第30話「雲壌/天地」
目を開くと、そこは白い天井の部屋だった。左を見ると点滴のパックがぶら下がっていて、反対側からは規則正しく刻まれる電子音が聞こえる。どうやらここは病院の一室らしい。視界がぼやけているのは眼鏡を掛けていないからだろう。いつも眼鏡を置いてる枕のあたりを右手で探ろうとして、はたと気付く。――右手?
「あっ……、目を、覚まされました」
声のした方に顔を向けると、看護師が慌てた様子でたった今入ってきたばかりの扉から外へ出て行った。そして、入れ違うように勢いよく部屋へ入ってきたのは、ひどくやつれた姿の――、
「おかあ……さん?」
寝起きだからなのか、声が掠れてうまく喋れない。
「嗚呼、よかった……。もう二度と目を覚まさないかと……」
母親は私の手を両手で握りしめると、堰を切ったように泣き出してしまった。
どうやら私は、一か月ほど前に通学途中に道端で倒れていたところを発見されたらしい。身体のどこにも異常はないのに脳は植物状態になっていて、もしかしたらもう二度と目を覚まさないかもしれないと、医者から告げられていたそうだ。つまり私はその間、首から上だけになって
まるでタイムスリップしたような気分だった。その間に何か変わった事はあるかと母親に尋ねてみたら、どうやら関西の方で大きな地震があったらしい。
『正確な年は忘れちゃったけど、今から十四、五年くらい前に関西で大きな地震があったよ』
私は浩也の言葉を思い出す。もしかしたら――
* * *
ここは都心の、とある有名ゲーム会社のオフィスビル。人気シリーズのゲームのポスターや、見知ったキャラクターの等身大パネルが並ぶエントランスを抜け、会議室のひとつに案内された。ミュージシャンとして、レコード会社の会議室に出入りしたことは何度もある。しかし、普段ゲームを「遊ぶ側」の浩也にとっては、まるで天地を隔てた別世界のようで、こんな場所にいる自分がひどく場違いのように感じられた。
「お待たせしました。今回のプロジェクトを総括する、
「あっ、どうも初めまして。
挨拶をしようと立ち上がって、そこで浩也の動きが止まる。会議室に入ってきたのは、浩也と同い歳くらいの女性だった。童顔ながらも落ち着いた色合いの服を着こなす姿は、いかにも仕事のできる女性という印象だ。しかし、赤い縁の眼鏡、頭には、椿の花を模した髪飾り……
「あれっ、えっ? まりのちゃん?」
「やっ……と、会えたあ」
玲子は大きく息を吐きながら、へなへなとその場に座り込んでしまった。
「目が覚めたら病院で、私はずっと植物状態だったって両親に泣かれたの」
世にも珍しい喋る生首じゃなくてほっとしたけれど、やっぱり私と浩也がいた世界は別だったとがっかりしたわ。そう玲子は語る。
「でも、私が意識を失ってる間に関西で大きな地震があったと聞いて、もしかしたらと思ったの。私と浩也、違っていたのは時間かもしれないって」
「俺にとっては十数年前の出来事が、まりの……大谷さんにとっては未来の出来事だった?」
「まりのでいいわよ。あなたが好きだって言ってた脱出ゲーム、『エスケープ・ザ・ルーム』の作者って、実は私なの」
「だって作者はオーニラムって……あっ!」
驚く浩也に玲子は笑顔で頷いてみせる。MARINOを逆から読んでONIRAM、つまりそういうことだ。
「未来のあなたが、そして過去の私があの『うさぎの穴』の世界を脱出できるように、あの時のことを思い出しながらゲームを作ったの」
記憶力には自信があったし、それに、私とあなたの時間が交わることがなかったとしても、あの時の冒険を忘れないように――。
「じゃあ、まりのちゃんにどうしても聞きたいことがひとつあるんだけど」
「……
「えぇー、そんなぁ」
「なんでそんなガッカリするのよ!」
* * *
「こほん、じゃあ仕事の話をしましょう?」
玲子が浩也に手渡したのは新作ゲームの企画書だ。時間移動できるキャラを操って未解決事件を追っていくアドベンチャーゲーム。何通りもルート分岐とエンディングがある、なかなか遊びごたえのありそうな内容だった。
「あなたにはメインテーマ曲を担当してもらいたいの」
「なるほどね。ゲーム製作に関わると、思いっきりネタバレ踏むことになるんだなあ」
ヒロインがそんなまさかと頭を抱える浩也を眺めて、マイペースなのは相変わらずだと、玲子はくすりと笑った。
「俺さ、曲作る時って最初にタイトル決めちゃうタイプなんだ」
「曲のタイトル?」
「そう、そこからイメージ膨らませてメロディとか作っていくんだよ」
「作曲って、人によって色々なやり方があるのね。じゃあ、このゲームのメインテーマ曲はどんなタイトルになりそう?」
玲子の問いに、浩也はしばし視線を彷徨わせる。玲子の頭を飾る、赤い椿が目に留まった。
「そうだなあ、『
挿頭花タイムライン サンレイン @sunrain2004
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