ふたりの戦い

「おっちゃんさあ、仮にも世界最強って言われたことのある格闘家なんでしょ! いつまでビビってんのさ!」


 怒鳴りつける唯湖に、黒崎は縮こまっている。普段の威厳ある態度が嘘のようだ。困り果てた表情で答えた。


「そ、それは昔の話だ。だいたい、人には向き不向きがあるだろう」


「もう、往生際が悪い! ほら! ビビってないで行くよ!」


 言いながら、ずんずん進んで行く唯湖の後を、黒崎は慌てて追いかけていく。




 ふたりは今『永石園ナガイシエン』なる遊園地に来ていた。

 ここは、知る人ぞ知る場所なのだ。有名なレジャースポットではないが、一部の人々にはカルト的な人気を誇る。知る人ぞ知る場所なのだ。

 オープンしたのは三十年以上前だが、有名なアトラクションがあるわけでもないし、目玉になるような施設もない。設備は古く、昭和の匂いがぷんぷんしている。実のところ、数年前までは閉園が噂されていたくらいだ。

 しかし、ひとりの有名ユーチューバーに紹介されたことで状況は一変した。園内に漂う独特のユルさがマニアの間で話題となり、あっという間に人気スポットの仲間入りをしたのだ。

 今も園内では、調子外れのBGMが終始流れている。ふたりのすぐそばに設置されている自動販売機を見れば、聞いたこともないようなメーカーのジュースが入っているのだ。さらに、長い耳の付いた青いタヌキのような乗り物が、園内を回っていたりもする。まるで、昭和の時代にタイムスリップしたかのようだ。


 唯湖と黒崎が、なぜこんな場所にいるのか? 

 それは、試合前の約束によるものだった。もし唯湖が勝てたら、ふたりで永石園に行く……この条件を、黒崎は渋々ながらも呑んだ。

 そして唯湖は、一ラウンドKO勝ちという最高の結果を残した。


「いやあ、聞きしに勝るユルさだね」


 辺りを見回した唯湖が、ニコニコしながら言う。すると、黒崎は首を傾げる。


「すまんが、俺は遊園地に来たのは初めてだ。他と比べ、どこがユルいのかわからん」


 真顔でそんなことを言う黒崎に、唯湖はプッと吹き出した。


「何それ。おっちゃんさあ、遊園地に行ったことないの? もしかして世捨て人だった?」


「まあ、似たようなもんだ。若い頃は、全ての時間を空手に捧げていたからな」


 そんな会話をしている両者を、離れた場所からじっと見張っている者がいる。

 言うまでもなく田原だ。ふたりのことが心配である……というより、野次馬根性まるだしで来てしまったのである。一応は物陰に潜んでいるつもりだが、全く隠れられていない。


「おっちゃんの奴、何やってんだよ。全然楽しくなさそうじゃねえか。だいたい、あんた顔が怖いんだよ。もっと笑顔を作れ」


 ブツブツ言いながら、ちらりと後ろを振り返る。

 そこでは、鈴本と大東がいた。相変わらず、人目をはばかることなくイチャイチャしている。田原は、思わず舌打ちした。


「お前ら、何しに来たんだよ。おっちゃんに訪れた春を見守るはずだろうが。このバカップルめ」


 呟くが、当のバカップルには聞こえていなかった。




 一方、唯湖と黒崎はのんびりと歩いている。

 永石園のマスコットキャラであるデビルニャンの着ぐるみが、園内をのっしのっしと偉そうに徘徊していた。二足歩行の黒猫の背中に蝙蝠こうもりの翼を付け、腰にはベルトを巻いている……という何ともおかしな出で立ちだ。可愛いげはないが、それでも客からスマホを向けられるとポーズを取ったりしている。 

 そんな中、黒崎は常に唯湖の左側を歩いていた。おそらくは、彼女の左腕が人目につかないように……という配慮なのだろう。一見すると無愛想で強面こわもて、とっつきにくい印象だ。しかし、その奥底には大きな優しさがある。熱い心もある。

 そんなことを思っていた時、不意に黒崎が口を開く。


「俺は、五十過ぎたジジイだ。お前の父親といってもおかしくない年齢なのだぞ。それに、お前は綺麗だ。俺では、つり合わん……」


 そこで、一瞬言いよどんだ。しかし、意を決したような表情で最後まで言い終える。


「俺には前科がある。刑務所に十年間入っていた。こんな男なんだぞ」


 以前から、ずっと思っていたことなのだろう。前科の存在が、この男にとって大きなかせとなっているのはわかっていた。

 それでも、唯湖は微笑んで見せる。


「あたしだって、ヤク中だったよ。あの頃は、本当に最低で最悪の日々だった。でも、おっちゃんが救い出してくれた。おっちゃんがいなかったら、あたしは今もどん底にいたよ」


 そこで、彼女は言葉を切った。少しの間を置き、そっと言い添える。


「いや、違うね。ヤク中だった、じゃない。あたしは、今もヤク中なんだよ」


 そう、薬物を絶って三年近くなる。しかし、今も記憶は消えてくれない。

 注射器で、薬を血管に打ち込む。そんな夢を見て、夜中に跳ね起きる……月に数回は、そんなことがあるのだ。酒を飲むこともやめていた。アルコールが入り気が大きくなり、再び薬物を始めてしまう事例は多いのだ。

 また、テレビなどで注射のシーンを見ると、髪の毛が逆立つような異様な感覚に襲われる。これが、いわゆるフラッシュバックなのだ。

 そのため唯湖は、伝染病などのワクチンを打つことを拒否している。注射をきっかけに、再び薬物の泥沼にはまりそうな気がするからだ。同じ理由で、献血をすることも出来ない。


(あんたがどんなに強くなろうが、薬物との闘いは一生続くだろう)


 かつて、黒崎が自分に投げかけた言葉だ。

 今ならわかる。その言葉は正しかった。薬物との戦いは、死ぬまで続くのだ──


 その時、黒崎の手が彼女の左肩を叩いた。


「大丈夫だ。何があろうと、俺はそばにいる。お前がまた道を踏み外したとしても、俺は逃げたりなどしない。お前と共に戦い続ける」


 相変わらずの堅苦しい口調だが、真剣さは伝わってくる。この男が、口だけの人間でないことはわかっていた。本気で、唯湖の人生にずっと向き合ってくれるつもりなのだろう。

 思わず涙が出そうになる。


「おっちゃん、ありがと」


 直後、彼女は首を捻る。


「おっちゃんてのも変だね。なんて呼ばれたい?」


「す、好きなように呼べばいい」


 照れたような表情で目を逸らす黒崎に、唯湖はいたずらっ子のような顔つきになった。


「じゃあ、ケンちゃん」


「ケ、ケンちゃん!?」


 素っ頓狂な声を出した黒崎に、唯湖はくすりと笑った。

 直後、そっと振り返る。


「それにしてもさあ、あいつらいつまで付いて来る気なんだろうね」


「あいつら?」


 黒崎もそちらを向くと、十メートルほど離れた位置に、田原がいるのが見えた。尾行がバレたというのに、怯む気配がない。ヘラヘラ笑いながら、手を振ってみせる。恐ろしく面の皮の厚い男だ。さすがの唯湖も、苦笑せざるを得なかった。


「クソ、便利屋の奴め……いつからいたんだ」


 忌ま忌ましげに呟く黒崎の右腕に、唯湖は左腕を巻き付ける。


「いいよ。こうなったら、見せつけてやろうよ」


 言いながら、黒崎の肩にそっと頭を乗せた




 彼女自身が認めている通り、薬物への欲求は完全に消えたわけではない。

 ふとした瞬間、薬物の快感を思い出すことがある。直後、欲望が体の奥底から湧き上がってくるのを感じる。同時に、呼吸が荒くなり鼓動が異様に速くなる。気がつくと、スマホに手が伸びていた。

 そこで、ようやく己のしようとしていることに気づく。必死で己を押さえ意識を薬物から逸らせることに集中し、何とかやり過ごす……今でも、そんな時が訪れる。

 昔なら、その欲求に負けていただろう。今後も、絶対に負けないとは言いきれない。薬物との戦いは永遠に続くのだ。

 でも、今はこの男がいてくれる。寄り添い、同じ道を歩いてくれる。

 そう、今の自分には、居場所がある。愛すべき仲間がいる。共に人生を歩いてくれるパートナーがいる。

 この大切なものを失わないために、これからも戦い続ける──

 

  




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