吉田の思い

 不意に、インターホンが鳴った。

 いったい何者だろうか。元司は体を起こし、時計を見る。昼の十二時を少し回ったところだった。

 もう一度、インターホンが鳴った。どうせ訪問販売か、その類いだろう。少なくとも、この時間帯に彼の家を訪れる者などいないはずだ。

 ならば、無視しておこう……と思った次の瞬間、今度はドンドンと扉を叩く音が響く。いったい何事だろうか。


「おい、うるせえよ。あんまりふざけてると、怪我するぞ」


 言いながら、元司は扉を開ける。どうやら、しつこい訪問販売らしい。ならば人相の悪い顔を見せ、追い払おうと考えたのだ。

 しかし、そこに立っていたのは想定外の人物であった。


「よ、吉田?」


 唖然となりながら、元司は呟く。

 目の前にいるのは、真・国際プロレスのエースである吉田勝頼だった。ジャージ姿に苛立ったような表情を浮かべ、元司に向かい口を開く。


「女でも来てんのか?」


 横柄な口調である。一応、吉田は元司の後輩なのだが。


「いや、来てねえよ」


「じゃあ、入らせてもらうよ」


「ちょっと待て。何しに来た──」


 言いかけたが、吉田の顔には不退転の意思があった。元司の言葉を無視し、ずかずか入り込んで来る。元司は、招き入れるしかなかった。




「汚い部屋だな」


 辺りを見回し、吉田は呟いた。この男は、昔からこうだ。先輩も後輩も関係ない、全ては実力次第……そんな信念のもとに実績を積み上げ、団体のエースとして君臨してきた。

 無論、その裏には血のにじむような努力がある。吉田はタバコはもちろんのこと、酒も飲まない。自身で車も運転しないし、食事にも異様に気を遣っている。試合が終われば、体のケアのためのサプリメント摂取やマッサージを欠かさない。昭和のレスラーのように、試合が終われば取り巻きを引き連れ飲み歩く……というようなことは、今までにしたことがない。

 もっとも、プロレスに馴染みの深いマスコミは、吉田を「小さくまとまりすぎ」などと書いている。


「何しに来たんだよ。お前、今日も試合だろうが」


「ああ。だから話は手短に終わらせる」


 そう言うと、吉田は真剣な表情になった。


「モトさん、悪いことは言わねえ。やめとけよ」


「何をだ?」


 とぼけて聞き返したものの、吉田が何を言わんとしているかは理解していた。


「あのなあ、俺は社長から聞いたんだよ。あんた、Dー1でマルコとやるそうだな」


「そうだよ」


「おい、試合で頭でも打ったのか? あんたが勝てるわけねえだろ。四十過ぎたおっさんが、今さら何をする気だよ。怪我するのがオチだ」


 口調はふざけているが、吉田の表情は変わらず真剣なものである。元司は思わず苦笑する。


「別に、勝てるとなんか思ってねえ。ただ、社長に言われたから──」


「だったら、俺がやる。俺がマルコと闘う」


 その言葉を聞いた瞬間、元司はまじまじと吉田の顔を見つめた。だが彼の鋭い眼差しは、元司をしっかりと捉えている。その顔のどこにも、冗談だとは書かれていない。

 絶句している元司に向かい、吉田は一方的に語り続ける。


「今は、あんたらの時代とは違うんだよ。藤吉組のセメント技術が通じるような相手じゃねえんだ。予選の段階すら、クリアできるかどうか怪しいもんだ。だったら、俺が行く」


「お前、バカか?」


 ようやく、元司が言葉を返した。すると、吉田の眉間に皺が寄る。


「んだと……」


「お前こそ、自分の立場を分かってんのかよ? お前は、ウチの看板エースなんだぞ。お前が怪我でもしたら、ウチにとって痛手になるだろうが」


 その言葉に、吉田は黙りこんだ。

 元司の言葉は間違っていない。吉田は、まがりなりにも真・国際プロレスのエースである。これから先、吉田と小杉のふたりを軸として興行をしていかなくてはならない。

 しかし、そのエースが格闘技の試合で敗れたらどうなるか……吉田の評判が高まることにならないのは確かだ。

 格闘技は怖いものである。リングの上では、何が起きるか分からない。まして、マルコのような打撃系は危険だ。ヘビー級の選手は、たった一発のパンチやキックで試合を終わらせることが可能なのだ

 一発のパンチで吉田が倒れた場合、ほとんどの格闘技ファンは、吉田を「弱い」と評するだろう。それがラッキーパンチによるものであったとしてもだ。

 これが打撃の怖さである。どれだけ実力の差があったとしても、たった一発の苦しまぎれに放ったパンチで形勢が逆転することもあるのだ。

 プロレスラーとて、それは例外ではない。どんなに筋肉を付け打たれ強くなっても、ヘビー級のパンチが顎に入れば脳が揺れる。結果、意識が飛んでしまうのだ。意識が飛べば、その時点で勝敗は決する。


 沈黙する吉田に、元司はなおも語り続ける。


「いいか、お前が負けたら会社にとっては痛手だ。ましてや、怪我して入院でもしたらどうなる? お前は今、怪我はおろか風邪を引くことも許されねえ立場なんだよ。それがエースだ……お前だって、分かってるはずだ」


「モ、モトさん……」


 ようやく、吉田が口を開いた。その顔には、複雑な表情が浮かんでいる。

 元司は知っている。吉田は、だいぶ前から総合格闘技の道場に週に一度のペースで通っていた。一般の道場生が来ない時間帯に、個人指導を受けていたのだ。吉田もまた、いつかはこんな日が来ることを見越していた。

 吉田はプロレスの上手さは折り紙付きだが、セメントの腕もなかなかのものだった。エースに昇り詰めるだけあって負けず嫌いであり、身体能力も大したものだ。アマチュアレスリングの経験があり、打撃も上手い。今ならば、セメントの腕は元司に劣らないレベルであろう。いや、打撃の技術なども考慮に入れれば……総合的には、元司よりも上かもしれないのだ。

 しかし、Dー1のリングでマルコと闘い勝てるかと問われれば……それはむずかしい、と答えざるを得ない。


「吉田、お前はウチの大将なんだよ。マルコとやらせるわけにはいかねえんだ。だが、俺は違う。マルコとやって負けても、会社には何のダメージもねえ。仮に怪我しても、興行にはさほど響かねえ……だろ?」


 元司の言葉に、吉田はうつむいた。まるで、一昔前に戻ったような雰囲気である。

 かつて練習生だった吉田に、元司は何度か説教したものだった。その度に、吉田はうつむいていた。人によっては、ふて腐れていると取られるかもしれない態度ではある。

 だが、元司は知っている。吉田はレスラーとしては器用だが、人間としては不器用な部類なのだ。でなければ、わざわざ家まで来たりしない。

 そんな吉田に、元司は静かな口調で語り続けた。


「俺がいなくても、会社は困らない。だがな、お前がいなくなったら会社は困るんだよ。俺は、いわば鉄砲玉だ。だから、Dー1にカチこむ。相手のタマ獲れなくても、撃ち込むだけでインパクトを与えられる。それで充分さ」


 その言葉を聞き、吉田はクスリと笑った。


「わかったよ。だがな、ひとつ言っておく。あんた今、鉄砲玉って言ったがな……どんな銃でも、弾丸がなけりゃあ、ただの鉄の塊だ。あんたに万が一のことがあれば、会社は困るんだよ。小杉だって、高津さんだって困るんだ」


「困りゃしねえよ」


「そう思ってんのは、あんただけだよ」


 そう言うと、吉田は立ち上がった。


「さて、俺もそろそろ帰らないとな。ところで、言い忘れてたけどな、予選は三週間後だそうだ」


「んだとぉ?」


 さすがの元司も、驚愕の表情を浮かべる。準備期間が三週間とは……短かすぎる、と言わざるを得ない。


「あとな、来週の水曜日に記者会見をやるらしいぜ。一応、そのつもりでいてくれ」




 吉田が帰った後、元司はぼんやりテレビを観ていた。無論、内容など頭に入っていない。先ほど吉田に言っていないことがあり、その考えが頭から離れない。

 元司が真・国際プロレスに入団したのは二十五歳の時である。決して早くはないスタートだ。それから二十年、夢中でプロレスを続けてきた。前座の悪役レスラーという仕事を、きっちりと果たしていた。

 そして今、レスラー生活二十年という節目の時期に、マルコ・パトリックとの試合という大一番を迎えようとしている。


 グレート高津は、家庭のためにプロレスを諦め引退する。しかし、自分には家庭がない。四十五歳という年齢まで、ずっとプロレスを続けてきた。

 今までしてきたプロレスラーという仕事、そこに何があったのだろう。世間では、前座の悪役プロレスラーはどんな評価を受けるのか分かっている。少なくとも、子供の将来なりたい職業ランキングで十位以内に入ることはない。

 自分は二十年の間、いったい何をやってきたのか。さらに、自分の存在は何なのか。それを確かめるために、Dー1のリングに上がる。

 そして、マルコと闘う。





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