第20話 聖女の不在②
まずは機関へ行く。
正確なロスト(行方不明)の期日を知るためなのと、何層付近でロストしたのかを知りたい。
機関に赴くと静かながらに僅かな人達が集まっていた。一目でわかるマリアンヌさん。捜索隊を編成している。横目に売店で完全栄養固形食と整食飲料、それに水を買う。
喉が鳴る。落ち着いて。
完全栄養固形食は人に必要な栄養素を平均的に込めて作られた固形物だ。天使が作る料理は基本的に流動食で、でもそれでは顎が衰えてしまうと固形になっている。ガムのような弾力があり、でもガムよりはしっとりとしていて噛み切れる。味は干し葡萄に近い。
整食飲料はお腹の調子を整える飲料。水はただの水。
ダンジョンに潜るのにはそれなりに準備が必要で、潜る期間を三日と定め、少なくとも食わず眠らずを三日間慣行できる準備を整える。
固形食を齧りながら席に座りマリアンヌさん達の様子を見ていた。
口の形から、浅瀬、獣人、襲撃、逃亡という単語を見る。
浅瀬というのはダンジョンの表層の事。大体天使換算で一層から三十層付近を意味している。浅瀬ちゃぷちゃぷは軽く潜るという意味だったり、サブダンジョンの事を砂浜と言ったりもする。
浅瀬をちゃぷちゃぷしている途中で獣人の集団に襲撃を受けて聖女とはぐれたらしい。
獣人の襲撃と聖女のロスト。これらの事柄から獣人による聖女の誘拐だと捉える。
獣人が聖女を誘拐する理由はある。
彼らの中には性質が神官の者や聖女の者等が生まれないからだ。
それらの原因は彼らの習性に起因していると言われている。
正確な所は神のみぞ知るところだけれど。
獣人は基本的に性に奔放だし神を信奉しない。
獣人の女性は複数の男性と関係を持ち、子供が生まれると関係を持った男性が子供を引き取り育てると言う仕組みや、一個体がハーレムを築き、囲まれた女性又は男性が狩りを行う仕組みも相まって、結婚という対一のシステムが存在しないらしい。
これは獣人の性質上の問題で、男性より女性の方が体格が大きくて強いからだと言われている。又獣人は近親でも子供を作る。街では近親はタブー扱いされているけれど、天使は別にタブー扱いしていない。
獣人にとって大切なものはお金と強さで、ダンジョンでお金を稼いでいる手前、力があればお金を稼げるという構図ができている。
もちろん獣人にも色々な人がいて一人の人を愛し続けるという人もいるのかもしれない。
愛に因果があるのかどうかは定かではないけれど、その習性ゆえに獣人には神官などの回復や治癒を司る性質を持つ者がまったくと言ってもいいほど生まれないらしい。
これは致命的でダンジョン内においては自己治癒能力や体力にも限界があり、継続的に潜り続けることが困難であることを意味している。自己再生能力は万能じゃない。カロリー、エネルギーを消費するからだ。再生するほどにエネルギーを消費する。
だから獣人は人を攫って奴隷にする。人には神官や聖女などの性質を持つ者が生まれるからだ。
そして獣人国家において聖女は喉から手が出るほど欲しい媒体である。
条件を無視して体を癒し、味方全体の能力を底上げしてくれる。
聖女の子供は聖女になる。だから獣人は聖女を攫う。
獣人が人を攫うようになったから天使は獣人を保護しなくなった。そして天使が獣人を保護しなくなったから、獣人は余計に人を攫うようになった。これは難しい案件で、じゃあ天使が獣人を保護すればいいじゃないとそんな単純な話じゃない。保護している時から起こっている問題だからだ。人としても天使としても獣人としても、はいそうですね、で済む問題じゃない。
でも……とは言ったもののこれが本当の情報なのかぼくには確かめる術がない。実際獣人には神官や聖女などが生まれないらしいし天使は獣人を保護していない。すべてが全て情報通りというわけではない……とは考えている。
生体に関しても習っただけで獣人の街に直接出向いたわけじゃない。
リザが獣人なんてみんなバーサーカーみたいなものだと言っていた。もしかしたら獣人には性質自体が無いのかもしれない。獣人国家は医療国家だと聞いたことがある。
ティティの言っていた言葉が刺さって痛かった
情報は武器だと言うけれど、ぼくは結局の所にわかなのだ。
口の動き――。
十三層付近でロスト。意外と浅い。ロストしたのが四時間前。十三層で四時間前。獣人の襲撃により他の三人は重症らしい。逃げて来た天王寺達は完全ロスト状態。重症どころじゃないけれど、行方不明じゃないのならまだ安い。
三人の魂が天使の所へ帰って来た――けれどイミナの魂だけは帰ってこなかった。
お手洗いを済ませ機関を出る。三日動けるだけのコンディションは出来た。
ぼくは正攻法ではダンジョンへ入れない。貧者の洞穴を使う。貧者の洞穴はアウトローたちが住む街にあるメインダンジョンへの入り口だ。どうしても街に馴染めない者達が暮らす区画があり、そうは言っても天使の見張りはあるので治安は良い。
路面電車に乗り区画へ移動――ゴーストウォーク(勝手にそう呼んでいる)で歩く。
ゴーストウォークは物音を消して一定距離毎に緩急をつけて最速で移動する歩き方だ。全力で最速移動をすると天使に捕捉される。天使に注視されるのはいいやり方じゃない。
天使がこちらへ意識を向けている間は見える速度で歩き、意識がそれたら最短を最速で移動する。結構便利。盗賊には【希薄】スキルもあるからね。あんまり気配を消すとかえって察せられるから気配はそのまま。この技術は格闘戦にも応用できる。
入り口でカードを提示。
「目的は?」
カウンター。金網の向こうには頭をそり上げたいかつい体格の男がいた。
「キノコを採りたい」
「ぶっ……盗賊レベル十五の小僧か。お前全然成長しないのな。良くやるよ。俺だったら恥ずかしくて死んじゃうぜ。あぁ、すまんすまん。ごめんな。ぷくくっ。そうだな。入場料は二万でいいぜ」
この禿。毎回ぼくが盗賊なのを鼻で笑うから嫌いだ。
ついでに客によってお金を吹っ掛けるのも嫌いだ。嫌いなものは嫌いだ。はやる気持ちをできる限り抑える。足元を見られて金額を吊り上げられても今は断れない。百万でも強硬する自信がある。
支払いを済ませて中へ。今日はついてない。係(入り口で張り、金目の物を持った人間が中に入ると集団で襲いかかり集金する人達又はダンジョンから帰還する人間から追いはぎする人達)がいる。
ゴーストウォークで歩く――天使の時とは逆。見ている時に消える。
この貧者の洞穴で最悪なのはダンジョンを出る時にめぼしいアイテムをごっそりと取られること。
入り口は異なるけれど、ここから入るメインダンジョンも機関から侵入するメインダンジョンも繋がっている。
最悪なのはこの入り口を管理している管理会社が大手の企業の下請けであること。大手の企業がそんなことするなよ。
ダンジョン侵入前にカードの通信機能を機内モードにする。機内モードってなんだろうってたまに検索する。設定すると通信が遮断される。アップデート機能もオフになる。
ダンジョンに侵入――青藍層。
ヌースを見る。十三階層付近なら三時間もあれば到達できるはず。
ダンジョン紫谷。一層から三層までは別名青藍層(せいらんそう)と呼ばれている。青い木々が生い茂り漣のように揺れている。何度見ても不思議な光景で目の錯覚を疑う。
水光、水影まで見えて、まるで水の中にいるかのような錯覚を覚える。
生息している魔物も変なものばかりだ。
有名なのはヒレツキフタマタアルキマタマタというカエルとカメレオンを混ぜて二足歩行させているかのような魔物で通称ゲロリン。ケロリンとも呼ばれている。もちろん小鬼(ゴブリン)もいる。ヒレが足の形をした魚もいる。
種臓があるので倒す場合はやはり注意しないといけない。
ちらほらゴミが見える。ダンジョンにゴミを捨てる人は多い。
地面からシャボン玉のようなものが湧き出て、揺れながら上空へ登って行く。
息を吸って吐く。息を吸って吐く。今すぐにでも全力で疾走したい衝動を抑えて走る。ゴーストウォークもしない。息を切らさない速度、汗をかかない速度で走る。ゆらゆらと揺れて登っていくシャボン玉に水の中という錯覚を覚えて意識と無意識が揺らぐ。
全力疾走しない意味はある。
全力疾走で十四層に降りても体力がなかったら不足の事態に備えられない。
頭の中で詩を朗読しているみたいに走る。
一層から八層まではやたら横のエリアが広く階段が各端っこにある。最短ルートには魔物が生育しており、意図的にそういう構造になっている。一層の広さは確か半径124.75km。
紫谷の入口は街中にそこそこあり、正規、非正規問わず入り口は全て誰かの管理下に置かれている。
入り口は次元空間が歪んでいると習った。そこにあるのに実際は別の場所にある。原理は次元空間湾曲システムと一緒だ。街と言う名のラビリンスに閉じ込められている。長命種と言う名の街の中に封じ込められている。
一層の入り口は全て円状外周外側端っこにあり、二層の入り口はその全ての入り口から等間隔真ん中中心にある。各一層入り口の端っこが中心だから、二層は円の中心から侵入し、三層入り口はまた外側にある。
つまり一層入り口から二層の入り口まで約124kmもあり、時速20kmで行軍しても六時間はかかる。地面は凸凹した根で覆われていて平坦ではなく、当然体力や速度も奪われるので予定よりも時間がかかる事を視野に入れなければいけない。
ちなみに乗り物での侵入はおすすめできない。過去何度か線路を引こうと頑張ったらしいけれど結局計画は頓挫している。
通常は一層を一日かけて行軍し二層入り口でキャンプ、次の日二層に侵入する。
草原のように見晴らしがいいわけでもなくて巨大な樹木の幹のような壁がそそり立ち、入り組んでもいる。
空を飛ぶ乗り物ならワンチャンある。実際移動はほとんど飛んでいるようなものだ。
慣れた中堅なら三時間で二層に到達できる。一時間で到達できる速度を保ち走る。大切なのは足場のチョイス。昔はこういうのをパルクールって言ったらしい。今は普通に行軍としか呼ばれない。
天井も高いのでここがダンジョンの中だと言う事を忘れそうになる。ならない。
飛び乗った枝から見えた地面には所々に人と、そしてゲロリン、魔物がちらほらと見えた。
メインダンジョンで日帰りしたいのなら本当に浅瀬ちゃぷちゃぷだ。
ゲロリンはヒレが美味しいし出汁にもなる。ケロリンのヒレを浸した熱燗は最高らしい。見た目はグロい。たまにミミックウェポンの槍や銃を持っていることがある。槍は小さいので人が持つと槍とは言えず銃は泡を吐く。子供のおもちゃとして人気がある。
そうこうしている間に二層入り口に到着。テントや建物がちらほら見えた。小さな街が形成されているけれど常駐は推奨されていないし天使も反対している。常駐したい人でも一ヶ月に一回は必ず外へ出される。
二層へ降りる。もっとも降りるのに階段があるわけじゃないので空いた穴に落ちると言った方が正しい。簡易工事に使われるような足場が乱雑している。
二層は湿地帯だ。足がぬかるんで歩き辛く、水場に特化した生態系をしている。
この辺りから死人がざらに出る。
中でもフトアゴワニモドキとタイリクアネモネの被害者は多い。フトアゴワニモドキはやたら顔の大きいワニで水中から飛び出してきて一飲みにされる。タイリクアネモネは所謂イソギンチャクで水中に引きずりこまれて食われる。
攻略するには歩ける場所を見分ける必要があり、潜んでいる敵を見つけるのが何よりも大事だ。
この二種だってアクションを起こすのにトリガーがある。トリガーを引かなければ襲われない。
二層は一層に比べて格段に過ごしづらい。それでも二層に人が来るのは実入りがとんでもなく良いからだ。数日滞在して数百万を稼ぐ人達がざらにいる。とは言ってもパーティを組んでいるので一人当たりは数十万なのだろうけれど。
この一層と二層で採れる食料は街の基盤で生活にはかかせない。ワニモドキも肉になるけれど一番の獲物はテンタクルバイソン。尻尾が沢山ある牛みたいな魔物で尻尾がとにかく美味しく量も取れる。
一層は薬になる苔類が多くて冬虫夏草なんかも採れるけれど、二層はシダ植物が多く胞子が薬学には欠かせない。
薬学の発展はダンジョンと深く関わりがあると言っても過言じゃないと誰かが言っていた。誰かの名前は忘れたけれど。
二層からモラルは悪くなる。治外法権みたいになるので俺様が増える。公式、非公式が入り混じったり非戦闘員が連れ込まれたりもする。もちろん犯罪だ。
ただ定期的に治安部隊も派遣されるので最悪だけは回避されている。
デッドマン(種臓に寄生された人間)も現れる。
大体のB級の人は二層までしか潜らない。実入りがいいので攻略なんて馬鹿らしいと考える人も多い。基本的に階層跨ぎにバリケードを作って宿泊する。
ダンジョンの真ん中で宿泊しようものなら四方から攻撃されて死ぬ。人間は魔物にとって柔らかく肉質が良く毒がなく栄養価も高くて絶好の獲物だ。
三層の入り口に到着したので水を出して口を湿らせる。
三層は密林になる。太陽もないのに眩しくて植物が生い茂っている。一番外の世界に近い階層だと聞いた。
ぼくは街の外に数回しか出たことがないので外ってこんな感じなんだってしみじみする。
ここからは毒虫なんかが増えるのでさらに進むのが厳しい環境になる。三層でこれじゃ、人類の足も遅くなるというもの。ぼくの住む街は他の街に比べてさらに腰が重いらしいから牛歩も牛歩だ。
暑いので脱水には気を付けないといけない。けれどイミナの顔が脳裏に浮かぶたびに焦りにも似た何かが冷たく走り冷汗をかくように足を急かしてくる。
大きな毒虫は見ればわかるけれど、小さな毒虫にも注意しないといけないし、ここで素肌を晒すのは自殺行為だ。ぼくはヌースで見分けられるけれど。
この三層には大滝がある。通称ささら滝。
階層を跨いて十一層まで直通している。飛び降りるには技術と勇気が必要で、毎回一度躊躇ってしまう。
滝には羽虫がうようよしているのでゆっくり降りると肉をついばまれる。さすがに一番下まで直行で落下したら無事には済まない。例え深い水があっても打ち付けられれば無事では済まない。
降り方は簡単で飛び降りるだけ。滝の隣にはダンジョンを構成している植物みたいな壁があるのでそこへナイフ等を突き差して勢いを殺しながら降りる。ただそれだけだ。
お姫を傷つけたくないのでお姫ではないナイフを握る。
今日は躊躇わなかった――飛び降りたら適度な距離でナイフを幹に刺して勢いを止める。勢いが止まったらすぐに抜いて落下を繰り返す。
風が気持ちいいし落下している間は自由に感じるけれど下を見ると恐怖も起きる。空中では落下時に発生する空気の圧を体のどの部位に当てるかで体勢を整える。
ナイフを幹に刺すのがあまりにも遅いと腕や肩への負担が大きくなって普通に関節が外れるし、体勢を崩すと普通に壁から距離が離れてナイフを刺せずに地面に激突して死ぬ。
前にダメにしたナイフが幹の途中に刺さっているのを見つけた。この降り方だとナイフが痛んで使えなくなる。
体感二十分ぐらい同じ動作を繰り返して十一階層へ。一番下は水場なのだけれど、飛び込むとキリウオなどに切り刻まれて死ぬので直前で止まる。
前に刺したナイフがそのまま刺さっていたので足場にし、すぐに横へ飛んでナイフを刺し留まり、ナイフを抜いて飛び、飛んできたキリウオの群れを足場にして岸へ降り立つ。
このキリウオのヒレは良いナイフになるけど脆い。こいつらは自分の体の一部なので再生ができるけれど、本体から離れたヒレは再生しない。使い捨てにはいいけれどかさばるし、下手に使うと指が飛ぶ。
十一階層は暗い。
この辺りから目の退化した変な形の虫やゴブリンよりちょっと強いゴブリン亜種が出る。
ウデナガカニモドキ、大きなカニも出るし食用にもなる。大きくて味はイカに近いのだそうだ。イカは食べたことがない。海で採れると聞いた。
ポケットを弄りアンプルと注射器銃を取り出す。
ぼくの体はポンコツだ。たたき起こすのに薬が必要。
アンプル青を注射器に込めて喉の血管に当てる。引き金を引くと極小の針が瞬時に打ち込まれ投薬される。
「うっ……」
若干の息苦しさ。
魔術キャッツアイとトレースを使用する。
投薬青と混ぜ合わさって地面の足跡や生き物の痕跡が鮮明に見え始める。魔術は精神力を消費すると聞いた。精神力の消耗は集中力や持続力に影響し低下しすぎると意識を失う。徹夜している感覚に近く、体が気だるくなり意識の混濁もありえる。
消耗したら回復するのに糖分や睡眠が必要になり、糖分を取るのは一時的な改善にしかならないので睡眠が一番いいと聞いた。
この二つの魔術キャッツアイとトレースはぼくのオリジナル魔術だ。薬と併用して使用する――とは言ったものの含まれる薬剤の効能を強化しているだけで多分アンプルがあればぼく以外にも余裕で使える。たまに魔術か疑わしくなる。ただのプラシーボ効果なんじゃないかって悩む。
デメリットはある。
ランナーズハイ状態なので疲労と怪我の度合いを把握できなくなる。怪我をしても痛みが鈍い。薬がきれた後も神経がしばらく鋭敏になり、ちょっとしたことに体が反応してピクピクする。切れた時に脱力感があり体を重く感じる。
精神が研ぎ澄まされていく感覚と高揚を感じる。
……最初は良く鼻血が出た。
魔力というものは人間には備わっていないらしい。でもマインド、精神力というものはあるのだそうだ。人間は精神力をエネルギーに魔術を発動する。
魔物が種臓の魔力を消費して魔術を発動するのに対して、人は精神力を魔力の身代わり媒体として消費し魔術を発動する。
この精神力の正確な数値化は困難なのだそうだ。その日によってコンディションが違うし、好きな人に応援されただけで劇的に向上もする。
精神力はヌースとは違い物理的な干渉を起こせる。ヌースと精神力とは違うものなのかもしれない。
ちなみに魔術師のコンディションは四つのパターンに分類される。
最良がコンディショングリーン。最低がコンディションレッド。落ち込んでいる時はコンディションブルー。良くもないけど悪くもないならコンディションイエローだ。
コンディションは探索者にとって大切なパラメーターの一つ。
パーティを組むのなら事前申告する――のが基本なんだけど誰もしない。
一回の投薬で持続できる時間は二時間五十分ぐらい。
腹も満たされているしやる気もある。現在のコンディションは良いと言える。でも気分的にはレッドだ。
人の痕跡がちらほら見受けられる。ここら辺から中級者の駐留が増える。
ヌース探知(生命探知)も同時に発動しながら移動する。十一階層は洞窟状で地面がぬかるんでいる。床を歩くと足をとられるので壁から壁へ飛んで移動する。
体全体、手も使って洞窟内を移動する。天井にいる電気蜘蛛(カミナリデンキグモ)を確認。こちらを知覚する前にお姫を握り飛ばしたヌースの刃で確実に始末する。名前の通り電気を操る。特殊な体液を利用した糸で壁に罠を張り、糸の上に何かが触れると電気を流して麻痺又はショック死させる。
ここから先、敵を回避するのは困難となる。困難だからできるだけ遭遇自体を避け、どうしても避けられない場合は先に見つけて確実に始末しながら迷路状のダンジョンを進む。焦りで何をやっているのか自分でも感覚がふわふわしてきた。
盗賊は性能として希薄を持っているけれど、空気の振動まで消せるのかと言えば否。ちょっと影が薄くなった程度で魔物の鋭敏な索敵器官を欺けるかと言えば否だ。
カニモドキを始末して頭上をすり抜ける。相変わらずウデが長くて爪が太い。カミナリグモと違ってカニは物理攻撃しかしてこない。
カミナリグモに目玉を食われたことがある。痛かった。
カニモドキに腕を折られたこともある。死ぬかと思った。
ちなみに二匹とも価値はありお金に換算できる。
カミナリグモの電気を通す体液や器官は研究されているし爪はナイフになる。カニモドキの外骨格(殻)は地上のカニのキチン質よりも硬いので研究されている。どちらも一体ウン百万で取引される。
種臓も少し大きくなるので五体満足どころか生きた個体が地上に出ることはまずない。五層以上より要殲滅案件で、五層から一層の間で見かけたら必ず倒さなければならない。
こんな事考えている場合じゃないけれど、イミナの事を考えると気持ちが焦ってしまう。まぁもう焦っているけれど嫌にもなる。
ぬかるんだ地面を見ながら痕跡を探しているけれど、あの人達そもそもどうやって移動していたのだろう。
このぬかるんだ地面を歩くのには骨が折れるし、こういう土地に特化したカニモドキなどの足の構造が無ければ歩くこと自体が困難だ。他の生物は蜘蛛みたいに天井や壁を利用して洞窟内を移動している。ぼくと同じ。そもそもこっち来たのかな。洞窟内はアリの巣状に十五層まで広がっている。獣人達が何処で合流したのかをもう少し詳しく調べればよかった。
とりあえず十四層を目指し下に繋がる穴に落ちる――狭い通路はぬかるんでいないので蜘蛛などが罠を張って封鎖してしまう。
逆に考えれば封鎖されていない穴に降りればいいのでは――いくつかの穴を巡る。破られた糸の幕を見、降りて視認、行き止まり。当たり外れある。こういう穴の中にはサディガンがいるから嫌だ。
サディガンは拳より少し小さな甲虫で数が多く肉を食べる。体はカニモドキと同じ硬質な殻に覆われていて足には棘がある。特にカギヅメ状の足先は肉に食い込むとカエシが刺さって取れにくく無理に引きはがすと肉が裂ける。
昔はコカブトムシとか呼ばれていた。
ダンジョン内はロストしなければ安い。
そんなダンジョン内でまずロストを意識するのがサディガンだ。
破れた穴を見つけて覗き込む――風が通るたびに穴からは口笛のような音がしていた。
当たり――舌打ちしそうになってやめた。サディガンの死骸があった。ここでサディガンが誰かと接敵したと推測される。逃げたと推測される先の穴、サディガンが糸に絡みついて暴れていた。
まだ生きている。生きている個体が結構いる。あと足だけになった蜘蛛と……デッドマンがいる。
デッドマン。デッドマンとは人間が種臓に取りつかれた場合になる魔物の事だ。アンデットとも呼ばれている。人間は魔物化しない。魔物化するには人間がモロすぎる。種臓が脳に到達すると物理的に生存が困難になりゾンビ状態になる。ゆっくりと腐っていって結局死ぬ。
デッドマンにイミナを意識する。
瞳孔が開き毛が逆立つ感覚が痛い。行方不明になっていないのならそれでいい。左手にお姫を握り、右手をポケットに入れて封魂瓶を取り出す。
サディガンが食った蜘蛛の種臓が逃げ遅れた人間をデッドマンにした。
魂は何処――デッドマンの体内のヌースを……イミナじゃない。獣人だ。魂が無い。ここで死んだんじゃないのか。例え獣人でも魂が残っているのなら……見当たらない。
それはイミナがロストしている場合、行方不明になっている可能性が高い事を意味していた。落ち着いて、まだイミナが行方不明になったと確定したわけじゃない。
まずは敵を沈黙させる。ヌースで相手を見る。壁越しでもヌースの刃は貫通する。
左手に握ったお姫に力を込める。ヌースとして飛ばした刃、お姫のヌースでうろついているサディガンを切りきざみ、デッドマンの種臓を殺す。
ヌースの霧散を確認して穴を通り下へ降りる。
デッドマンの腹部に何匹かサディガンの影が見えていた。内臓を食っている。
デッドマンの死骸――倒れた獣人の背中にリザの姿が重なって少し顔を背けてしまった。
もうリザが自分の心の中にいることを自覚して嫌になる。
腐りが鈍い。
破れた服、ポケットを弄り荷物を確認する。ダンジョン内は腐るのが早い。分解が早いほどダンジョンの栄養になるのが早いからだ。
ナイフで裂いた服と肉が動いている――裂いて飛び出して来たサディガンを掴み、握力で種臓ごと握り潰す。傷みと音が走る。血が出てそれを少し眺めてしまった。眺めながら残りの数匹をヌースで始末する。
ポケットから注射器を取り出して緑と赤のケースを混合し薬としてのアンプルを作成する。注射銃に込め打ち込み持続回復付与と免疫能力向上、加えてアンチアブノーマルコンディションも追加して使用する。こんな虫でさえ人間には致命的だ。
注射器をしまい改めてコープス(遺骸)を探る。出て来たカード。ロックがかけてあり待機画面には身分が記されていた。本当の身分証ではなさそう。他にはナイフと携帯食料。
雷痕がある。ジグザグの火傷痕が肌表面に走っていた。
これは多分……稲妻系の技か何かだ。天王子は雷を操れる。
立ち上がりその後の痕跡を辿る。
十四層まで駆け下りたみたいだ。
ヌース探知で階下を見る。痕跡以外に人のヌースを確認。数は五。
十四層で痕跡は二手に別れている。
音を立てないように壁に指をかけて下へ降りる。降りた先、物陰に隠れ人を確認する。話し声を聞き、コープス(遺骸)を発見したのか五人は驚いている様子だった。パーティだ。中堅の人達だと考えられる。中堅と言うのは所謂Aランクの人達だ。BとAの差は十層に潜れるかどうかで決まる。
……誰のコープスか探る。
「何があったんだ?」
「警戒を怠らないで」
「封魂瓶は?」
「反応なし」
「マジかよ」
見たくない。見たくないと思いつつ、確認しなければいけないと心臓辺りを強く握り覗く。
夜目が効いてよかった――獣人三体とイミナのパーティ三人のコープスだ。イミナはいない。イミナはコープスになっていない。
帰還アイテムは存在する。使うのに条件はあるし容易ではない。魂以外の全てを捨てる覚悟がいる。魂以外の全てを捨てて生存を取る。アイテム名は天使の羽。
魂だけを天使の元へ帰還させるアイテムだ。文字通り魂以外の全てを捨てて帰還することになる。これ以外の帰還アイテムは存在しない。ダンジョンに潜ったら自力で帰って来るしかない。裏技はある。サブダンジョンの入り口に入ればワンチャン手短に街へ出られる。でも街に接続している確率はかなり低く最悪街の外で食われて死ぬ。
イミナだけがロストした状態だと情報があったので三人は天使の羽を使って帰還したことになる。ここで言うロストは見失ったという意味だろう。肉体を失ったロストじゃない。
サディガンに襲われて逃げたところを強襲されたとみるべきか。
ダンジョン内のアイテムは基本的に持ち主に帰属する。機関に登録してあるのでネコババはできない。登録していないものは除く。ドロップ品などはネコババしてもいい。
痕跡が途中からなので詳しいことは状況から判断するしかないけれど、獣人と十一層以下に潜りサディガンに襲われて獣人一人がロスト、十四層に逃げ延びたところで獣人達の強襲に合い二手に別れた。
ここにあるコープスは六体。獣人三体人間三体。おそらくイミナとここで分断されたと判断する。おそらくイミナと考えられる足跡が一つだけ奥へ続き、さらにその後を追いかけるように続く足跡が三つ。この足跡の形状を見るに人間のものである可能性は低く獣人だと考えられる。
さらに次いで足跡が一つイミナが逃げたと考えられる方向へ移動している痕跡がある。
イミナのパーティは四人。三人がロストして残りはイミナ一人だけ。消去法と足跡からこの一体は獣人だと考えらえる。
人間三人は獣人三体をここで返り討ちにしロストさせたけれど、足跡が一つ奥へ向かっていることから四体目には重傷を負わせられたと見る。三人は天使の羽を使い帰還。
三対四で人間が負けた。
イミナは三人と分断され追われ逃げた――三体が追い、次いで一体が追加された。
イミナの痕跡を追い進む――道の途中が崩落していた。
足跡が崩落した穴で途切れている――四体の足跡が追従している。
イミナはエンジェルウェポンを持っている。杖、聖者の行進だ。
崩落した先――深い。見えない。はやる気持ちを抑えてナイフを構え落ちる。ヌースを見るに人型の反応は無い。夜目でも見えないくらいに暗い。キャッツアイアンプルが無ければ見えていない。
途中でナイフを刺して速度を緩め落ちるのを繰り返す。これは――ダメだ。これはダメだ。この高さはダメだ。あまりに深い。
カードを取り出して深度を見る。現在の深度はおよそ三十八階層。漸深層(ぜんしんそう)――人類の最高到達深度を越えたのかカードが赤く点滅している。これは地上との通信が不可能な事を意味していた。カードはカード同士で通信する。その有効範囲は半径三キロ以内。つまり現在三キロ以内に探索者(プレイヤー)がいないことを意味している。地上に電波が届かない場所にいる。ここは完全なる無秩序な場所だ。
何かが上がって――ヤツザキムカデだ。足がブレード状になった大きなムカデが穴を登って来る。飛んでくると言った方が正しいかもしれない。
お姫を握る。自身がムカデに到達する前にムカデを真二つにする。ムカデが動かなくなるまでラグがあった。頭を避け腹にナイフを突き立てる。しばらくの上昇後に落下を開始。ムカデから離れて壁にナイフを突き立てる。立派なムカデだ。ていうかどういう原理で浮いているの。浮力なの。
落下するムカデに飛び乗りそのまま下り続ける――底が見えて来た。カード情報において六十八階層。
ムカデから飛び降りナイフを刺して落下地点手前で止まる――ナイフを支点に体を持ち上げナイフの上に立つ。ヌースで泡を作り身に纏う。半径目算三メートル前後。ぼくの魂を使った幕を身に纏う。この幕を通る生命体をぼくの魂で強制的に押し出してロストさせる。危ないので滅多に使わないし無機的な攻撃、遠隔攻撃は無効にできない。範囲を超える大型の攻撃も無効化できないし、デメリットも不明でぼくにどんな影響がでるのか予想できない。
ポケットから注射器を出してキャッツアイ、トレース、薬のアンプルを上書きする。薬剤がキレる前に足したから鼻血が少しでた。顔に血液が上がり耐える。
「うー……」
結構きつい。脳の血管が拡張して張り詰める感覚。
準備は出来た――飛び降りる。空間だ。空間の真ん中。水の音が聞こえる。水が上から下へ垂れる音だ。少しカビ臭い。匂いが変わる。少し臭い。足元、臭い。泥が臭い。糞だ。ムカデが上がって来たのを考慮するとムカデの巣――というわけではなさそう。
これ、グレムリンの糞だ。ここグレムリンの巣だ。
水が、下から上に流れている。水の流れだけが逆さまだ。おかしなったのか精神が不安定になるけれど、こういう現象がダンジョンでは良くある。
グレムリン。別名マントヒヒ。狂暴で繁殖力旺盛。群れを作り生活している狂暴なゴブリン型の魔物。
イミナは何処――落下地点の痕跡を辿る。落下地点の乱れ、おびただしい血液の痕跡――引きずるような跡、暗闇の中、青く発光して見える痕跡、通路奥へ続くそれ。視線の向かう先で、ぼくは考えるのをやめた。
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