第12話「湖」

「ううっ……、ひどいめにあったわ」

「足の届く高さで助かったよ。さすがに、まりのちゃん抱えて泳ぐのは大変だなと思ってたからさ」

 床に青空が広がり天井に水面が波打っていた前の部屋では、仕掛けを解いたこと天地がひっくり返り――元に戻ったともいうが――、その水面に飛び込むことで次の場所へ行くことができた。しかし二人とも頭からずぶ濡れになってしまった。ばしゃばしゃと水音を立てながら岸に上がる。なくさないようにと浩也ひろやに眼鏡を預かってもらっているので、まりのは視界がぼやけて周囲の状況が殆どわからない。口に入った水は塩辛くなかったから、ここは池もしくは湖なのだろう。

 浩也は岸にあった大きな石の上にまりのの頭を乗せ、それから、脱いだシャツを絞ってまりのの顔を拭い、髪の毛を整えてやった。眼鏡もシャツで簡単に拭いてからまりのにかけてやる。

「んっ、ありがとう。それにしても何というか、手慣れてるわね。まるで美容師さんみたい」

「バンドで食えなかった時の為に資格は取っておけって、姉さんに言われてたからね」

「あなた、美容師だったの?」

 まだ少し眼鏡に水滴がついているのが気になるが、視界が戻ったまりのが見上げると、そこには切れ長の目をした美男子が立っていた。

「……えっと、どちら様?」

「やだなあ、俺は浩也だよ」

 そう言いながら前髪を下ろして見せると、いつもの浩也が現れた。そういえば最初の部屋で「変な人に執着されることが多かった」と言っていたが、なるほどこの美形ならば納得だとまりのは思った。

「……何かこのやり取り、前にもやったことある気がするなあ」

「あなた、前髪上げると随分と印象が変わるのね」

「それはよく言われる。マネージャーさんにはライブの時は髪上げてくれって言われてさあ、でも小さい頃はクラスメイトから目が怖いから隠せって言われて、一体どうしろっていうんだよなあ」

 困ったように笑いながら浩也は絞ったシャツを着直した。

 さっきから、前髪を上げたらとんだ美形だったり、美容師だバンドだと、浩也について初めて聞く話ばかりで、まりのの理解が追い付いていかない。浩也はただのゲーム好きの青年という訳ではなさそうだ。

 そして、一つ言えるのは――

「ねえちょっと、バンドって何? あなたって美容師なの?」

「待てよ、これでバーテンダーもやったら『彼氏にしちゃいけない3B』をひとりで制覇できるぞ」

 一つ言えるのは、浩也はとことんマイペースだということだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る