石川の計算

 都内のオフィス街に建っている高級マンションの一室にて、石川和治は業務をこなしていた。高級感ただよう革張りの椅子に座り、面倒くさそうな表情で目の前にある資料を眺めている。

 横には、部下の柳澤ヤナギサワが控えていた。もともとは道心会館の空手家だったが、引退後は石川の腹心の部下となった男である。同時に、石川のボディガードでもある。


「なあ、この荒川元司ってのは強いのか?」


 軽い口調で尋ねる石川和治に、柳澤は首を横に振った。


「もともとは、武想館拳心道空手の選手でした。高校卒業後、アルバイトをしながら空手を続けていたようです。ところが二十五歳の時、真・国際プロレスにスカウトされたのを期にプロレスに転向しました。その後は、パッとしない前座の悪役としてプロレスラーを続けているようです。ガチのスパーリングは強いって話は聞きましたが、今とはレベルが違いますからね。まあ、マルコの相手にはならないですよ」


「ほう、武想館拳心道にいたのか。だったら、俺の後輩じゃねえか。しかし、荒川なんて奴いたかなあ? こんなゴツい顔の奴、見たら覚えていそうだがな……」


 首を捻りながら、石川は当時の関わりのあった後輩たちの顔と名前を思い出してみた。しかし、記憶にない。

 かつて石川は、フルコンタクト空手団体の一流派である武想館拳心道の支部長だった。独立し道心会館を立ち上げるまでには、かなりの人数を指導している。

 独立してから、石川は才能をフルに発揮し組織を拡大していった。時代の流れもあったのだろう、あれよあれよという間に業界でも最大手の団体へとなっていった。

 今では、古巣の武想館拳心道をも呑み込んでしまいそうな勢いである。




「まあ、いいや。で、他はどうなんだよ?」


 石川の言葉に、柳澤が苦笑しつつ答える。


「後は、ロクなのがいませんね。そもそも応募総数からして、二十人もいない状態です。その中で、まともに試合できそうなのは、ほとんどいませんよ。中には、独学で二十年間拳法を学んでた……なんて奴もいる始末です」


「独学だあ? 勘弁してくれよ。んなもんリングに上げたら、死んじまうぞ」


 言いながら、石川は大袈裟な動きで頭を抱えて見せた。

 事実、昭和の時代には独学で拳法を学んだ……という触れ込みの男が、道場破りに来たこともあった。だが、本当に強かった者などひとりもいない。色帯の一般道場生に倒されてしまうレベルだった。

 この手の人間は、時代が変わっても少なからず存在しているらしい。リングで闘うという以前に、まともに人と競い合ったことがないのだ。わけのわからない本で、妙な技を学んだ挙げ句に強くなったと思い込んでしまう。だが、そんなものは本物の格闘家には通用しない。

 ましてや、マルコと闘おうものなら殺されてしまうだろう。


「無名の選手にチャンスを与えるってのが、Dー1チャレンジのキャッチコピーなんだがな。これじゃあ、下手すると四十五歳のおっさんがマルコと闘う羽目になるぞ」


 ぼやく石川だったが、実のところ既にマルコと闘わせる選手の目星は付けていた。聞いている柳澤も、そのことはわかっている。


「大丈夫ですよ。琴岩竜なら、必ず勝ち上がりますから」


「そう願うよ」


 柳澤の言葉に、石川は渋い表情を浮かべつつ答える。

 琴岩竜コトガンリュウとは……かつて力士であり、横綱も狙える逸材と言われていた若者である。身長百九十センチで、体重百六十キロの恵まれた体格の持ち主であった。その体格と、日本人離れした圧倒的なパワーとで、将来を期待されていたのである。

 しかし、反社会的勢力に属する人間と食事している場面をマスコミに撮られてしまう。結果、謹慎を言い渡されたが、さらに追い打ちをかけるような出来事が起こる。

 繁華街を歩いていた琴岩竜は、そこでパトロール中の警察官に職務質問を受ける。無視して進んでいくも、新手の警察官が現れ周りを囲まれてしまう。どうやら、事前に何らかの情報を得ていたらしい。

 警官の執拗な求めの前に、琴岩竜は半ば無理やり身体検査をされてしまう。その際、所持品の中から大麻を発見されたのだ。

 こうなると、もはや言い訳は出来ない。その場で現行犯逮捕されてしまう。しかも、その模様を周囲にいた野次馬のスマホで撮影されていたのだ。警官たちを前に、必死で言い逃れをしようとする琴岩竜の姿は、あまりにも無様であった。

 裁判は執行猶予の判決で済んだものの、角界が彼を許すことはない。永久追放されてしまったのだ。

 どん底にいた琴岩竜に、声をかけたのが道心会館の関係者である。一月ほど前からコンタクトを取り、密かに交渉していた。結果、Dー1のリングに上がることを承知してくれたのだ。総合格闘技のトレーニングも開始しており、今回の予選がデビュー戦なのである。




 石川も、琴岩竜には期待していた。今回の興行の目玉であり、今後のヘビー級におけるスター候補生でもある。

 実のところ、年末はマルコVSリクソンをメインとし、第一試合に琴岩竜のデビュー戦を考えていたのである。しかし、こうなった以上は琴岩竜VSマルコを大晦日のメインに据えるしかない。

 まず、予選は琴岩竜に優勝してもらい、年末にマルコと対戦させる。ここに変更はない。

 となると、大晦日のキャッチコピーはずばり「再生」だ。罪を犯して角界を追放された男を、Dー1が格闘家として立派に再生させる。

 Dー1チャレンジの予選で優勝した琴岩竜が、試合後にマイクを持ち叫ぶ。


「私は変わりました。誰でも変われるんです! 次は、この試合を見た皆さんが変わってくれることを祈っています!」


 この一言で、底辺を蠢く負け組や昭和生まれの中年たちの心を鷲掴みにするのだ。

 そして年末、トレーニングを積ませてマルコに挑むのだ。ここで敗れても、一向に構わない。琴岩竜には次のテーマが出来るし、マルコは十連勝の記録を達成できるのだ。

 問題は対戦相手だが、その点にも抜かりはない。まず一回戦の相手はムエタイ最強の戦士、ナーク・ギアッソンリットである。タイでは、あまりにも強すぎて対戦相手がいなかったという触れ込みだった。試合を観たが、確かに強い。ミドル級では敵なしなのも頷ける。

 しかし、しょせんは中量級の選手だ。普段は、七十キロ強まで体重を落として試合をしていると聞く。身長は百八十センチあり、普段の体重は八十五キロらしい。ヘビー級の試合に備え、多少は体重を増やしてくるだろうが、それでも体格面の不利は否めない。

 しかも、総合格闘技の試合は初めてである。琴岩竜の相手にはなるまい。もっとも、咬ませ犬としては完璧だ。


 問題は向こう側のブロックだが、これも心配ないだろう。悪役プロレスラーの荒川元司と、古武術家の本田柔像ホンダ ジュウゾウだ。荒川は四十五歳のロートルだし、本田に至っては公式の試合の記録がない。はっきりしているのは、古武術三段の三十五歳であり達人を自称しているという事実だけだ。両方とも、完全な色物である

 どちらと闘おうが、琴岩竜の優勝には変わりないはずだ。後は、いかにして感動的なシナリオに仕上げるか? である。

 そう、今の時代は格闘技にもキャラクターが重視される。さらに、そのキャラが作り出すストーリーも……そのストーリー次第で、興行の出来は決まる。選手個人の強さや技術や試合の善し悪しなど、二の次なのだ。

 そのためには、多少の小細工はする。さらに、必要とあらば判定を曲げさせることもある。

 もっとも、今回は小細工の必要もない。琴岩竜が勝ち、年末にマルコと試合をする。これは間違いないだろう。

 今のところ、全て石川の描いた絵図通りに事が運んでいる。




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