第13話 義妹①

 目が覚めると朝の四時過ぎだった。最近は朝が早い。カーテンが薄いから日の光が眩しい。暗幕を買ったほうがいいかもしれないと思いつつ、早起きできるのはいいでしょうと自分に言い聞かせる。

 心臓の音が聞こえる。ゆっくりとした音、柔らかい体毛、体温が心地良い。

 リザと目が合った。カードをポチポチしている。ニュースを見ているようだ。

「……ニュース?」

「情報は命よねー」

 ぼくもカードを探して手をさ迷わせポチポチ指で弄る。通販サイトでドーム状の暗幕を発見。詐欺では無いことを確かめて買う。

「もう起きるの? もう少しこうしてなよ」

 背中に手が回って来る。

 寝起きのほんの少し間だけ、その間だけは心穏やかでいられる。もう目が冴えてしまった。

「……もう起きるよ」

「えー……もっとお姉さんに甘えればいいのに」

 背伸び。今日も朝が来た。

「んー……逆に聞くけど一晩中起きてたの?」

「それが仕事だからねぇ」

 闘気法を得てからあんまり眠らなくなった。それでも十分休息感と満足感を得る。

「あんまりよくなかったかしら?」

「……いっ」

 気の利いた答えを言った方がいいのかな。

「いつもぬいぐるみ抱きしめて寝ているけど、それよりずっと良かった」

「ふふふっ。あぁ、ぬいぐるみね。ふふふっ。ぬいぐるみと一緒なの? まぁいいわ。シャワー借りていいかしら?」

 子供っぽいって思ったかな……。でもぬいぐるみを抱きしめて寝ているのは事実だ。少なくとも寂しさは紛れるから。

「……可愛い奴」

 女性は可愛いって言葉が好きだね。それが社交辞令だとちゃんとわかっている。

 朝の所用、トイレ、洗顔、歯磨きを済ませ、冷蔵庫をパカり。

 プラスチック容器を取り出して昨日漬けたトマトを食べる。酸味と塩見が染みて美味しい。トマトばかり食べるのはどうかと思うけどね。

「トマトばかり食べるのねぇ」

 お風呂から出て来たリザは何も身に着けてなく、頭にタオルを乗っけているだけだった。焦燥感が駆けあがり目を反らしてしまった。何も見てない。ぼくは何も見ていない。

「……服着てよ」

「あらあら? そういえば君、男の子だったよね。お姉さん女の子だと思ってたわ。絶印を押しているのに元気なのね。ほら、下腹あたりに貴方の匂いがついているわよ。そんなにマーキングしたかったんだ。私に。ぐりぐり擦りつけちゃって」

「……変な言い方しないで」

「初めて同士で寝ちゃったね」

「……ねぇ」

「ふふふっ可愛い奴」

「……可愛くない」

「それあたしも食べてもいい?」

「いいけど」

 トマトにもヌースがある。口から摂取することでトマトのヌースはぼくのヌースとなる。魂と呼ぶには意思が無く、焼いたら無くなる。

 消費したヌースは呼吸や食べ物で補える。

 食べ終えたらカードを使い、時間まで動画やニュースを見て過ごした。

「少し寝ていい?」

「うん」

 リザは眠るようだ。一晩中起きていたからさすがに眠いのだろう。

 知りたいニュース知りたくないニュースの取捨選択。

 子供が亡くなるニュースはあんまり見たくない。政治関係は見ても何もできない。コメント機能があるのでライブ映像では見ている人が自由に意見できる。

 猫の動画を見るのはあまり好きじゃない。猫は好きだけれど、ぼくの産みの母親も猫が好きだったから、だから猫を見ると心が苦くなる。

 視界の中に異物が見えて、焦点を合わせると蜘蛛だった。ヒメグモかな。天井から垂れて来てまた昇っていく。家にはハエトリグモとか普通にいる。別にいてもいいので駆除しない。

 蜘蛛にもヌースがある。魂と呼ぶにはやっぱり意思が弱い。

 家の中をヌースで見るのはやめたほうがいい。思ったより生き物が多すぎる。

 時間になったら学校へ向かう。リザは眠っていてそのままにした。書置きだけ残して行く。

 盗られて困るものは無い。

 コンビニでピスタチオスナックを買って食べながら登校した。

 今日はイミナを見ていない。いたらいたで複雑なのに、いないならいないでもやもやする。

 教室では何時も通り席が埋まっていたので屋上手前で時間を潰す。カードが無かったら本を買って読んでいたかもしれない。恋愛に興味はあるけれど、恋愛自体が理解できていない。昨日、女の人と一緒に寝たんだよなと意味不明な事を考える。上手に受け答えできたか、今さらになって溜息が漏れる。

 体と心が別物みたい。イミナの事を考えてしまう。イミナを想像すると起こる纏わり付く嫌な気持ちが他の女の人では治らない。執着や嫉妬だったら嫌だな。

 時間が来たので教室へ向かう。サボりたいけれど授業をサボるとさすがに単位が足りない。素行を疑われる。留年はしたくない。トイレに行きたい。

 先生が来ないとぼくの席が空かない。担任のジュリアンナ先生を待つ。

「もうホームルームの時間ですよ。ネネさん。先生より早く教室にいなければいけませんよ」

 先生は美人で、ぼくに対しても分け隔てなく大人だ。

「……すみません」

 ただジュリアンナ先生は陽気なのでぼくの事情は理解してくれなさそう。説明するのも馬鹿らしいので一緒に教室へ入る。

 何時も通りの学業――のはずだった。機関から呼び出しを受けた。公安こみで。寝耳に水だ。何かしてしまっただろうかと過去を振り返り頭を捻る。問題行為としては添い寝屋がある。添い寝屋を利用することは別に違法ではないので問題はないはずだけれど、リザが犯罪者だった場合は話しが別だ。でもリザは犯罪者という感じがしなかった。

 ジュリアンナ先生に呼び出しを受け、機関へ向かうように言われた。

「寧々君。今すぐ機関へ行ってください」

「はい……」

「大丈夫ですか? 先生も付き添いましょうか?」

「いえ……」

 経吉の事が脳裏をよぎる。あの子、いい所のお嬢様っぽいし厄介ごとに巻き込まれそう。

 機関へ到着すると小さな女の子がいた。知らない子だ。

 ファニエルさんと六歳ぐらいの女の子。

「お呼び立てしてすみません。寧々さん」

「いえ……それで、御用の方は一体」

 ファニエルさんが大きく目を開いてぼくを見ていた。じっと見てくる。何か問題を起こしてしまったかと問題を脳内で探る。綺麗な瞳。瞳に綺麗な青い惑星があってその重力に引っ張られるかのように感じてしまう。ファニエルさんが傍にいると気持ちが楽になる。ファニエルさんと一緒にいられたら幸せなのだろうなと考えてしまって嫌だった。

 おずおずとファニエルさんの手がぼくの手を掴む。柔らかい感触。ファニエルさんは少し微笑んで安心したように胸をなでおろしていた。どういうことなのか。

「失礼しました」

 そう言うと手を離して背後の女の子を前面に押し出してきた。

「実はこの子を保護したのですが、どうやら寧々さんに所縁があるそうなのです」

 女の子は何も喋らなかった。金髪……よりややクリーム色の髪。白い肌。左目にガーゼ。親の趣味丸出しの服。よれているのは洗濯していないからかもしれない。

「そうなのですか」

 立ち膝になり、女の子に目線を合わせる。嫌な予感がした。

「書類上、貴方の妹になるようです」

 盛大なため息が出そうになり、必死に押し殺していた。

 血の繋がらない父親の儲けた血の繋がらない妹。書類関係を確認すると間違えなかった。この人達は何がしたい。そんな事を言っても仕方がないけれど。理不尽さに怒りと憤りが湧いてきて、必死に飲み込んでいだ。

 書類上はぼくの妹で間違えなかった。

 女の子は言葉を一切喋らなかった。だから母親がどうしたのか父親がどうしたのか確認が取れていないと言われた。自宅のアパートに母親の姿はなく家賃の支払いも、電気もガスも水道も止まっていた。

 つまりぼくはアパートの家賃や公共料金の支払いに呼ばれたのだ。

 支払いの義務は残念ながらあった。ぼくは機関に登録してお金を稼いでいる。ぼくが支払いをしなければ大家が泣きを見る。

 妹はアパートから強制退去、保護者がいないので国で保護するかぼくが面倒見るかの二択。ぼくがいるのに国に保護させるわけにはいかない。でもぼくには保護者の権利が無い。

 子供を育てるのは国の役目じゃない。親の役目じゃないのか。なんでネグレクトなんか。

「お願いしたいことがあるのですが……」

 歯切れが悪いのは憤りで奥歯を強く噛んでいるから。この子が悪いわけじゃない。この子が悪いわけじゃない。どう考えても両親が悪い。

 席に座り事実確認を行う。後でセンターの方が来るそうだけれど、来る前に片を付けなければならない。児童保護センターの人達に対してだ。

「なんでしょう?」

「天使ポイントを消費してぼくとこの子を両親の籍から抜いてください。それと出来たらぼくの籍を作りこの子をそこへ入れてください」

「その手の処理ですか。その子の面倒を見るということでよろしいですか?」

「そう……ですね」

 そうですねってなんだ。

「児童保護センターでもこの子は不自由しないと思いますが」

 児童保護センターは悪くない。悪くないけれど両親の問題がある。都合が良くなると親の権利を主張しだす親が少なからずいる。

 将来この子が自立した時、借金のかたを背負わせたり、権利を主張してきたりさせるわけにはいかない。

 あと性質の問題もある。ぼくの性質が盗賊であったことを考えると、この子の性質が世界三大嫌われ性質である可能性が高い。

「親の問題があります……。都合良く利用されかねません……。親の権利を主張されると保護センターは拒否できません。ぼくがこの子を引き取るのは人の法律上無理です。だから天使ポイントでお願いします。お願い、できればですが……」

「貴方の天使ポイントは394ポイントあります。本当に消費してかまいませんか?」

「センターの方が来る前にお願いします」

「わかりました。では天使ポイント97ポイントを消費して貴方に権利を与えます」

「お願いします」

「では手続きしてまいりますので。センターの方が来ましたら処理ができるまで足止めしておきます。御心配なさらず」

 隣に座っていた女の子を見る。

 女の子は無表情に前を見ていて、ぼくが視線を向けても前を向いたままだった。名前を聞きたい。

「ぼくはネネ。君の兄になります。よろしくね」

 女の子の視線がぼくに向いた。ただそれだけ。何を言ったらいいのか。話題が出てこない。口下手な兄でごめんね。

「君の名前は? わかるかな? ぼくは、寧々」

 腕の内側に青痣。火傷跡も見える。嫌な予感ばかりが脳裏をよぎってしまう。

 女の子はポケットの中から紙を取り出して渡してきた。スカートの染みからインスタント食品の独特な匂いがしていた。

 受け取ったよれよれの紙にはムギと書いてあった。

「名前はムギ?」

 少女はそれに頷いた。額を指で掻いてしまいそうになる。今年、猫に付ける名前の上位三つの内の一つを思い出した。

「よろしくね」

 改名するにしてもしないにしても、この子が物事の判別がつく年頃になってからでいい。

 ぼくの寧々と言う名前も母が父の源氏名をもじって付けたものだ。

「おまたせいたしました。準備ができました。両親からの完全なる独立と二人が兄妹であることを証明する書類です」

 人の法なら何カ月、もしかしたら何年もかかってしまうような書類を、もしかしたら絶対に許可されないかもしれない書類を三十分で用意してくれた。

「……確かに。ありがとうございます」

「センターの方が参りました」

「はい」

 結論から言うとセンターの方とはだいぶ揉めた。ぼくの年齢の問題もある。書類を提出して強引に決着をつけた。天使が人の法に抵触する行為を行うのは不当だと怒られた。

 あたりが強い。強い語気でお金や道徳の話を突きさしてきた。

 上手に育てられるのか。学生なのに彼女の面倒が見られるのか。家事は料理は学業は。

 そんなのわかるわけないでしょう。預けた方がいいのかもしれないと強く思う。

 散々ごねられて、月一回少女の様子を見に職員が訪れることで合意した。


 終わった頃にはだいぶぐったりしてしまった。ぼくが住んでいる所も問題だ。狭いし二人で暮らす事を想定していない。契約の問題もある。ぼくが一人で住む契約をしているので妹が住むとなると別途契約が必要になる。

 少女の性格や持病、心の在り方も知れない。簡単に引き取るなんて言える問題じゃない。性格の不一致もありえる。それで世話ができるのか。

「お疲れさまでした」

「……すみません」

「謝る必要はありませんよ」

「すみません……」

「大丈夫ですよ」

「……それで、もう一つお願いがあるのですが……」

「なんでしょう?」

「この子の。ムギの健康診断をお願いしたいのですが」

「わかりました。アレルギー検査もいたしますか?」

「それもお願いします。いくらかかりますか?」

 少女が、ムギが反応したのを感じた。お金に反応したのを感じた。お金が好きという感じではなくて自分に対してお金が使用されることへの不安感が空気に混ざっていた。違うかもしれない。お金が好きなのかもしれない。

「天使ポイントなら5ポイント。通常料金で換算しますとムギさんは機関に所属しておりませんので二万三千四百二十円かかります」

「お金でお願いします」

「わかりました。ではムギさん。こちらへ」

 ファニエルさんはムギの手を握って連れていった。

 何がしたいんだ。何をしようが確かに両親の自由だ。自由だけれど……。悲しいとかそういうわけじゃないのに目に涙が溜まってしまった。得体の知れない感情。猫は可愛いよ。猫はね。でもぼくらは猫じゃない。

 こんな事を言ったところで何を言っているのだコイツはと言われるだけだ。

 やめよう。不毛だ。気持ちを切り替えるのが大事。なるようになる。

 手持ち無沙汰になったのでカードをポチポチする。なんとなくファルに返事をする。筆不精なので返事が遅いけれど、それでもいいなら何時でも相談してね。と送っておいた。ティティの着信拒否を解除する。解除した途端着信が五十回以上来ていた。

 ごめん。寝ていたとチャットで返す。着信が来た。

 今出るのは無理とチャットを返す。

 電話出ろとチャットが来た。

 だから今は無理だってば。

 経吉からもチャットが来ている。お姫を返してとひたすら連呼してきていた。ちゃんと寝たのかな。お姫が欲しいならお姫に認められてと返す。複雑で煩わしい。こんなに人とかかわったことが無い。少し弾む反面、あまり期待もしない。傷つきたくないから。

 待つ時間が妙に長くて待ち遠しかった。

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