第27話「物語」

 まりのは一瞬、ホワイトマンが現れたかと焦った。しかし、どうもそうではないようだ。剣と魔法の物語に出てくる、吟遊詩人のような装束に身を包み、背にギターを背負ったその男の人は、右頬に三つ並んだホクロが印象的だった。

 まりのは彼と目が合ったように思えたのだが、まりのが見えていないのか、ぐるりと周囲を伺ってから、ステージを降りてきた。

「不思議な場所だな。でも、なんだろう? 俺はここを知ってる気がする」

 男がぽつりと呟くと、まりのの頭の後ろでガチャンとガラスの割れる音が響く。

「ねえ、何かあったの?」

 振り返って確かめることもできない自分をもどかしく感じながら、まりのは浩也ひろやに向けて声を掛けるが返事はない。

「ちょっと、ねえ、どうしたの?」

 まりのの目の前で、男はしばらく室内を眺めてから、ステージ脇にある扉に向かって歩き出す。

「待っ……!」

 浩也の酷く焦った声と共に、更にガラスの割れる音がする、後ろで一体何が起こっているのかわからないが、浩也が勢いよく飛び出してきた。

「待って! 行かないでっ!」

「ねえちょっと、一体どうしたっていうのよ?」

 男はこちらを認識していない。浩也の声も聞こえていないようなのだが、ほんの一瞬だけこちらに目を向けて、そして扉の中へと入っていってしまった。

「直斗君っ!」

 勢い余ってなぎ倒したバーチェアに躓きながら浩也が扉に取り付いたが、ドアノブはガチャガチャと空回りするばかりで開かない。浩也は扉の向こうに向けて呼びかけながら、力任せに扉を叩いている。

 今までずっと、知らない場所で、手錠に繋がれたまま目が覚めた時だって、どこか的外れなことを言いながら余裕の態度を崩したことがなかったのに。こんな必死な浩也の姿をまりのは見たことがなかった。

「頼むから! ここを開けて!」

 浩也が扉を叩くたびに、赤いまだら模様が増えていく。それが浩也の手から滲む血だと気づいたまりのは、あわてて制止の声をかける。

「ちょっ……、ねえもうやめて! 手が壊れちゃう!」

 しかし浩也は扉を殴る手を止めない。このままでは浩也の腕が折れてしまいそうなほどだ。


っ!」


 まりのに名を呼ばれて、はっとしたように浩也の動きが止まる。ゆるりと首を巡らせてまりのの方を見た浩也は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。


  * * *


「直斗君は、うちのベーシストで、俺をバンドに誘ってくれた、恩人で……」

 浩也は俯いたままぽつぽつと語る。

「俺より、俺なんかより……、会いたいだろうに……、どうして」

「さっきのひと、直斗さんっていうのかしら。とても……、大切なひとだったのね」

「うん……」

 まりのの言葉に、浩也は俯いたままこくりと頷いた。

 浩也があそこまで動揺したことから考えて、おそらく彼は――、この世の人ではないのだろう。彼は「俺はこの場所を知ってる気がする」と言っていた。そして浩也は「第二の故郷」と言っていた。この部屋はきっと、人の心の拠り所が、『思い出』が形になって表れる場所。だから浩也はこの『うさぎの穴』の異世界で、ほんの一瞬、奇跡のように彼とすれ違えたのかもしれない。

 それなら自分は? もはや帰るべき場所も思い出せない自分は、このままゴールまで辿り着いても、きっと何処へも行けないだろう。でも浩也は、浩也だけは元の世界へ帰ってほしい。その姿を見届けられたなら、きっと満足して成仏でもなんでもできるはずだ。

「ねえ浩也、顔を上げて、立ち上がって。私たちはまだ、先を目指して歩いていけるわ」

 その言葉に、浩也は驚いたように目を瞬かせてまりのの顔を見た。

「まりのちゃん……」

「なっ、なによ。私だってちょっと、クサいこと言ってるなって思ってるわよ」

「俺の事、初めて名前で呼んでくれたね」

「そこぉ?」

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