第16話「面」

 黒猫の置物から入手した鍵で開いた部屋は、劇場の控室のような場所だった。正面には三面鏡付きの化粧台、両脇にはクローゼットの扉、棚には色とりどりのパンプスが並び、煌びやかなドレスがトルソーに着せられ化粧台の横に立っていた。ここはおそらく、貴婦人が身支度を行うためのドレッシングルームというやつだろう。

「奥は確かシャワールームになってて……、あっ、お湯が出る! ねえまりのちゃん、この部屋の謎解きは一旦置いて、俺ちょっとシャワー浴びたいんだけどいいかな」

「そうね、さっきから濡れたままだったものね。私のことは……、あの鏡台の上に置いといてくれていいわ」

「……まりのちゃんも一緒にシャワー浴びる?」

「ちょっ、馬鹿なこと言ってないでさっさと浴びてきなさいよっ!」



 奥の方から聞こえるシャワーの音がどうにも落ち着かない。まりのは気を紛らわすように、鏡に映る自分の顔をじっくりと見た。茶色の髪、赤い縁の眼鏡、少し吊り上がった目にやや太めの眉毛――、

「私って、こんな顔だったんだ」

 まりのはぽつりと呟いた。

 とりあえず、肌の色が緑だったり耳が四つあったり角が生えてはいなかったので、ほっとした。けれど、これまでに何度も見ているはずの自分の顔が、まるで今初めて見たように感じられた。

『うさぎの穴』の向こうに捕らわれていた浩也ひろやを見つけて、この『脱出ゲーム』だという場所で首だけの姿になってから、自分に関する記憶がどんどん薄れてきている。最初は自分の名前が出てこなかった。今は両親の顔も思い出せない、そういえば、私を嘘つきだと揶揄ったクラスメイトはどんな顔をしていたっけ?

 浩也のいない、一人で過ごす時間ができたことで、余計なことばかり考えてしまう。もしかしたら、本当の自分は『うさぎの穴』に飛び込んだ時に、死んでしまったのではないか――、

「おまたせー」

「ひゃんっ!」

 考え事に没頭していたせいで、浩也がすぐ近くまで来ていたことに気付かなかった。鏡越しに見る、濡れ髪をタオルで拭く浩也の姿は何というか、その、目のやり場に困った。

「次はまりのちゃんの髪やってあげるよ」

 そう言いながら、浩也はまりのの髪をタオルで拭いて、化粧台に置かれていたブラシできれいに整えてくれた。先ほどまでの、お化け屋敷に置かれた晒し首のようなざんばら髪から、随分ときれいになったものだと感心する。

「うーん、専門学校時代を思い出すなぁ。ウィッグ相手にヘアアイロンかけたりカーラー巻く練習してさあ」

「ウィッグ? カツラのことかしら」

「この場合は練習に使う、首から上だけのモデル人形のことだね。ウィッグとかマネキンとか呼んでた」

 もしかして、浩也が首だけのまりのを見ても大して驚かなかったのは、そういうことだったのだろうか。

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