第11話「坂道」
「目の前にホワイトマンがいた時はさすがに焦ったねえ。まあ、通路が切り替わってすぐの硬直時間があったおかげで何とかなったけど」
「まったく心臓に悪いわ」
首から上しかないまりのに心臓があるのかと
「危ないっ!」
まりのが叫んだ。
ドアの向こうは、床があるべき場所に、白い雲がたなびく青空が広がっていたのだ。
「ああこれ? 大丈夫」
顔を引きつらせるまりのを抱えたまま、浩也は青空へ足を一歩踏み入れる。だが、二歩三歩と進んでも空へと落ちる様子はない。まるで空を飛んでいるようだ。
「えっ……」
「へえ、床にガラスが張ってあるのかと思ったんだけどそういうわけじゃないんだ。ゲームの中では普通に歩いてたから大丈夫だと思ったけど、……うわ、今さら怖くなってきた」
「ちょっとお!」
「まあまあ、何ともなかったんだし。それよりほら、天井も見てみなよ。不思議だよねー」
浩也がまりのの頭を上に向けると、天井には水面が波打っていた。まるでだまし絵のように天地をひっくり返した風景。四方を囲む群青色の壁のおかげで、ここがかろうじて室内だと認識できる。
部屋の真ん中には空から水面――正確には床から天井だが――に向かって人が一人通れるほどの坂道が続いていた。ただしその傾斜はかなり急で、坂道というよりも滑り台と言った方がいいかもしれない。
足元の空では、雲間に赤い花びらが舞っているが、よく見るとそれは花びらではなく、無数の真っ赤な金魚が悠々と泳いでいた。浩也にとってはゲームで見慣れたはずの風景だが、こうして実際に目の当たりにしてみると、随分と印象が違って見えるものだなと、感心しながら周囲を見回す。
「さてここは、この坂道を階段状に変化させるか、床と天井を文字通りひっくり返して坂道滑り台ゴー! シューッ! するかの二つの方法があって……、ねえ、まりのちゃんどうかした?」
この部屋の様子を見て、急に黙り込んでしまったまりのに浩也が声をかける。まりのは、浩也の足元に広がる空を見下ろしながらぽつりと言葉を零した。
「……私、この場所を知ってるわ」
* * *
「私ね、小さい頃から、ここではないどこかの景色が、『視える』の」
「それって、どういうこと?」
壁に埋め込まれたパネルを押しながら、浩也が聞き返す。
「何もないところに、こう……、破れた障子紙を覗き込むみたいに、別の世界の様子が視えるの」
ファンタジー世界を舞台にしたゲームで描写される、次元の裂け目みたいなものだろうかと浩也は想像を巡らせながら、開いた扉の中にある石板の欠片を取り出した。
「『不思議の国のアリス』では、時計を持ったうさぎが入っていった穴の先には不思議な世界が広がっていたでしょ?だから、私はそれを『うさぎの穴』って呼んでたの」
「ちゃんと読んだことはないけど、確かトランプの兵隊とか出てきたやつだよねそれ」
浩也の言葉に、まりのは肯定するように顎を動かす。
「小さい頃は誰もが『うさぎの穴』が視えるものだと思ってたから、親や友達に話をしたわ。他の人は一体どんな『うさぎの穴』を視てるのか、知りたかったの。でも……」
他の誰も、そんなものは見たことがないと言う。それどころか、周りの人から嘘つきだと言われて、面白い作り話ねと、親も信じてくれなかった。
「あなたの事も、『うさぎの穴』から見つけたのよ。手錠で縛られてぐったりしてるから、助けなきゃと思って――」
浩也は抱えたまりのの頭をちらりと見る。自分を助けようと『うさぎの穴』めがけて首を突っ込んで、気が付いたら首だけになっていたということだろうか。浩也が別面の壁にあるダイヤルキーの数字を揃えると、壁の一部が開いて、中から色の違う石板の欠片が出てきた。
「そっか、俺の事助けようとしてくれてたんだね、ありがとうまりのちゃん」
「……私の話、信じてくれるの?」
「信じるよ。だって――、あっ」
「どうしたの?」
「もしかして、この脱出ゲームを作ったオーニラムさんも、まりのちゃんと同じように『うさぎの穴』から異世界が視えるひとなのかも!」
浩也の言葉にまりのは目を瞬いた。
「オーニラムさんは他にもいくつかゲームを作ってるんだけど、どれも不思議な世界を舞台にしたものばかりなんだ。ヤバな薬でもキメてるんじゃないかとか色々言われてるんだけど、そっかあ」
できることなら会って話をきいてみたいな、そうだ、自分は『エスケープ・ザ・ルーム』の世界に行ったことがあると話をしたら向こうはどう思うだろうかと、浩也は嬉しそうに話ながら……、石板の欠片を壁に嵌め込んでいく。
「私もその人に会ってみたいわね。それと――」
信じてくれてありがとう。まりのは口の中で小さく呟いた。
「さて、まりのちゃん」
「なっなに?」
「階段下りて湖に飛び込むのと、坂道滑り下りて湖に飛び込むのとどっちがいい?」
「どっちも嫌っ!」
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