第22話 一難去ってまた一難

 「ふへっ」

 やっと入り口に到着した。疲れた。入口に出待ちがいるのはいつものことなのでダンジョン内ならゴーストウォークと希薄でなんとかなる。ていうかこの人達あんまりレベルが高くないんよね。真面目に攻略してないしレベル上げもしないし努力もしないし、やっていることに対してこう言うのもなんだけど、収入も安定しているっぽいからダラダラしている印象があるんよね。偏見だ。ていうか数人で囲んで来た人間を脅すのが正式な会社の仕事だからね。犯罪だけどね。仕方ないのかな。仕方ないね。

 絡まれても困るので出入口をゴーストウォークで抜ける。受付はスルー無理なので仕方なく一層で大量に取ってきたキノコの山を差し出したら五万追加で取られた。

 キノコも取られてお金も取られて、ここはなんなの。もう二度と来ない。そして正式で合法的な請求なので拒否すると裁判になって余計辛くなる。なんなの。裁判ってなんなの。なんで知っているのかって一度経験したからだ。

 街に出たらカードを再起動。セーフティーはそのままでいいや。

 表示されたカード情報に変化がないか確認。問題なさそう。

 着信が猛烈に入ってびっくりした。確認すると経吉からだった。

 チャットに死ね死ね書いてある。

 次第に死ねから大丈夫ですか、何か巻き込まれたのですかに変わり、最後に死んだの言葉とクエスチョンマークで締めくくられている。

 約束を忘れていた。カレンダーを確認。約束は昨日だった。ダンジョンで一日と半日を消化してしまった。

 改めてため息が出る。良かった――なんだかどっと疲れた。空を見るともう帳が下りていた。半日と一日と四分の三消費していた。汗臭そう、口も臭そう、足も臭そう。なんなの。今知り合いに会ったらぼくは死ぬ。いや、知り合いなんてそんなにいないけれど。

 経吉のチャットにごめんと送信する。

 ムギの顔が脳裏に浮かび、帰らないとと頭を垂れる。

 リザのカード番号を聞いてなかったことに気が付いて、番号を聞いておけばよかったと、でもさすがにプライベートだ。

 帰りにスーパーマーケットに寄って夕食の食材を買う。体臭やら何やらが気になるけれど、家に帰ったらもう多分寝てしまうのでお店に我慢して貰う。すまんね。ほんとにね。ほんとごめんね。もう薬がキレてテンションがね。ほんとね。

 生鮮売り場でなめこを見つけて今日はキノコパーティーにすることにした。ムギがキノコを食べられるのかの試験も兼ねている。あと没収されたキノコの恨みもある。

 食べられなかった場合に備えてオムライスの食材も準備。

 追加のトマト。それに冷凍食品も買う。餡かけ焼きソバ。

 ミョウガ、謎肉甘辛乾燥品も買う。謎肉甘辛乾燥品は謎の肉をすり身にして板チョコ状に伸ばしてタレに漬けたお菓子。スルメみたいなお菓子だ。歯に良い。ジャーキーとは違ってこちらは子供向けの駄菓子だ。

 買い物を終えたら路面電車に乗り込む。ムギ、大丈夫かな。リザがいるからそこまで心配はしていないけれど……。そもそもぼくはリザを信用しすぎなのでは。何かあったら嫌だな。リザが男とか連れ込んでいたら二倍嫌だなとなんとなくそう考えてしまった。

 その場合は男もリザも追い出すことになる。

 どうしてリザをこんなにも信用しているのだろう。脳裏にイミナの姿が浮かび、似ているからと、代わりにしているからと嫌になる。

 またため息。


 電車の中では男性数人が円陣を組んで床に座っていた。なんで床に座っているのだろうと疑問を浮かべるけれどあんまり見ていると絡まれるので視線を外す。声が大きくてうるさい。通路の邪魔なのに通るために跨いでも怒る。あの人達は何がしたいのだろう。

 ポケットに手を入れて――やばっ。

 封魂瓶。取り出してため息が出る。帰る前に機関に寄らないといけない。無理。今の状態でファニエルさんに会ったらぼくは死ぬ。悪いけれど再生は待って。名前なんだっけ。アンだっけ。再生には天使ポイント十ぐらいを消費する。機関に登録していればDNA情報が記録してあるらしいけれど、記録していないと予定外ボディになって消費する天使ポイントも爆増する。一応採血してあるので登録が無くとも再生はできるはず。

 カトブレパスの石化って言ったけれど、カトブレパスは牛みたいな魔物だ。ちょっかいをかけると石化の呪いを受ける。ダンジョンとか街の外にも存在するけれど個体数は少ない。

 200層ぐらいで会ったことがある。顔を見なければ大人しいのでナデナデできる。顔を見るとブチギレル。なんでなの。

 カトブレパスの石化はバジリスクと似てコカトリスの石化とは明確に違う。

 コカトリスの石化は毒による皮膚の硬化で中和剤を使えば治すことができる。

 カトブレパスとバジリスクは邪視。二体の目には魔力を通すことで発動する強力な暗示効果を持った模様があり、視線を合わせることによって眼球より浸食、内側から硬化する。そして筋肉の著しい硬質化によって徐々に死に至ってしまう恐ろしい攻撃だ。

 コカトリスと違って内側からの硬質化なので危険度はかなり高い。

 カトブレパスとバジリスクどっちの石化が強いかと言えば前者の方が強い。

 カトブレパスは草食なので基本的に人間を食べない。そのせいか致死性が高く即死もありえる。バジリスクは人間を食べるので身動きを封じることに特化している。

 二体の邪視は似ているようで厳密には異なるらしい。

 カトブレパスの石化の呪い――即死しなかったとしてもそんなに時間は無い。天使が保護してくれているから人間は即死食らっても肉体をロストするだけだけれど天使の保護が無かったらキツイかもしれない。

 聖女なら体内に入った魔力の中和と構造修正ができるので治せると言えば治せるけど……。

 薬で治す場合は魔力の中和と構造修正が必要で魔力の中和が問題。成分による中和じゃないから結局天使の力がいる。天使の涙がいる。トイレ行きたい。

 相反する物が脳内で同時に展開されてしまった。

 なんかおじさんが円陣を組んでいる人達を注意して逆に絡まれていた。勇気あるおじさんだな。おじさんの正論パンチは物理的な暴力となっておじさんに返ってしまった。やめておけばいいのにと言う考えは多分ダメな考えなんだろうな。

 機関に寄るので電車から降りる。上空にいる天使をじっと見ていると目が合った。電車を指(ゆび)さす。電車を指さすと天使はすぐに電車の中へと降りて行った。

 降りるさいに隣にいたお姉さん数人がなんか臭くないって話をしていてごめんそれぼくですと切ない気持ちになってしまった。

 トイレ行きたい。

 機関に寄ったら真っすぐトイレ――用を済ませたらシャワールームを借りてシャワーを浴びる。出てきたらもう十九時だ。服の臭いを嗅いで顔をしかめてしまう。下着の替えを売店で買っておけばよかったと今更ながら後悔。

 夜になっても機関内のざわめきは絶えない。

 売店で新しい下着と臭い消しスプレー、小さい薬用マウスウォッシュ、簡易食料を買う。

 トイレで下着を変えて古い下着は紙袋へ入れてゴミ箱へ。臭い消しスプレーを噴霧して体裁だけは整える。トイレから出たらロビーでお茶を買って簡易食料と一緒にモグモグ。

 トイレの洗面所でマウスウォッシュ、人心地付いた。

 時計を見ると四十七分を指していた。

 受付にはファニエルさんがいて、あまりに眩しくて今の自分が恥ずかしくなった。整理券を取って順番を待つ。ぼくの二つ前の人が熱心にファニエルさんを口説いていた。無理です。ごめんなさいラッシュの洗礼を浴びていたけれど、引き下がらなくて強制的に退場させられていた。気持ちはわかる。

 用事を済ませて早く帰りたい気持ちもある。早く帰りたい。

 やっと順番が来て窓口、カウンターにはファニエルさんがいた。嬉しいけれど、毎回受付がファニエルさんでストーカーだとリストに載っていないか心配にもなるし心情的にも焦る。ファニエルさんの前だと上手に動けなくなるから本当に困る。

「ようこそ機関へ。おかえりなさい。寧々さん」

「こっこんばんは……」

 ちゃんと喋れ。心の中で自分にそう言ってしまった。薬の弊害で脳内がふにゃふにゃしている。

「はい。こんばんは」

「あの実は、再生をお願いしたいのですが」

 封魂瓶を取り出してカウンターに乗せながらそう言う。

「この封魂瓶はどうなさったのかお聞きしても大丈夫でしょうか?」

「あっはい。あのっ」

 しまった。言い訳を考えてなかった。

「あの。一緒に、その、サブダンジョンへ入ったのですが、ぼくをかばってやられてしまって」

「そうなのですか。承りました。天使ポイント10を消費いたしますがよろしいですか?」

「はい。お願いします」

「少々お待ちください」

 ちょっと苦しい言い訳だったかもしれない。というかちゃんと喋ってと自分のコミュ力を呪いたくなる。

「お待たせいたしました。機関に登録がございますね。獣人のコリーヌアン様の再生でよろしいですか?」

「はい。お願いします」

「大変申し訳ございません。コリーヌアン様は獣人になります。獣人は天使の保護管轄外となりますので、天使ポイント25ポイントを消費することになります。それでもよろしいでしょうか?」

「あっはい……大丈夫です」

 目を見て言おう。ファニエルさんの目は相変わらず綺麗だった。

「承りました」

「あっそれと、あの、無理だったらかまわないのですが、天使の涙を頂けませんでしょうか」

「……そちらは。いいえ、わかりました。ではこちらへいらしてください」

「あっはい……」

 カウンターの奥へ通される。奥と言ってもロビーから見えない程度だ。

「体に触れますが、よろしい……大丈夫でしょうか?」

 近い。

「あっはい。大丈夫です。すっすみません臭くて」

「大丈夫ですよ」

 差し出された両手がぼくの両頬を包み込む。触れられた瞬間、物凄く瞳孔が開くのを感じた。刹那に瞳孔が開いて苦しさにも似た気持ち良さと脱力に襲われる。ほのかに冷たい手、表面は柔らかく、凹凸の陰影が頬を擦って解されるみたい。脈動を伴うにつれ熱を感じて、それは単純な熱ではなくて命の熱を感じているかのようだった。

 うあ……気持ちいい。

 気持ちいいのにすごく、痛い。開きすぎた瞼を閉じるために少しばかり顔が強張ってしまう。

「うー……」

 口から呻きにも似た変な声が出てしまって、それでも気持ち良すぎてそれどころじゃない。このまま眠ってしまったらどれだけ気持ちいいのだろうとそう脳裏をよぎる。

 ファニエルさんはぼくをじっと見ていた。

 そして緩んだ目の端に液体が溜まっていき、手を離されて唖然とする。訪れた喪失感は心に穴が開いたみたいに、なんで泣いているのかもわからないのにぼくの目からは大量の涙が流れていた。

 奪わないで。ぼくからそれを奪わないで。

「はっ……はっ……」

 鼻をすすり泣くように開いた口から変な声が出てしまった。

 手が離れた事が悲しくて仕方なかった。

 誰かが瞼を拭ってくれている。まるで無邪気な子供のようにぼくは泣いているようだった。

 ぼくが落ち着くまで、ファニエルさんはぼくに付き添ってひたすら涙を拭いてくれた。なぜだかマリアンヌさんに感じる痛みにも似て、心を置いて体がもう一つの人格を持って泣いているかのようで、それはひどく嫌なもので、落ち着くのに十分ぐらいかかってしまった。

「申し訳ありません。貴方にそのような反応が出るとは思わず……」

 窓口、カウンターに戻った後、ファニエルさんは申し訳なさそうにしていた。

「……いえ、こちらこそ。ごめんなさっすみませんでした」

「いいえ。かまいません。落ち着きましたか?」

「はい、もう大丈夫です」

 涙が引いた後、二度とこんな気持ちになりたくないと打ちひしがれた。二度とのこの喪失の痛みを味わいたくなかった。

「こちらが天使の涙になります」

「あっありがとうございます。それで代金の方は……」

「かまいません」

「えっ……それは」

「大丈夫ですから。ただ……これが私の涙ということは忘れないでくださいね」

「はっはい……大切に使わせて頂きます」

 手を振って見送ってくれるファニエルさんにお辞儀をして機関を出、機関の出入り口でため息が出てしまった。

 すごいものを貰ってしまった。天使の涙だ。と言っても貰ったのは二回目だけれど。一回目はイミナの誕生日プレゼントに貰った。イミナは何これってすぐ飲んでしまったけれど。

 帰ろう……。ムギ。大丈夫かな。


 家の前、電車を降りる。発電所の前で降りるなんて変な気分。周りは公園にもなっているので余計変な気分。人があんまり来ないのに夜はさらに人気がなくて寂しい。

 そんな広場の中にポツンとテントがあった。

 誰か泊まって――リザ。リザがテントから出て来て携帯コンロのようなものでお湯を沸かしていた。なんでここにいるのかな。ムギはどうしたの。頭にハテナを浮かべながら近づく。

「リザ?」

「あら? おかえりぃ」

 電車を降りた所辺りから気づいて出てきたっぽい。気づいていないふりをしながらお湯を沸かしていた。

「もっと前から気づいてたわよ?」

「……そうなの?」

「ふふっ。その声の感じ、なかなか好きよ」

「……そう」

「蠱惑的よね」

「リザの声が?」

「えー? そうなの? 貴方にとってあたしの声って蠱惑的なんだ」

 立ち上がってこちらを見た豊満なリザの体を見て、心の底から埋もれたいと目を閉じてしまった。許されるのなら埋もれたい。その胸の谷間に顔を埋(うず)めてその体に強く埋(う)もれたい。自分の体がリザの体に埋もれるところを想像し、手で痛がるほど強く体を押し付けるのを想像しそれはなんとも都合の良い気持ち良さだった。実際はそんなことないので欲求だけが沸き上がって辛い。男を連れ込んでなくてよかった。ほんとに良かった。

「ほらっハグしなよ」

 そのセリフに心の底からリザを悪魔だと感じる。

 手を広げるリザを見て、埋もれられるのなら埋もれたいと衝動に身を任せたくもなる。でもそれはリザの事を一切考えていないぼくにとって都合の良いものだ。

「ただいまのハグしなよ」

 誰の事を考えている。リザを通して誰を抱きしめているの。自分にそう言われて反吐がでる。

 甘えるなよ。

 いみなの顔が浮かんで嫌になる。

 リザは変わりじゃない。

 リザの手を取って頬に当てる。

 リザは誰かの代わりじゃない。自分を慰める道具じゃない。

「ハグはしないよ」

「別にいいのに」

「ぼくが良くないの」

「確かめなよ。ほらっ。処女かどうか確かめなよ。下腹辺りにちんちんぐりぐりしてさ」

「……そういうのやめてよ」

「気を抜くなよ。あたしあんたを骨抜きにする自信あるからさ。ひひひっ」

「お金が無くなったらどっか行く癖に」

「稼ぎの無い貴方を養うために、出稼ぎぐらいするわよ」

「都合の良い事ばっかり言うんだから」

「……ふふふっ。心配しなくても真っ当な仕事をするわよ? エッチな出稼ぎではなく」

「……そんな心配してない」

「男でも連れ込んでるんじゃないかって不安になってたくせに」

 なんでわかるの。

 目を反らすぼくを見て、リザはニマニマしていた。

「ス〇タでもする?」

 スマ……えっ。なんて。なんてこと言うの。頭が真っ白になる。

「……??????」

「うっかり中で出してもいいわよ?」

「……うー」

 ぼくはリザを威嚇していた。なぜだか動物みたいになってリザを威嚇していた。エッチなのは良くない。エッチなのは良くない。幸せな気持ちになってしまっているのが余計に嫌。受け入れられるのが嬉しいのが余計に嫌。冗談の話を間に受けない。自制して。

「エッチな話し、好きな癖に」

「……好きだけど、そういうのは恋人同士でするものなの」

 むくれる頬を両指で摘ままれて変な顔をするしかなかった。

 エッチな話は好きな人とするのが楽しいし、許される行為だと感じる。

 自分を大切にして。なんて台詞を言いたくなって馬鹿々々しくてやめた。本能が追加でぼくに何か喚き散らしているけれど無視する。もうこの話は終わり。

「……フー。ところでどうしたの? こんなところで。ムギは?」

「テントの中よ」

「家はどうしたの?」

「あーそれね。そうね。それがねぇ。あんた達の親って人達が来て占拠しちゃったのよね」

「なんで?」

「あたしが聞きたいわ。っていうか契約不履行よね。あたしに住処を提供してくれるんじゃなかったの? 労災降りるかしら」

「よくわかんない……」

「不履行の厳罰はあんたの体でいいわよ?」

「……すぐそういうこという」

 捨てられるのが怖いから絶対にリザと関係を持ちたくない。もしリザと関係を持ったらぼくはリザに依存して離れられなくなってしまう。束縛して一日中一緒にいたくなってしまう。ひと時も離れないでほしくなってしまう。それは不可能で重くて捨てられるのが目に見えている。だから絶対にリザと関係はもたない。

 心も痛い――。

 心が痛い。

 イミナ……。

 テントの中へ入ると中でムギが眠っていた。近づいて頬を撫でる。良かった。大丈夫そう。ムギの寝顔がとても心地よかった。

 外へ出て経緯をリザから聞く。

 昨日の話。ムギの父親を名乗る男性がやってきて今日からここが俺の家かと言うと居座り始めたらしい。入口にはカードを翳さないと入れないのにどうやって入ったのか。リザは手を出されそうになったのとムギの保護のために外へ出たらしい。テントは家の中の物を持ち出したようだ。

 リザに申し訳ないと、いくら払えばいいと聞いたら濃厚なキスか二万で許してくれると聞いたので二万払った。

「あのねぇ、なんでもかんでもお金で解決しようとするのはやめた方がいいわよ?」

 お金と言ったのはリザでしょうと反撃しようとしてやめた。リザの気分を害して離れて欲しくない。それは単純に幸せになって欲しいからだし悪い人じゃないから。

「濃厚なキスでいいのに」

「……そういうのは好きな人とするの」

「舌入れたげよっか?」

「……話し聞いてよ」

「チューしたことあるの?」

「……あるわけないでしょ」

「えぇー……無いんだ? かわいい。でも嘘よね?」

「……嘘じゃないけど」

 小さい頃、一つの飴玉をイミナと二人で舐めていたことがあった。あれはノーカンでしょ。あとマリアンヌさんといっぱいキスする夢を見たことがある。目が覚めるまで幸せいっぱいだったけれど、目が覚めると罪悪感で死にたくなった。ぼくの初めての夢精でもある。本当に最悪だった。さらに最悪なのがそのパンツを洗ってくれたのがマリアンヌさんだってこと。さらに嫌なのは羞恥心でメソメソしていたら、マリアンヌさんに頬を撫でられて追加で出ちゃったこと。しかも見られた事。もう死にたい。それ以来絶印はかかせない。思い出すだけでのたうち回りたくなる。

「……ふーん」

 リザの顔が不満そうなので素直に白状する。

「小さい頃に一つの飴玉を二人で舐めてたことはあるけどノーカンだと思う」

「……あーそう言うのね。あれは……そうね。ひひひっ良い思い出じゃない? それだけ?」

「悲しくなるからもうやめて」

「ひっひっひっ。飴玉二人で舐めよっか?」

「……すぐそう言う事言う」

 想像すると気持ちよさそうで気が緩みそうになってしまって、苦笑と目を閉じて息を深く吐き思考を切り替える。

「……とりあえず見て来るから」

「舐めないの?」

「君が無事でよかった」

「ズルい台詞ね。いってらっしゃい」

 門まで行きカードを使って開く。

 一応警備の人がいるみたいだけれど、まだ姿を見てない。奥の休憩室から音がしているから奥にいるのはわかる。休憩中かな。

 トンネル内にも中の声が聞こえてきていた。

 抜けた先、家を見ると明かりが点いていて男の人が数人バーベキューをしていた。犬たちが隅っこに追いやられている。ていうか蹴るな。犬を蹴らないで。

 男は五人。女の人もいるようだ。

 ぼくの親と言っていたけれど、それはあり得ない。ぼくの親は既にぼくの養育権を放棄している。それは産みの親、権利上の親両方共だ。

 血縁上の父親も母親もすでに再婚してしまっている。

 父親の方は逆玉の輿に乗っていて過去の事は無かったことになっている。

 母親の方も過去を全て抱きしめてくれるという普通の男性と結婚していて過去は全てなかったことになっている。母親にとってぼくを産んだと言う事実すらなかったことになっている。

 違うとなるとムギの親と言うことになる。

 でももう書類上、権利上においてもムギの籍はぼくに帰属している。とは言ったもののぼくはまだ子供なので正式な権利は無い。ぼくらの籍は一時預かりとして機関に帰属している。

 カードを使い公安(警察)に連絡したほうがいいのか、先に接触したほうがいいのか悩む。公安を伴って接触したほうがいいかもしれないと、カードで公安に連絡してテントに戻った。

 テントに戻るとリザに膝枕を要求され、臭いからと一度断ると、かまわないと言われた。

 テントの前、もう帳のカーテンは降りている。ここは人がいなくて、お湯と、リタの買って来たカップ麺、無造作に置かれたキノコや冷凍食品入りビニール袋だけがあった。

 床に敷いた銀色のマットは少ししか柔らかくなくて。

 座っているとお尻が痛くなりそうで。マットの下の雑草がマットを曲げるものだから変な感じで。蟻がいて虫の音が聞こえて。無造作に置かれたインスタントのお味噌汁の元。カップ麺のカップだけのゴミ。

「あたしだって昨日湯あみはしてないわよ」

 そう言う割にはリザからはいい匂いがした。了承する前に頭を膝に乗せてくる。

「ほら、愛でなよ」

 触れていいのか躊躇われるけれど髪を撫でた。柔らかい。耳を軽くもみほぐすとリザは気持ちよさそうに目を細めていた。

「何買ってきたの?」

「キノコとか」

「キノコ好きだったっけ?」

「……そう言うわけじゃないけど」

「そうよね。あんたは豆大福とか好きよね」

「よくわかったね」

「ふふふっ。帰って来るのが遅いから心配したわ」

「……ごめん。どうしても抜けられない用事があって」

 テントの方で物音がしてムギが出て来た。

「ごめんね。起こしちゃった?」

 ムギは無表情だった。無表情でこちらへ来て、じっとぼくを見ていた。

「ただいま」

 そう言うとムギは手を伸ばして来て遠慮がちに服を掴んできた。背中に手を回して引き寄せる。ムギは抵抗しなかった。髪を撫で頬を撫でる。抱きしめて頬擦りする。

「あたしのハグは拒んだくせに」

 君はエッチだからダメです。

「……ハグじゃなくてキスでしょ」

「ハグもでしょ」

 ムギとリザ、両方の頭を膝に乗せて撫でさせて貰った。

「ごめんね。二人共」

 よく考えたら得体の知れない人達に家を占拠されてしまったけれど二人が無事でよかった。

「泣いているの?」

 リタにそう言われて、表情が少し苦くなってしまった。他人に傷を舐められるなんて嫌だな。

「泣いてないよ」

 寝ていないから精神が多分高揚している。


 膝枕しながらカードを取り出して念ためにぼくの戸籍を再確認した。

 監護者の欄にファニエルと記載されている。天使ポイントでファニエルさんにお願いしたからかな。監護者とはつまり責任者の事で、ぼくが何か問題を起こした場合、ファニエルさんが呼ばれることになる。

 ぼくの下の欄にムギの名前もあった。

 ぼく達には苗字がない。親がいないから親の苗字を引き継いでいない。

 寧々とムギとだけ記載があり、指紋や顔写真、DNA情報も記載されていた。

 ファニエルさんが監護者と言う事は、ファニエルさんの許可がなければぼくたちの親権は得られないと言う事になる。

 現在ぼくたちは孤児扱いだ。親は存在しない。だからぼくたちの親を名乗れる人はいないはずであっている。

 ファニエルさんに確認しようかどうか迷ってしまった。

 そこまでファニエルさんに迷惑をかけてしまっていいのかどうか。

 涙も貰ってしまっているのに。

 そういえば今更だけれど、イミナを攫った獣人達が、尋問でぼくの事を話すのかと言えば否だ。再生に記憶は伴わない。機関で言えば登録された時点の記憶は保存されているのでそこまでの再生はできる。イミナは脳を持ち帰ったのでちゃんとロストするまでの記憶は保有できるはずだ。

 獣人達にはぼくにロストさせられたという記憶は無い。覚えていられないはずだ。封魂瓶で閉じこめても記憶の劣化は起きる。血液の中にも記憶が溶け込んでいると聞いたことがある。でもその記憶は脳よりもずっと薄いのだそうだ。

 あの獣人の男とアンだけは著しい弱体があるかもしれない。頭のヌース以外を吹き飛ばしてしまった。

 アンも……アンであっているはず。アンも再生された時点ではぼくの事を覚えていないだろう。

 普通、ダンジョンに入るのには機関の登録が必須なのでロストして記憶を全て失うとしたら非合法の命知らずだけだ。

 さらに言えば街に住むに当たり機関から戸籍を貰わなければならず、その時少なからず記憶は保存されてしまう。

 そういえば、カードが脳の状態を記憶し逐一記憶情報を保存しているなんて、そんな都市伝説が流行ったのを思い出す。

「ちょっと……手が止まっているわよ? 早く愛でなさいよ」

「……もう」

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