第29話 禁断の書庫
静寂の満ちる闇の中、机の上に置かれた携帯用の燭台の燈を頼りに男は本のページを捲り綴られた文字の羅列を目で追っていた。
首筋に見える痣が、かつて教皇がアーデルハイムと呼んでいた男であることを無言で物語っている。
しばらく男はそうしていたが、不意に視線を上げて読んでいる本を閉じて立ち上がり、燭台を持って歩き始める。
靴音が反響する。
男の行く手に照らし出されるのは立ち並ぶいくつもの書架と、延々と広がる深い闇。
やがて男の視線の先に上から差し込む明かりが目に入ってくる。
この広大な地下空間に空気を取り込むためのもので、そこかしこに点在している。
壁際には地下水脈につながる穴がいくつも空いており地下でもある程度は空気が流れる仕掛けが設えられている。
書物の保管には適度な風通しが重要でもあるし、人が滞在する為には必要な配慮だ。
通気孔の周囲には書架は配置されていない。
雨が少ない地域のため、このような形式で基本的に問題はない。
数年に一度程度来る嵐の際は通気孔にピッタリと嵌まる石の蓋をしてまわっているようだった。
ここはかつて聖都が幾度も戦場となっていた頃に作られた避難用の地下通路の内の一つを拡張し、書庫として利用している場所だ。
非常に強固な岩盤の層と比較的脆い層が交互に重なり、さらに時折強固な岩盤が地下深くまで貫いている箇所があるような特殊な地形だからこそ作れた空間だ。
戦乱の時代、この辺りの街では聖都に限らず権力者達がこぞってこうした地下通路を作った。
そのため教圏内の至る所を地下通路が縦横無尽に走っている。
しかし、そうしたことを知る者は少ない。
所在の知れた避難路など戦争では潰されて然るべきものだ。
それゆえにこれらの存在は秘され、帝国はおろか教会すら未だに全容を把握出来ていない。
知る者が少なく混沌とした数多の地下空間……そのことを利用してここは作られた。
誰が呼んだのかわからないがここはこうよばれている……"禁断の書庫"と。
男はいくつかの通気口と延々と立ち並ぶ書架を通り過ぎて少し大きめの穴の真下に立って差し込む明かりを仰ぎ見る。
鉄格子の嵌った切り取られた空を男が見ていると、一羽の何かを咥えた鴉が格子のつけられた穴を覗き込んでくる。
鴉は蝋燭の燈に照らし出された男の姿を認めると、咥えている何かを落とし、一つ鳴いて飛び去っていく。
男は足元に落ちたそれを拾い上げる。
それは折り畳まれた紙片だった。
男は器用に紙片を空いている片手で開き、少しの間目を通すと、持っている蝋燭の燈に紙片を近づけて火を点けて放る。
小さな紙片は宙を舞いながらあっという間に燃え尽き、灰となって散り落ちた。
「ようやく帝国が動き始めましたか……私もそろそろ備えねばならないようですね……」
男の呟きは誰の耳にも届くことなく闇に溶け消えた。
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