第57話 工房

 無機質な術の明かりとヴァロワレアンの背を頼りに私は闇に沈む地下通路で歩を進めていた。


 臭気が強くなってきている。


 吐き気と頭痛を催すそれに私は顔を顰める。


「……空気を替えられないし、清掃も完璧には難しい……臭いは少し我慢して欲しいね……」


 ヴァロワレアンの言葉と共に厭な予感は瘴気が濃くなる程にどんどん大きくなり確信に近づいていく。


 やがて、両側の壁が消えて空間がひらけた。


 低かった天井も高くなったようだった。


 少し歩いたところで私の胸の辺りから突然に光の球が飛び出し、私の頭上で強い光を放ち周囲を照らし出した。


 そこは簡素な部屋になっていた。


 開けた空間に拘束具らしき金具がついた石造りの寝台が佇んでいる……


 しっかりと清掃されているようで埃もなく、一見綺麗に見えた。


 しかし……そこには隠しきれない程に染み付いた死臭が満ちていた。


 私の意識に突然イメージが流れ込んでくる。


 痛み、血、叫び、悲鳴……


 そんなイメージが押し寄せてくる……


 あまりの強烈なイメージに意識が飲み込まれる。


 私はいつのまにか這いつくばり、嘔吐していた。


 先程まで飾られて盛り付けられていた私を楽しませた食材達が逆流し私を苦しめる。


 その間にもイメージは洪水のように押し寄せてくる。


 私は苦鳴を漏らしのたうった。


 長い時間が経ったのか、はたまた一瞬か……


 こんな経験は初めてであり、"戻って来れた"ことが奇跡だと思えた。


 意識は保てたが、今度は自分の状況がわからず私はパニックを起こしかける。


『気をしっかりお持ちなさいっ!!』


 レインフォルトの一喝が狂乱から私を引き戻す。


『すみません、私の影響でここに淀み残留する死者の意識が流れ込んできたようです……」


 レインフォルトが詫びる。


「しかし……麻酔も無しであのような……酷なことをしますね……」


 レインフォルトの言葉を聞いて、私は先程流れ込んできたイメージが、ここで起こった幾多の惨劇の犠牲者達の思念だと理解する。


 彼らは生きながらに…….


 そこでようやく冷静さを取り戻し、自分の状況を把握する。


 私はヴァロワレアンに抱き起こされていた。


 彼の気遣う視線に対し私は憤怒を込めた視線を返し、腕を跳ね除けてよろけながらも剣を杖代わりにして立ち上がる。


 涙に霞む視界、呼吸は時折詰まり浅い。


 頭痛も酷く、私は前髪をかきあげ左手を額に当てる。


 口内を満たす嘔吐後特有の鼻を刺すような匂いと、辺りを覆う異臭が混ざり合って最悪の気分だ。


 しかし、それを凌駕する程に私の心は怒りで埋め尽くされんとしていた。


「ヴァロワレアン卿……あなたはここで……なんてことを……!!」


 私は声を絞り出して、剣の柄を握り締める。


 私の様子がおかしいと判断したアンナがハルパーを手に私に襲いかかってくるのを音と気配で察して体を反転させて突き出されてきた鎌状の刃を受け止める。


 聖騎士団で受けてきた剣撃に比べれば軽い。


 素早く鋭い一撃だったが、今のコンディションでも受け止めることができた。


 次の瞬間、私とアンナの間に炎が沸き起こる。


 アンナは慌てて私との距離を取る。


 私のすぐ近くで炎は蠢き文字と図形を形作っていく。


 不思議なことに火傷もしていないし、トラードの時と同じで熱どころか、寒気すら私は感じていた。


 やがて空に虚が開き、私とアンナの間に巨大な化け物がその姿を現した。


 トラードの街で現れた化け物は、片腕と何本かの脚を失っていた。


 さらに狭い場所に現れたためロクに身動きが取れないようだった。


 ただ、アンナと私達の分断は完璧と言える形でできていた。


『サイラス……判断はあなたにお任せします……存分に暴れてください』


 レインフォルトの言葉に、フレッシュゴーレムは悍ましい声で吼えた。

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