再会

 翌日の昼、元司は『虎の穴』に来ていた。その顔には、面倒くさそうな表情が浮かんでいる。

 それというのも、昨日の夜から、ラジャがひっきりなしに電話とメッセージをよこしているからだ。まるで、ストーカーのごとき勢いである。

 初めは無視していたが、さすがに我慢できなくなり、電話に向かい怒鳴りつけた。


「てめえ何なんだ! こっちは試合控えてて忙しいんだよ!」


 しかし、ラジャも一歩も引く気配がない。


「その試合のことで話があんのよ! いいから、さっさと来なさい! でないと、こっちから押しかけるわよ!」


 あの巨体に押しかけられては、たまったものではない。こうなった以上、一刻も早く出向かなくては……元司は、店へと向かった。




 やがて店の奥から、ラジャが巨体をゆらして現れた。普段とは違い、ひどく真面目な顔つきだ。


「モトさん、ちょっと来てちょうだい。会わせたい人がいるのよ」


「はあ?」


 唖然となる元司だったが、ラジャはお構い無しだ。元司の手を掴み、強引に引っ張って行く。


「お、おい、どこに連れて行くんだ?」


「いいから、黙って付いて来なさい! 歩いて十分くらいだから!」


「何だよそれ……」


 困惑しながらも、元司は付いて行くしかなかった。




「さ、ここよ」


 ラジャに連れられ、たどり着いたのは公園だった。さほど広くはないが、ブランコや砂場さらには怪獣の顔を模したような巨大な滑り台がある。

 そんな公園の中央には、ふたりの男がいた。片方はまだ若く、恐らく二十代だろう。ジャージ姿で汗を拭きながら、ベンチに座っていた。体はさほど大きくないが、軽薄さと真面目さとが同居しているような、不思議な雰囲気を漂わせている。

 だが、それよりも驚くべき者が横にいた。


「黒崎……あんた、黒崎じゃねえか」


 険しい表情で、元司は呟いていた。様々な感情が、彼の中に去来する──


 ・・・


 黒崎健剛クロサキ ケンゴ

 かつて、武想館拳心道空手の全日本大会に彗星のごとく現れ、圧倒的な強さで初出場にして初優勝を成し遂げた伝説の男である。その後も、全日本大会や全世界大会などで上位に食い込む活躍をして見せた。

 特に、第五回世界大会では……優勝候補と言われていたロシアチャンピオンのイワン・ハシミコフを相手に真っ向から渡り合い、僅かな差の判定で敗れはしたものの、イワンを負傷させ棄権へと追い込んでいる。さらに、この試合で受けた怪我がもとで、イワンは現役を引退したのだ。

 この試合は、今も語り草となっているほど凄まじいものだった。試合に勝ったのはイワンだが、闘いに勝ったのは黒崎……そう評価する者は少なくなかった。さらには、素手の殺し合いなら黒崎こそ最強だ、と主張する者もいた。


 しかし、黒崎はその後に道を踏み外す。

 ある日、テレビのワイドショーに黒崎の名前がでかでかと報道される。川原で若者たちと口論になり、五人を素手で病院送りにしてしまったのだ。結果、殺人未遂と暴行傷害罪で逮捕される。最終的には、懲役十年を言い渡されてしまった。

 当然ながら、空手界からも追放される──


 ・・・


 当時、現役の空手家だった元司は、この男を心から尊敬していた。黒崎こそが本物の空手家だ、と心酔していたのだ。

 しかし、その黒崎が暴力沙汰により破門されてしまったのだ。

 元司は、目標を失ってしまった。何もかもが嫌になり、空手からも遠ざかっていった。

 かつて心酔し、目標としていた黒崎。その男が今、目の前にいる。現役時代と比べるとやつれ、髪もだいぶ薄くなってはいるが……背筋を凍りつかせるような鋭い雰囲気は、昔のままだ。


「荒川元司、か。お前が、プロレスラーになっていたとはな」


 低い声で言いながら、黒崎は元司を見つめる。

 元司は、彼から目を逸らした。胸の中にあるものを、上手く言葉に出来ない。言いたいことは山ほどあるはずなのに、何ひとつ出てこないのだ……。

 その時、ラジャが口を開いた。


「こちら、黒崎健剛さん……って、紹介の必要もないわよね。で、隣にいる若いのは田原草太タハラ ソウタ。便利屋をやってて、色々と協力してもらうから」


 その言葉に、草太と呼ばれた若者が反応する。


「へっ、俺も? 何で俺が?」


「アンタ、どうせ暇でしょ! だったら協力しなさいよ!」


 有無を言わさぬラジャの勢いに、草太はたじたじになっている。一見すると軽薄な雰囲気であるが、人の善さが顔に現れている。きっと、根は真面目な男なのだろう。

 だが、それよりもはっきりさせなくてはならないことがある。


「ちょ、ちょっと待て。協力って何だ? 俺も、協力しなきゃならないようなことか?」


 ようやく言葉が出るようになり、元司はうろたえながら尋ねる。

 次の瞬間、三人の視線が彼に集中した。


「はあ!? モトさん、アンタに協力してもらうためじゃないの! そのために、このふたりに声かけたのよ!」


「協力って、何の協力だよ! わけわからねえうちに話を進めるな!」


「だから、アンタがマルコに勝つために協力すんのよ!」


「えっ……」


 さすがの元司も、一瞬であるが言葉に詰まる。この女(?)は、いったい何を考えているのか。


「この黒崎さんに、モトさんのコーチをお願いしたってわけ。今日は、チーム黒崎の結成記念日よ」


 ラジャの言葉に、元司はようやく我に返る。


「何を考えてんだ? こんな時代遅れのおっさんに、今さら教わることなんかねえよ。まともじゃねえだろうが、こんなの」


 言いながら、元司は黒崎を睨み付ける。だが、黒崎は無言のままだ。口を真一文字に結び、平然とした表情で元司を見返す。

 その態度が、元司をさらに苛つかせた。


「だいたいな、あんた何なんだ? 素人相手に喧嘩して、挙げ句に懲役かよ。どうしようもねえバカだな。あんたなんか、生きた化石なんだよ。あんたから学べることなんか、何もない」


「ちょっと待てよ」


 言ったのは草太だった。顔に怒りをみなぎらせ、元司の前に立つ。

 草太の身長は百七十センチ弱、体重は六十キロもないだろう……にもかかわらず、百十キロの元司を正面から睨み付けている。


「あんたに、おっちゃんの何が分かるんだよ? 事情を知りもしねえくせに、偉そうなこと言うな」


「やめなさい草太」


 静かな口調で言いながら、ラジャが両者の間に割って入る。彼は、元司の方を向いた。


「モトさん、アンタ今まともじゃないって言ったけど……そもそも、まともなやり方して勝てる相手じゃないでしょ。アンタがマルコに勝つ気はないって言うなら、話は別だけど」


 その言葉に、元司はうつむいた。確かに、その通りなのだ。今から、まともな総合格闘技のジムに通い練習をしたところで、マルコに勝つ可能性は十パーセントもないだろう。

 マルコは、総合格闘技のための練習を積み重ねて来ている。練習の量、質ともに元司を遥かに上回っているのは間違いない。年齢も若いし、身体能力も高い。

 そのマルコに対し、今から彼と同じような練習をしたところで……勝負にすらならないであろう。

 そこまで考えた時、元司の頭に、ひとつの疑念が浮かぶ。


 俺は、勝ちたいのか?


 元司は格闘家ではない。格闘技の世界に身を置いていたが、今はプロレスラーだ。試合で勝つことに意味はない。

 では、何のためにDー1のリングに上がるのか。社長のライアンは、会社の宣伝のためだと言っていた。

 では、勝つ必要などないのではないか?


 違う。


 宣伝のため、だけではない。また、単純な勝ち負けでもない。これまで自分が何をやってきたのか、それを確かめるためだ。

 そのために、Dー1のリングに上がる。


 その時、肩を叩かれた。顔を上げると、目の前に黒崎が立っている。鋭い目付きで、元司を見つめる。


「どうするか、早く決めてくれ。俺はともかく、便利屋は暇ではない」


 言いながら、黒崎は草太を指し示す。草太は不満そうな顔で、こちらを見ている。

 次いで、ラジャがにっこり微笑んだ。


「もちろん、アタシも協力するわ。まともじゃない連中が集まって、世界最強の男に挑む……これって、最高にそそられるシチュエーションじゃない?」






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