ては水の泡である。

 マルコVSリクソン戦の代わりになるような試合を組めればいいのだが、それは非常に難しい。リクソンは本当の実力はともかくとして、話題性だけなら超一流だ。彼こそが世界最強という幻想は、日本の格闘技ファンの間では未だに根強く残っている。

 そこまで話題性のある選手が、どこにいるというのだろうか?



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