百鬼夜行燈 一般通過盗賊(シーフ】の日常。魂の職業が盗賊のボクが一般社会から犯罪者として冷遇されるのは当たり前だけど実はサイキョウな件について。

柴又又

第1話 プロローグ

    百鬼夜行燈。


 「ふへ」

 獲物から噴き出た液体が口に入りそうになり、間抜けな声が出てしまった。

 暗い闇の中。

 ダンジョン紫谷(しこく)。階層およそ432層目。深すぎてまだ底が見えない。200層を越えてから敵の様相も代わり映えしなくなってきた。たまに特殊個体も現れるけれど、レベル70を越えた辺りからやる事もあまり変わらない。行きつく先は何時もこんな感じなのかもしれない。なんでこんな所にいるのか自分でも頭にハテナを浮かべてしまう。何か目標があるのと問われると、頭に疑問を浮かべてしまう。

 特に意味なんてない。その言葉はぼくのためにあるようで。

「帰ろっか……」

 仲間なんかいないのに一人でそう呟くのが滑稽だった。


 唐突だけれど、ぼくは一人暮らしをしている。

 六畳一間、ロフトあり、トイレとお風呂別。築三十年。家賃は三万円。

 趣味は寝る事。世間で言うツマラナイ男だ。

 ぼくの暮らす世界が異世界に飲まれて五十年がたった。

 昔、世界の頂点は短命種(人)だったと言っても、今は誰も信じないだろう。

 それだけ異世界が世界に浸透したとも言える。

 混じり合った異世界から齎(もたら)されたのは、科学とは異なる事象の証明できない不思議な現象ばかりだった。

 地球の面積は約二倍になり今も何処かで表面積が増している。隆起した土地、内部に沈んだ海、膨大な陸地と裂け目の連続、海が谷底にあるなんて、昔の人は誰も信じない。

 空を見上げれば二つの太陽と三つの月がある。

 自由を失ったし縛りも多くなった。人種はさらに多種多様になったし、迫害や差別もその異様性を増した。

 国々は人類統一機構として纏まったけれど種族は三つに分類されている。

 もともとこの世界にいた短命種。異世界からやってきた獣人種と長命種の三つだ。

 獣人は厳密には寿命の関係で中命種に分類されるけれど、人類とはほぼ同種。

 でも獣人種は短命種を弱い種族だとして奴隷とする。

 短命種はそれに抗うために銃火機で応戦したけれど芳しくはなかった。人獣異世界大戦が停戦を迎えたのはつい最近の話だ。

 長命種は短命種を弱い種族として保護し、短命種はそれを断り、表向きだけでも平等であろうと同盟を結ぶに至った。

 従来通りならば短命種は種族の中で最弱だったけれど、同時に力も得ていた。

 それは肉体に与えられたステータス、および血統の性質だ。

 肉体のステータスを数字として読み取り強化し、血統の性質より特殊な力を導き出せる。

 同時に肉体はステータスに縛られ、血統と技は性質に引っ張られる事となる。

 世界は未だ混沌のまま。

 それでも何気ない日常を、元通りの日常をと過去を懐かしんでいる。とは言ったものの、ぼくが生まれる前の日常なんて知りようもないけれど。


 ぼくの身長は166㎝と低い。足は速いけれど力はそこまで。これはぼくの遺伝子の情報なので、すでに構築されてしまったぼくにはどうしようもない。

 ぼくの魂に刻まれた性質は盗賊だった。

 力は無いけれど、早くて器用で運がいい。

 でもこの秩序を重んじる世界において、盗賊は決して良い性質ではなかった。シーフは外れの性質で、犯罪者の性質だったからだ。

 仲の良かった人々と疎遠になるのに、そう時間はかからなかった。

 それがとても残念で、でもぼくにはどうしようもない。

 目を閉じて、思い出はいつも残酷で、甘美で、真実すら捻じ曲げてしまう。

 鮮やかな彼女の幻想がまだぼくの中にはある。


 「ねぇ? 聞いてるの? ねぇ? おい‼」

「う?」

「うじゃない。時間についてどう思うの?」

 少し綿のはみ出たソファーに横たわり、彼女はぼくにそう言った。

 言葉の意味を考えてしまい、少し間を空けてしまう。頭の中が真っ白に染まり、まだ答えがない。間を持たせるため言葉を絞りこみ、喉を振るわせる。

「どうって?」

 辛うじて聞き返すことができた。

「ほら、最近多いじゃない。タイムマシーンがどうとか。過去に戻ったらどうとか」

 そういう事か。タイムマシーン。

「あぁ、あー、うん?」

 タイムマシーンがなんなのだ。

「死ね」

「死ね?」

 思わず聞き返してしまった。

 いきなり死ねと言われた。え、気が付いたら死ねと言われていた。

「時間の経過とか、そう言うの何か考えたりしない? それは詳しくとかなんてわからないけど、発想だけならなんとでもできるじゃない?」

 彼女はソファーの上で寝返りを打ち、スカートを股に摺り寄せながら、ぼくの顔を見ていた。見えそうで見えない浮き出るラインの様子を視野の端に捕らえながら、意識するだけで何か言われそうで嫌だから目を反らす。今更パンツを見たぐらいで文句を言われる間柄ではなかったけれど。

「例えばタイムマシーン。ほんとうにできると思う?」

「できる……んじゃないかな?」

「どうして?」

「う、うーん。タイムマシーンができる理由、えっと考えられることは大体現実にできると思うから?」

「なにそれ」

 ぼくの発言がお気には召さなかった彼女は、ぼくを一瞥し睨んだ。ぼくは座っていた席を隣に移す。彼女から発射された睨みがぼくを射殺しようとしていたからだ。

「私はそうは思わないけど」

「どうして?」

「そもそも時間って概念がおかしいと思うの」

「時間っていう概念?」

「そう。だって、そもそも時間って何?」

 そんな事聞かれてもね。ぼくより頭の良い人達がその答えを出せていないのならぼくにその答えは出せない。

「うーん」

「時間って、経過でしょ?」

「あーうーうん?」

「わからないけどわからないけどわからないけどさ。私は‼ 時間なんてないと思うの‼」

 身を乗り出して彼女が力説してくる。胸に手を当てまっすぐな視線をぼくに向けた。ぼくは彼女が近づいたぶんだけ後ろへと下がった。近いよ。パーソナルスペースは守ってほしい。

「なんで?」

 目の直視は三秒以内。

「だって、私達が成長する過程を時間として記録してるんじゃないの?」

 そんな事は関係なしに、彼女はさらに身を乗り出してきた。

 吐息まで触れるような近さで、その近さが彼女の自信を表していた。

「うーん?」

「つまりさ、時間って無いんだよ。そもそも。私達が記録として目に見える形として作りだしただけで、だって昼と夜だって時間が過ぎれば来るわけじゃないんだよ? 自転と公転があるから昼と夜が来るの。時間はその経過を記録してるだけにすぎないんじゃないの?」

「うーん。つまりぼく達が成長したり動いたりするのと時間は関係ないって事?」

「極端にいっちゃえば、そう、かな?」

 若干の自信のなさが彼女の声のトーンと距離をとる。

「うーん」

「だって……時間が経過するから成長するわけじゃないじゃん」

 頭がこんがらがってきた。

「だって私達はっ‼ 生まれて‼ 年を取って‼ 大人になって‼ やがて死ぬようにできているんだよ? 私達はそれを時間という経過として記録しているだけ」

 左手の指を一本ずつ折りながら、彼女は言葉を強調する。

「うーん。つまり時間はないって事?」

「うん。極端に言ってしまえば」

 彼女は多分、時間に対して文句が言いたいわけじゃなくて、時間とはこう言うものだと決めつけられた概念に対して文句を言っている。

 シュレディンガーの猫だ。確かめる術が無いから決められないでしょうという話。

「朝が来るのだって夜が来るのだって時間が経過するからじゃなくて、そういう風になってるからなんだよ。そしてその間を時間として人が記録しているだけ」

「それ、さっき聞いた」

「……死ねっ‼」

「えー?」

「だからさー最近タイムマシーンとか分岐世界とかって聞くとイライラするのよね」

「なんで?」

「だって都合良すぎるじゃない? 特に分岐世界とか。これを選んだ自分はどうなっていたのかとか、これを選ばなかった自分はどうなっていたのか、とかそれってつまり後悔しているって事でしょ? そんな事考える前に現状、後悔している今を変えなさいよって思うわけ」

「……まぁ」

「それは辛い事だってあるよ。辛すぎることだってあるよ。でも受け止める事も大事なんじゃないの。それを受け止める事の方が大事なんじゃないの?」

 過去を振り返るより未来を見据えるって事でいいのかな。

「やり直したい過去とか……ないの?」

 ぼくが恐る恐る聞き返すと。

「ない」

 彼女は自信満々にそう答えた。

 聖女である貴方はそうかもね。そう言おうとして言ったら死ねと言われるのを想像してやめた。

「あるの?」

 逆に彼女に問われる。

「うーん。あんまり」

 深く考えなかった。もし空から甘い水あめが降ってきたら体にねっとりと滴り、さぞ心地よいのだろう、きっとそんな感覚に良く似ている。どういう意味かと問われれば想像するだけなら気持ちがいいと言う話しで、現実的に水あめが本当に降ってきたら、体がべとべとになって気持ち悪いし服が危うい。

「あんまりって、なんよ」

 彼女はそこで少しだけ笑った。半分の本当を告げてあげる。

「こないだイノシシの肉食べたんだ」

「牡丹って奴ね」

「すごく美味しかった」

「それで」

「少し硬くて赤身だったんだけど、脂がほとんどなくてね」

「へぇー。イノシシって美味しいんだ」

「うん」

「豚とは違うの?」

「豚より少し硬くて、歯ごたえがあるかな」

「ふーん。それで? それがなんなの?」

「過去に戻ってもう一度食べたいな」

「は?」

 その返しには拒絶と怒りのニュアンスが含まれていて、彼女は拳を振り上げた。

「まじめに話した私が馬鹿だった‼」

 そして肩を殴られる。

「すぐ暴力振るう」

「うるさい‼」

 実際問題ドラマや漫画なんかで、時間を戻したいと願う人間はいつも何かしらの辛い目にあっている。恋人が亡くなったり世界がほろんじゃったり。

 恋人のできた事のないぼくに恋人がどんなものなのか、本当に好きという感情をどういうものなのか今の所感じられないからその辛さは想像するしかない。普通に恋人が亡くなってしまったら辛いとは想像できる。でも想像できるだけ。

 もう一度会いたい。もう一度抱きしめたい。そういう気持ちが愛というのかもしれない。それと同時に死んだらなぜ悲しいのかという疑問がぼくの中で沸いてきて、恋人が亡くなったからと言って、自分の愛情が薄れるわけじゃないとも思う。

 自身の愛は続いていく。ただ会えなくなるだけ。それが辛くて悲しいのかと言われれば、ぼくは別に悲しくなかった。

 心の中で手を出せばきっと、相手も手を添えてくれる。例え亡くなったとしても愛してくれているのなら。

 人はいずれ死ぬ。それは決められた運命で、誰も逃れることはできない。

 ぼくがこんな事を思えるのはたぶん、きっと実感が無いからなのだろうな。

「さっきの話しの続きだけど、やっぱり恋人とかが死んだら、元に戻したいとか、んーうまく言えないけど、また会いたいとか思うんじゃないかな?」

 だけどぼくは考えとは別の事を言った。

 無難な答えを述べておく。本音と建前と言うのはこういうものなのかもしれない。

 分岐世界は便利だけれど、単なるパラドックスのつじつま合わせに思える。鶏が先か卵が先か。答えは鶏だ。

 彼女はそんなぼくの答えを聞いて眉間に皺をよせた。

「寂しいし辛いって言うのはわかるけれど、それなら別の恋人を見つけた方がいいんじゃない?」

 それは身も蓋も無いよ。

「だってしょうがないじゃん。死んだら会えないんだよ? ずっとね」

 ぼくの困った顔を見たのか、彼女は睨みつけるようにそう言った。

「そういうドラマとかが言いたい事ってそう言うことじゃないと思うけど」

 彼女はその言葉に興味を引くように少し目を開いた。

「ふんふん?」

 そう頷いてぼくの次の言葉を持つ。

「一途な気持ちとか」

 タイムマシーンを使い過去へと戻ってやり直した人生。そう展開する物語がいつも悲しい結末で終わるのは、この世界にはどうしようもない事があり、それを受け入れなければならない現実を表現しているのではないか。

 過去を変えてしまったら本来幸せになるはずだった人が亡くなってしまうかもしれない。

「ぷっ」

 彼女は今にも噴出しそうになり震えていた。

 彼女の顔が笑顔になるのならそれはいい答えだ。

「一途な気持ちね。うん、いいと思うよ。一途な気持ちでしょ。うん。それであんたは恋人が死んだらどうするの?」

 君、曲りなりにも聖女だよね。一途な気持ちを抱かないといけないのは君のほうだよ。

 恋人なんて遠い空の向こうのような存在をいきなり殺されても答えようがない。

 変な顔をするしかない。きっとぼくの今の顔は相当間抜けだったと思う。

 その証拠に、彼女はぼくを見て笑っている。

 それは嫌だとは思う。辛いと思うし悲しいとも思う。でもタイムマシーンを作れるほどぼくの頭は良くないし結局のところぼくはそれに抗おうとはしないだろう。二年後ぐらいにはなんとか歩き出している。

「どうしようもない」

「それだけ?」

「それだけ」

「ばっかみたい」

 彼女は急に冷めた表情をして興味なさそうに顔を背けてしまった。彼女にとってその答えは本当につまらないものだったのだろう。彼女の顔がそう物語っている。

「愛とか恋とか、結局のところ、やりたいだけじゃないの?」

「うわーお」

 彼女はいつもぼくを驚かせる。ぼくの斜め上を行く。だから彼女と話していると、自分がいかに思い込みで行動しているのかがわかる。

「何その言い方」

「別に」

「なによ‼ はっきり言いなさいよ‼ 男の癖に‼ あんたみたいなのが後でこっちを選べばよかったとかそんな事を言い出すんだから‼」

 男の癖にとか、そう言う言葉はあんまり良くないよと心の中で呟くが言わない。

 女の癖にとぼくが言ったのなら、たぶん彼女は激烈に怒る。

 そんな事を考えながら、ぼくは変な顔をするしかなかった。

 後悔する。今まで後悔したことなんていっぱいある。こうすればよかったとか、あぁすれば良かったとか。こうしていれば良かったとか、でも結局何を選んでも後悔していたような気がする。二択以上になった時点できっと後悔しかない。

「何を選んでも、きっと後悔するんじゃないかな」

 彼女は少し考えるような素振りを見せたけど、興味なさそうなのは良くわかった。

 夏になり、暑くなりはじめた空気の色。

 リップを頻繁に塗っている彼女の唇はとても艶めかしい薄桃色で、次の言葉を待っていると彼女は真っ直ぐにぼくと目線を合わせた。

 彼女は真っ直ぐな瞳で誰かを見る。きっと誰かにとってその瞳はとても煩わしく、とても憎らしく、とても心を打ち、そしてどうでもいいのだろう。

 すっと目をそらして、自然にそらせたか不安になって擬古地なくて。

 そんなぼくを見て彼女は、

「今日はさ、うどん食べたくない?」

 と言った。

彼女はスキップしていた。

 それは近くて遠い過去。

 彼女は聖女で、ぼくは賊だ。

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