第3話「だんまり」

「いやほんとごめん」

「信じらんない! いきなり口の中覗き込むとか! 何考えてるのよもう!」

 顔を真っ赤にしてわめく少女の生首を前に、青年は自主的に床の上で正座しながら頭を掻いた。興味を抱くと後先考えずに行動を起こしてしまうのは、我ながら悪い癖だなと思う。夏の浜辺で、暑いからと服を着たまま海に飛び込んだこともあったなと思い出す。まあ、その時は自分より先に泳ぎ始めた仲間がいたのだが。

「それであなたは――」

浩也ひろや

「はい?」

「俺の名前。由比 浩也ゆい ひろやっていうんだ。君は?」

 生首少女が面食らったように目を瞬いた。

「ほんとあなたってばマイペースよね。見た感じ、私よりも年上みたいだから、由比さんって呼んだほうがいいのかしら」

「いや浩也でいいよ。仲間からはヒロって呼ばれたりすることもあるね」

「わかったわよもう。私は……」

 少女の言葉は続かず、しばし視線を彷徨わせて、もごもごと口を動かしながら黙り込んでしまった。浩也と少女以外には色の無い部屋に、しんとした静寂が染みる。

「言いたくないなら無理しなくても」

「違うの、ちょっと待って。私の名前……」

 少女は眉根を寄せながら浩也を見上げた。

「自分に名前があることも、本当はちゃんと首から下の身体があったことも覚えてるの。それなのに、肝心なところが頭の中から抜け落ちてしまってるのよ」

「うーん、身体と一緒にどこかへ置いてきちゃったのかなあ」

「その表現はどうかと思うけど、でもそうみたい」

 少女は尚も頭の中から自分の名前を引き出そうと、視線をあちこち巡らせている。

「なら仕方ないね。見つかった時に教えてくれると嬉しいな。あ、でも、呼ぶ名前がないのはちょっと不便かも」

「今のところ、話す相手は私しかいないんだし、困らないんじゃないかしら」

「そうだな、『まりの』ってどう?」

「人の話を聞いてるようで聞いてないわねあなた。もうなんでもいいわ、まりのでもマリモでも好きに呼んでちょうだい」

「じゃあよろしく、まりのちゃん」

 嬉しそうに言う浩也に、まりのは呆れ気味にため息をついた。



「そういえばここ、どこなんだろうね」

「まず最初に考えるべきはそこだったと思うの」

 部屋をきょろきょろと見回す浩也に、まりのは何度目かわからないため息を零す。

「ねえ、良ければ私を抱えてくれない? 部屋の中を見渡してみたいの」

「あ、そういえばそうだね」

 浩也はひとつ頷いて、まりのを抱えてゆっくりと室内を一周してみせる。胸のあたりで抱えられた視界は、いつも見慣れた高さのように感じられた。だからおそらく自分は、このくらいの背の高さなのだろうとまりのは思う。だとすると、この浩也と名乗る青年は随分と背が高い。

 部屋の中は壁も床も天井も真っ白で、四面ある壁のうち一つに、やはり真っ白な扉らしきものがある。室内に唯一置かれているのはベッドだけ。そのベッドも、枕やシーツに至るまで全て白い。

「何かここ、脱出ゲームの画面みたい」

「脱出ゲーム? なあにそれ」

「知らない? 仕掛けられた謎を解いて、部屋から脱出するってゲーム」

「なにその意味不明なゲーム。部屋を出入りするのにいちいちそんなことしてたら面倒じゃない」

「まあゲームだし」

 浩也が試しに扉のノブを動かすが、ガチャガチャと音がするばかりで開きそうもない。

「見た感じ、ドアに鍵らしきものはついてないわね」

「あ、思い出した」

 浩也は、まりのの頭を左腕に抱えたまま、右手でベッドのシーツを捲り、枕を横によける。すると、先ほどまで枕が置いてあった場所に、手のひらほどの大きさの箱が置いてあった。

「やっぱりそうだ。これ、『エスケープ・ザ・ルーム』の冒頭に出てくる部屋と同じなんだ」

 隠すように置かれていた小箱には星型の記号が描かれていて、その横に三×三の九マスが並んだ正方形のボタンがついている。

「これがあなたの言う脱出ゲームの仕掛けなの?」

 星のマークと九つのボタン。これを一体どうすればよいのだろう。

「星って英語でスターっていうでしょ。そこにTを足せばスタートになる。だから、この場合はボタンをTの字になるように押せば……」

 浩也が小箱のボタンをぽちぽちと押すと、扉の方でガチャリと音がした。

「ほら開いた」

「なるほど脱出ゲームって、そういう感じなのね」

「懐かしいなあ。オーニラムさんの作る脱出ゲーム、大好きでシリーズ作品をよくやりこんだんだ」

 そう言いながら浩也は、先ほどまで自分を縛めていた手錠を床から拾い上げるとジーンズのポケットに入れた。

「手錠なんてどうするのよ」

「ここが脱出ゲームの中なら、もしかしたら今後、この手錠が必要になる場面があるかもしれないからね」

「そういうものなの?」

「そういうものだよ。じゃあ、脱出ゲームを始めるとしよう」

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